>>> 13 <<<






 

初日の舞台は人でごった返している。

 受付前で待ち合わせの約束だったのに、なかなか竹岡が現れずにきょろきょろしていると、不意に肩を叩かれた。

「あ。……貴志」

 見知った顔を見て、鴇はほっとした。

 今日の貴志は仕事仕様で、光沢のあるダークグレイのスーツを着こなしている。きちっと喉元まで締めたネクタイの派手な柄もバランスがとれていて、思わず鴇は見惚れてしまった。

「こんなところで何をしている」

「竹岡君を待ってるんだよ……半に約束だったんだけれど」

「半?もう十分も過ぎているじゃないか」

 壁の大時計を見上げて貴志が眉を顰める。

「開演時間になってしまうぞ」

「ううん……仕事で抜けられないのかな。電話をしてみる」

「チケットは」

「彼が持ってるんだよ」

「なんて不手際だ」

 チッ、と行儀悪く舌を打った貴志が後ろを振り返る。

「おい、逆井!」

「はい」

 どうやら少し離れた場所で貴志を待っていたようだ。呼ばれて近くに立ったのは、銀縁の眼鏡をかけた細面の男だった。

 随分と整った造作をしている。

「貴志。こちらは?」

「ああ、オレの会社の専務の逆井だ。おい、逆井。悪いがお前のチケットをこっちに回してくれ」

「ええ?」

「た、貴志、いいよ私は……」

 あからさまに不満げな顔をした男に慌てて、鴇は貴志を止めようとする。

「良くない。逆井には別のチケットを回す」

「……かまいませんが。社長のお言いつけなら。で、こちらはどなたですか?」

 慇懃な男の口調になお慌てると、ああ、と貴志が意地の悪げな笑みを浮かべた。

「お前は顔を知らないのか。四ノ宮朱鷺先生だ」

「えっ……」

「この舞台の、原作者様だな」

 いじめっ子のような貴志の口調にみるみる逆井という男の顔に血が昇る。怒ってしまったのかとどうにか宥めようと鴇が口を開きかけると、急に動いた逆井が目の前にチケットを差し出した。

「す、すみませんっ!先生に失礼なことを申しまして!」

「え、いや……」

「差し上げます!いいえ、もらってください!あ、あの、私は先生の作品の大ファンで」

「え、それは……ありがとう」

「あ、あの……後でサインをお願いしても宜しいですか?」

「あ、はい、もちろん。……私で良いなら」

「ありがとうございます!」

 怜悧な顔立ちの男の似合わない興奮に、戸惑いながらも鴇は思わず笑みを零す。

「キャラ変わってるぞお前……」

 呆れた声で呟いた貴志を、逆井がきっと睨め付ける。 

「うるさいですね。大体お知り合いならお知り合いと、何故仰ってくださらなかったんですか社長」

「四ノ宮朱鷺の作品はいいですよね、とかすかしたこと言ってやがったくせに。あんなんでお前が四ノ宮先生の大ファンだなんて誰が思うか。……失敗した、これをエサにもう少し遊ぶんだったな」

「あなたがそんなんだから言えないんですよっ!」

 弱みを見せてたまるか、と歯を向く逆井と本気で悔しがる貴志に、おろおろと鴇は声を掛ける。

「あの……そろそろ開演時間が」

「ああ。じゃあ鴇、お前はこのチケットでオレの隣だ。逆井はこっちで」

「はいはい」

「あ、じゃあ私がそちらでも」

「駄目だ。四ノ宮先生には特等席に座ってもらわないとな。

……竹岡とか言う担当が持ってくるよりは少々落ちるかも知れないが」

「そうですよ。原作者の先生がS席で観られないなんて事態があっちゃいけません。お気になさらず、こちらも充分にいい座席ですから」

 そういうと、逆井はさっさと先に行ってしまう。

「行くぞ」

「あ、……ありがとう」

 




















 

