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◇ ◇ ◇

  

「憂鬱な顔ですねぇ」

「……あぁ?」

「あなたですよ。実に辛気くさい」

「……お前の言葉遣いは時々ジジィだな」

「よしてくださいよ。これでもあなたより五つも下です。ジジィと呼ばれるにはせめて四捨五入して不惑ぐらいにならないと」

 ああ言えばこういう。というより一言言えば倍返しだ。

 ため息を名前ばかりの社長室の机の上に落として、ちらりと貴志は外を見る。

 今日は雨が降っている。

 細かな霧雨だが、いつまでも止む気配がない。

 コーヒーを運んできた逆井は、そのまま机の前で立ち止まって腕を組んだ。

「三時から外回りですよ」

「知ってる」

「じゃあそんな顔で行かないでくださいね」

 じろりと睨んでも、逆井はしらっとしている。そして机の上にある封書を見ると、ああ、という顔をした。

「ご実家からでしたっけ。このせいですか」

「……まぁな」

「出席するんですか?」

「思案中だ……」

 弟の結婚式の招待状は、普通なら出席に丸を付けて当然だ。 けれどとっくに勘当された身なので、電報だけ送って済ませるという手もある。むしろ弟がこんなものを送ってきたことの方が不思議だった。

「もう何年も会っていらっしゃらないんですっけ」

「ああ。十……二年になるか」

「そんなに?……ここらで一度会っておくのも手かも知れませんよ」

「そうだな……」

 逆井の言いたいことはわかる。実家と決別して、もう少しもう少しと思っているうちに一回りの年数が経ってしまった。

 歳の離れた弟はあの頃まだ学生だったが、もう嫁をもらうような歳になっているのだ。

 会えたら、昔よりはきちんと話せるのかも知れない。

「けど……敷居が高くてなぁ」

 決別したときの惨状は、とても言葉で言い表せるものではない。家族だけに容赦のない言葉をぶつけ合って、両親も弟も自分もずたぼろになった。

 十二年も経てばそれも少しは変わるのだろうか。

「本当に珍しいですね、あなたがそんなにへこむなんて。よっぽど確執が深いんですねぇ」

「お前な……」

 言いづらいことをずけずけと言ってのける逆井のツラの皮の厚さに苦笑し、とりあえず招待状を脇にのける。

 本当は気鬱の理由は結婚式の事ばかりではない。

「とりあえず、外回りに行ってくる。今日はそのまま直帰だ」

「珍しいですね」

「礼の芝居の、関係者だけを集めたリハーサルがある。観て帰る予定だ」

「ああ………四ノ宮朱鷺の『黄昏の国』の舞台ですか。あの本は、いいですよね」

 逆井の口からでた名前にどきりとする。

「……お前も読んでるのか」

「ええ。四ノ宮朱鷺の本はほとんど持っていますね。不思議な……切ない話が多くて」

「………似合わないセリフだな」

「大きなお世話です。ううん、でも、切ないというのとも少し違うのかな。……いつも淋しそうで、けれど最後には必ず、光みたいな余韻を残して終わるんですよ」

「光?」

「ええ。……希望、と言い換えても良いですが」

 それこそ逆井に似合わない詩人のようなセリフだったが、笑う気にはなれなかった。

 彼の覚える感覚が貴志にもわかるからだ。

「……そうだな」

「なんというか……手放し難い本です」

 頷いて、貴志は席を立つ。

 手放し難い。

 その通りだ。今日のリハーサルは演出と照明の最終チェックを兼ねているから、おそらく鴇は来ないだろう。

 けれどあの男の書いた世界を表現するために、貴志には出来ることがある。

 自分で事業を始めた時には考えもしなかったその繋がりに感謝しつつ、今日の仕事をさっさとこなして舞台に備えるべく貴志は足早に地下の駐車場に向かった。

 

 


















 

◇ ◇ ◇

 

