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◆◆◆遠い過去の事◆◆◆

 

 自分の部屋で真は苛々と爪を噛んでいた。

 せっかく証拠もとってきたのに、父親が持っていってしまった。おまけになんの説明も無しだ。

 いつでも真に大切なことは話してくれないし、嘘だってたくさんつく。大嫌い、と詰ったことも一度や二度ではない。

「………けど」

 ベッドに背を預けて立てた膝に顔を埋める。

 このベッドは鴻也が買ってくれたのだ。

 和室には前々に会わないけれど、海外の児童文学を読んでベッドに憧れたのでねだったら、笑ってぽんと一番大きなのを買ってくれた。

『やっぱり明里の姪だな』

 明里の部屋のベッドも鴻也が買ったものらしい。

 似てるんだと思ってすごくおかしかったのに。 

「………あれも、嘘だなんて」

 そうは思いたくない。思いたくないのに、謄本の自分の名前の所には確かに養女とくっきり印刷されていた。

 あれを取ってくるのにどれほど勇気がいったか、あの文字を見たのがどんなにショックだったか、父親にはわからないのだろうか。

「やっぱり、待ってなんかいられないわ」

 鴻也はいつ帰るかわからない。

 下手をすれば数日姿を見せないこともあった。そんなに待ってたらこのぐしゃぐしゃになった胸がパンクしてしまうかも知れない。

「……そうだ!狐原なら」

 思いついて飛び上がった。きっと狐原なら知っている。あるいは明里なら。

 真が本当に鴻也の娘なのかどうかを。

 慌ててがらりと障子を開くと、廊下の角っこにいた男が飛び上がる。

「お嬢さん。どちらへ?」

「……なにしてるの?」

 奥の離れは普通鴻也と真の居住区だ。鴻也を呼びに来る場合でもなければ組の者達は立ち入らない。その場合だって楠が呼びに来るのがほとんどだ。

 自然、きりきりと眉が吊り上がる。

「なんでここにいるの」

「へ、へい」

「ここはあたしと父さんのうちよ。なんで入ってるの」

 しどろもどろになる男を見て、まさかと思う。

「……あたしを見張ってるの?」

「は、はい……お嬢さんを表にお出ししないようにと」

「なんでよ!!」

 癇癪が破裂する。

 一言も説明しないで出掛けていったくせに、真の自由まで奪うなんて酷すぎる。

「いいじゃない、どうせ父さんは当分帰ってこないんだし明里の家くらい行っても!!どいてよ!!」

「すみません、お嬢さん」

 ひょろひょろとした若い男だったが、心底困った顔をしながらそれでも脇をすり抜けようとした真を捕まえる。

「離してよ!」

「ほんと、すんません。でもここから出しちゃいけねぇって言われてるんで」

「父さんにはあたしから言うわよ!いいでしょ、明里の家なら!!」

「申し訳ないっす」

 誤り倒しながら、それでも男は強引に真を部屋の中に押し戻す。ぴしゃんと障子が閉じられて、涙を堪えきれず真は真っ赤な眼をしてそれを睨みつけた。

「………ひどい」

 こんな時に狐原にも明里にも会っちゃいけないだなんて。

 ふと思いついて携帯電話を取り出す。父親の番号を呼び出してかけると、無情な声が響いた。

『……この電話は、電源がはいって』

「ひどいっ!」

 腹が立って腹が立って、携帯電話を畳に投げつける。

「………絶対狐原に会いに行ってやるんだから」

 つぶやくと真っ赤になった眼を拭い、暫し迷ってから携帯を拾い上げてもう一度障子を開ける。

 困った顔をした若い男がこっちを見ているのに、あのね、と掠れた声で言う。

「……トイレに行きたいんだけど」

「はいっ」

 部屋を出て右、さらに右のどん詰まりだ。扉の前に立とうとする男を睨みつける。

「あっちに行ってて」

「しかし」