「ああ!先生、どちらにいらしたんですか!!」

 竹岡の声がロビーに響いたのは休憩時間のことだった。

 疲れた眼を少し休めようと二人で出て、貴志は煙草を吸いに行っている。隅に置かれたソファに腰を下ろしていたら、竹岡が人混みを縫って現れたのだ。

「ああ、竹岡君……実はね」

「ちゃんとチケットを持っていくって言ったでしょう!探したんですよ」

 ロビーに響くような声で言い募る竹岡に、鴇は苦笑する。

「竹岡君、もう少し小さな声で」

「誰かに言って先に入ってたんですか?それならそれと連絡を下さいよ」

「ああ、うん。ごめんごめん」

「まったく……」

 まだぶつぶつと文句を言おうとする竹岡の背後に、ぬっと人影が立つ。

「随分と口の減らない担当だな」

「あ……貴志」

「ごちゃごちゃ文句をたれる前に、遅刻を詫びたらどうだ。それ以前に、万が一の事態を考えてチケットは本人に渡しておくべきだな。大手出版社といっても社員の教育がこの程度じゃ底が知れる」

 心底馬鹿にした口調で貴志が言い放つ。その黒い眼が冷え冷えとした色を浮かべていて、鴇はひやりとした。

 そうだ。こんな眼も、出来る男だった。

「だ、誰ですか。あなたは」

「言っておくが、開演十分前まではロビーに居た。約束は半だろうが、二十分も遅れてきといて大した言い草だ」

「それは……仕事が」

「仕事を理由にすればなんでも許されると思ってるのか?ああ、その仕事の方も大したことは無さそうだな。一度紹介された相手の顔を忘れるようじゃ」

「え……」

 懐に入った貴志の手が、黒い名刺入れを取り出す。馬鹿馬鹿しいほど丁寧な仕草で翻った長い指が彼の目の前に名刺を差し出して、反射的に竹岡が受け取った。

「舞台の演出を担当しております、ウェストエンド・カンパニーの西崎と申します。……ああ、あんたの名刺は結構だ。この間もらったからな。先生はオレの隣の席で舞台をご覧頂くことになった。わかったらあんたはさっさとあんたの席に行け」

「……………」

 竹岡は怒りで真っ赤な顔をしていたが、ぐうの音も出ずにただどうにか頭を下げて去っていく。

 口を挟むことも出来ずにその背を見送っていると、ため息が頭上から降ってきた。

「あ……ええと、不快な思いをさせて悪かったね」

「不快だったのはお前だろうが。ったく……鴇、人が良いのは悪い事じゃないが、あの手合いはつけあがるぞ」

「仕事熱心なんだよ、竹岡君は」

「どこがだ。……いや、ある意味熱心なんだろうが……あまり簡単に謝罪の言葉を口にするな。人に謝らせて偉そうな顔をしようって輩が結構世には多いんだぞ」

 隣に腰を下ろした男の眼を鴇は少し不安な心地で覗き込む。

 口調は苦かったが、さっきまでの峻厳な色はもうどこにも見当たらなかった。

 その事にほっとする。

 あの頃の貴志は、一度怒るとそれがどんな些細な出来事であってもなかなか怒りを静めなかった。相手を完膚無きまでに叩き潰して当然という顔をしていた。

「たまには、怒れ。ああ言う自分に都合のいいことしか言わない馬鹿には」

 その言葉が不思議と優しくて、鴇は、ふと胸の内を零す気になった。

「……うん。でもね、貴志。怒るのは……自分に返ってくるんだよ」

「……………」

「怒る事も、嘲笑も……憎悪も。結局、それが本当に心から相手に向けたものでない限り、すべて自分に返ってくるんだ……色々な形を取って」

「……………」

「………あの頃。僕は、自分以外のものがすべて憎い様な気が時々してた。けれど、そうやって憎む中で一番憎いものが、自分の弱さだった」

 ふと、言うつもりのない言葉までが転げ落ちる。

「しでかしたことは全部自分に返ってきたよ。……貴志、僕はあの過ちを二度と繰り返したくないんだ」

 大きなため息。

 不快にさせたかと口を噤むと、つまり、と貴志が言った。

「お前の理論で行くと、あの男のしでかす事はあの男に返るわけだな」

「……僕は、そう思うけれど」

「わかったわかった。……憎まれっ子世にはばかる、という言葉もあるがとりあえずお前の言うことを信じておこう。

……身につまされたしな」

「え?」

「入るぞ」

 休憩時間の終わりを告げるブザーが鳴っている。

 子供にするように鴇の手を取る貴志に、離してと言おうとして、鴇は口を噤んだ。

 斜め後ろから見た男の顔は、まるで酷く痛いものを堪えるように歪んで見えた。

 






 14へ


index