 電話を待つだけだった日々が、いつの間にか少しずつ変化している。

 もう散ってしまった花水木の青い梢を眺めながら、ふと月が変わっていたことにも気がつく。

 新刊の書き下ろし分の〆切まで一ヶ月を切ってしまった。  
 そろそろ始めなければと思うのに、ちっともワープロに向かおうという心持ちが生まれない。

 それはこの家に独りきりになった淋しさのせいかと思っていたけれど、どうやらこのところは違うようだ。 

 時というものは優しい。

 今まで何度も、何度も繰り返し、その度に形を変える哀しみを、ぽっかりと胸に空く穴を、少しずつ忘れさせてくれる。

 それは救いだと鴇は思う。

 それと同時に、どんなに過ぎても忘れ切れないものがあるのだと、自身に知らしめる事でもあるけれど。

  電話の鳴る音にふと顔をあげて、仏間に置いてある子機を取り上げる。

「はい。佐々木です」

『……加瀬と申しますが。篠宮鴇さんですか』

 覚えのある声と名前に鴇は息を呑む。この男から電話がかかってくることがあるとは思わなかった。

 何事かが起こったかと急に不安になる。

「加瀬さん?陽になにかあったんですか」 

『いいえ。陽になにかがあったわけではなくて……あると言えばありますが、それは病気や怪我ではありません』

 回りくどい男の言い方に眉を顰める。

「……では、あなたが私に用事と言うことでしょうか?」

『ええ。差し出がましいとは思ったのですが。……篠宮さん、陽は、そちらの様子が分からないことをとても気にしています』

「………」

『いつ電話をかけても大丈夫ばかりで、ちっともそれ以外のことを話してくれないと。大人同士じゃないと話せないのかも知れないから、私がかけてくれとせっつかれました』

「………そうですか」

 苦笑が零れる。笑う以外に出来ることがなかった。

『篠宮さん。……話せないことがあるのもわかりますが、もう少し陽に近況を伝えてあげてください。……本当に、大丈夫なんですか?』

「大丈夫ですよ。……あの子は、心配性だ。両親に似たのかな」 あなたがそれを問うのかと、鴇は危うくそう言いかけた。

 大丈夫かと問われれば大丈夫と答えるしかない。たとえそれがどんな嘘でも。

 鴇にとって大丈夫でいられないただ一つのことは陽が傍らにいないことで、けれどそれは決して口にするわけにはいかない。

 陽を奪っていった加瀬は、多分今、鴇がこの世で一番嫌っている人間だ。 

 けれど彼の傍にいることが陽の望みなのだ。

 荒れる胸の内を鴇は押し殺す。

「近いうちに、私から電話をしましょう。時差を考えるのが面倒でついつい無精をしました」

『お願いします。……篠宮さん、陽はとてもあなたのことを気にかけています』

 当然だ。家族なのだから。

 けれどそれを何故あなたに言われなければならないのかと、理不尽な言葉が口をつきそうになる。

「ええ。わかっています。………私も、陽を心配しています。いつも。加瀬さん、よろしくお願いします」

『はい』

 当たり障りのない挨拶で電話は終わった。

 子機を握りしめたまま、鴇は胸の内の嵐を押さえようと強く歯を噛み締める。

 放っておいてくれ、と言ってしまいそうだった。

 この淋しさは鴇が一人で慣れなければいけないものだ。

 去っていったくせに気遣いばかりを寄越すのは残酷だと、そう思うのは狭量だろうか。

「……本当に……弱い。僕は」

 噛み締める歯の奥から零れだした言葉はざらりとしていた。 大切な、一番大切な人の幸福を喜ぶことが出来ないなんて、なんて酷い話なんだろう。

 不意に、強く握ったままだった子機がまた音を奏でだした。 驚いて、何を考える間もなく出てしまう。

「はいっ」

『鴇か?オレだ』

「……………貴志……」

 ほぅ、と安堵の息が零れた。もしいまこの電話をかけてきたのが陽だったら、何を言ってしまったかわからない。

「どうしたんだい?……電話番号、教えたっけ?」

『この間聞いただろうが。……どうした、声が暗いが』

「え?」

『陽からの電話じゃなくてがっかりしたか』

「……いいや。違うよ」

 貴志の言葉に苦笑する。この間あんな姿を見られているのだ、もう何を言っても言い訳にしかならないだろう。

「違う……ほっとした。今、陽から電話が来たら……言わなくて良いことを言いそうだったから」

『………』

「ああ、ほんとに、なんでもない。忘れてほしい。なんの用事だったんだ?貴志は」

『ああ……明日は、来るのかと思ってな』

「明日?」

『舞台の初日だ。チケット、行ってるだろう』

「ああ」

 そう言えばそうだったと頷く。舞台挨拶をしてくれとまで言われたが人前で話すことは不得手なのでそれは断った。

「うん。担当の人と行くことになっている」

『そうか。……良い出来だったぞ』

「貴志はもう観たのか」

『リハだがな。舞台効果も楽しみにしていろ』

「貴志の会社の演出だね。……うん、君の仕事の成果を観るのはとても楽しみだな」

『そうか』

 照れくさそうな声に思わず笑ってしまう。何を笑っている、という拗ねたような言葉が尚更おかしかった。

『その後で食事でもしよう』

「え……」

『じゃあ、明日』

 一方的に電話は切れてしまった。強引なところはあまり変わらないなぁと思う。

 けれどそのエネルギーは、決して不快なものではない。

「………明日か。何を着ていったらいいかな」

 立ち上がってふと、さっきまでの苛立ちが形を潜めていることに気がついた。

 握りしめていた子機を定位置に戻しながら、いまさらだが国際電話のかけ方を調べないとと思う。

 確かに、陽の電話を待つばかりなのは良くなかった。

 こちらからも掛けて近況を知らせないと、鴇の〆切間際の行状を知っているだけに不安がらせてしまうだろう。

 それがどんなにつらくとも、ちゃんと心を決めて掛ければ、うっかり言わなくて良いことを口走るような羽目にはならないはずだ。

 ようやくそう思えたことにほっとする。

「……貴志の電話のおかげかな……」

 時は移ろっている。

 そして望むと望まざるとに関わらず、人は、変わっていく環境の変化に慣れていかなければいけないのだ。

 






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