「良いからあっちに行ってて!あそこの角ッこのとこで良いから!レディがトイレにはいるのにその真ん前に立ってるつもりなの!?」

「わかりました……」

 不承不承という様子ながら男が廊下を行った角のとこまで戻ったのを見てから、真はトイレにはいる。

 続きになっている浴室は本宅ほどではないが十分広く、高いところにある窓も真が通るには十分だ。

 ただ、そこに上がるまでの足場がない。

「……そうだ」

 ぐるっと見回して、水をあけて開きっぱなしだった風呂に細長い長方形の蓋を二枚まとめて乗せると、さらにその上に腰掛けを積む。

 高さは十分だったけれど強度の方が問題だ。

「大丈夫よね。あたし、軽いし」

 ぐずぐずと迷っている時間はない。えいっと真は風呂蓋に足をかけ、さらに腰掛けの上に登り、それで首くらいまで来た窓のカギを外して開ける。

 ぎし、と足元から音がした気がして慌てて窓枠に力を掛け、上がった拍子に腰掛けを蹴飛ばしてしまう。

 がらん、と大きな音がして夢中で窓から飛び降りた。

「いたぁ…ッ」

 高い場所から飛び降りたショックに足が軋んで、尻餅をついてしまう。けれど慌てて立ち上がると、真は周りを見回した。

 幸い、ここまで見回りをしている男達は居ないようだ。

「いかなきゃ……ええと、生け垣なら、抜けられるかな」

 一人ごちてするすると動き、角を曲がると、そこにいた男に出くわしてきゃっと思わず悲鳴を上げてしまう。

「佐々木……」

「お嬢さん。……ど、どうしたんですか」

「あのね、お願い、狐原のとこに連れていって欲しいの!」

 今までなんどかだまくらかしたことのある佐々木に真はすがりつく。

「朝送ってくれたでしょ!帰りも、送ってよ!すぐだから!」

「けど、お嬢さん、ここに帰ったんじゃ」 

「忘れ物、したのよ」

 とっさに嘘をつく。

 自分も十分嘘吐きだと思いながら、真は嘘を塗り固めるためのそれらしい言葉を言い募る。

「教科書なの。明日、学校に持っていかないと」 

「は、はぁ」

「明日から学校に行けると思うし、予習しておかないと!大丈夫、ちょっと行ったらすぐ戻るから」

「はぁ………」

 酷く困った顔をして佐々木はちらちらと周囲を窺う。けれど誰か来たらチャンスが消えてしまう。

「ねえ、ちょっと行ってすぐ戻ればばれないでしょ?佐々木のことは誰にも言わないから」

「………」

「ね!」

 強引に勢いを付けて頼み込むと、酷く困った顔をした佐々木がそれでも微かに頷いた。

「よかった!じゃ、行きましょ」

 気が変わらないうちにとさっさと強引に手を引いて真は歩き出す。

 車庫までは幸い誰にも見付からなかった。

 慣れた自動車の後部座席に乗り、佐々木が運転席に座るのを待つ。

「…………」

「え?」

 微かな佐々木の呟きが、聞こえなくて真は尋ねる。

「いえ」

 けれど酷く固い顔のまま佐々木は車を出した。

 元より彼にかまっている余裕など真にはなく、苛々と指先で座席を叩きながら流れていく街並みを流れる。

 けれどそれもほとんど眼には入っていなかった。

 思い出すのはただ、白い紙の上に鮮やかに踊った二文字と、聞き苦しい男の声だけだ。

「…………うそつき」

 ぽつりと父親を詰る声を落とし、ふと顔をあげる。

 見知らぬ街並みに眉を顰めた。

「ちょっと。……近道してるの?」

「………」

「ねぇ!」

「だから……まずいって、言ったじゃないですか」

 酷く強ばった佐々木の声。

 じわじわといやな予感が忍び寄ってくる。

「おとなしくしてれば良かったのに」

「佐々木」

 慌てた真が外に眼をやっても、見たことのない街は、ただ行き過ぎていくだけだった。






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