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 マンションに着いて上を見上げると、案の定明かりが灯っている。なんてわかりやすいんだと呆れ、エレベーターに乗ると最上階のボタンを押した。

 指紋認証がいるこのエレベーターは、住人と住人が登録してある人物以外動かせない。

 チン、と軽やかな音がして狭い箱を出て、ホテルかと見紛うエントランスにただ一つしかない扉を開く。

 途端に耳に飛びこんでくるのは耳障りなほど音量を上げたテレビの音。どうやらバラエティ番組らしい。

 やたら嬌声をあげる甲高いアイドルの声を狐原が嫌いだと知っていてやっているのだ。

「鴻也。うるさい」

 バン、とリビングのドアを開けて言い放てば、たっぷりとした合皮のソファの上にだらだら寝そべっていた男が顔をあげる。

「よぉ。遅いお帰りだな、祐一」

「遅くなる原因をおいていったのは誰だ」

「別にオレが置いていったんじゃねぇだろうが。明里のせいだ」

「真が明里の家に来たくなる原因を作ったのはお前だろう」

「………なんだよ。祐一まで、真の味方か」

 拗ねた三十男など可愛くも何ともない。

 その上相手は狐原より十p近く上回ろうかという上背を誇るヤクザの幹部なのだ。何の因果でこんなものの面倒を見なければいけないのかと狐原は思わず失意のため息を落とし、ぺしりとその頭をひっぱたいた。

 ずっとごろごろしていたのか癖のついた黒い髪は鳥の巣のような有様になっている。

「……なんだよ」

「鬱陶しい。さっさと起きろ。飯は?」

「あー。喰った。……けどまた腹が減ったな」

「まったく……」

 テーブルに散乱しているビールで補給したカロリーは一体どこへ行っているのか。

「ペペロンチーノで良ければ作ってやる」

「喰う喰う」

 だらけながら返事をした男にビールの缶を片づけておけ、と命令しテレビをNHKに変えると、狐原は台所に立った。

 ものの十五分で作ったペペロンチーノと新しく冷蔵庫から出した缶ビールを鴻也の目の前に設える。

「お前は……って、明里の飯食ってきたのか」

「ああ」

「ちぇ。オレだって明里の作った飯が食いてぇのによ」

「オレの料理に不満があるとでも?」

「あ、いや、ないない」

 早食いの得意な男ががっつくとパスタなどあっという間に無くなってしまう。鷹の爪だけいくつか残った皿を見ながら、で、と狐原は問うた。

「は?」

「真は、なんで来たんだ?」

「あーあー。なんかまた男に振られたとかでよ」

「……またか」

「まったくなぁ。見る眼がつくまで恋愛沙汰なんざやめとけっつってんだがな」

 わざとらしく鴻也はため息をつく。見る眼の問題だけでもないと思うが、そんな事は鴻也も真もわかっているのだろう。

「で?お前は、なにを言ったんだ」

「………え」

「とぼけるな。お前が失恋に追い打ちをかけたから真は飛び出してきたんだろう」

「あー。いや。………別に」

 うろうろと落ち着きなく視線を彷徨わせる男は、どうやら酷いことを言ったという自覚があるらしい。

 窓の外の遠いイルミネーションへと逃げようとする眼を耳を掴んで引き戻し、なにを言ったんだ、ともう一度問いつめた。

「……いやー………あんまり、真が泣くからよ」

「ああ」

「そのクソガキをコンクリ詰めにして沈めてやろうかって……」

「………馬鹿だなお前は」

 今度こそ呆れかえって狐原はフォローをさっさと諦める。

「処置無しだ。真の怒りがおさまるまで淋しく暮らしてろ」

「なんだよ、祐一。見捨てるなよー」

 がばっとソファの上で抱きついてきた鴻也の頭をもう一度ひっぱたく。

「重い!」

「疲れてんだ、慰めてくれよ」

「飯を作ってやっただろう」

「腹はふくれたから今度は身体と心の方をよろしく頼む」

「獣かお前は………」

 遠慮もなく身体を辿りだした大きな手のひらにしかめ面をし、狐原は押し退けようとその肩を掴む。

「いいからどけ。後かたづけがある」

「後でオレがやってやるよ」

「うそつけ」

「ほんとだって」

 軽々しく約束を口にする男はこんな時本当にあてにならない。ここで流されれば明日の朝待っているのは置き去りにされて鷹の爪のこびりついた皿とシンクの大鍋だ。

「おい、よせって……」

「やらせろ」

 少し尖った鴻也の歯がはだけたシャツの首元を噛む。

 ちりっとした痛みに狐原は眉を顰めた。

「鴻也?」

「祐一……」

 低い、本気の声が耳元で囁く。

 真のことで拗ねているのだと思っていたが、どうやらそれだけでもないらしい。

 ため息をついて狐原は全身の力を抜いた。

「……ソファが汚れるからせめてベッドまでいかせろ」

「汚れないようにやってやるよ」

「………獣め………」

 いや、発情期が決まっている分獣の方がよほど御しやすい。

 諦めて狐原はのし掛かる男の厚い背に腕を回した。

 











 カチャカチャと忙しくベルトを引き抜く音が闇に響く。

 どんなセックスでも、こうして服を脱ぐ瞬間だけはどうにも間が抜けているなと狐原は思う。

 さっさと一人だけ熱を煽られた腹いせに、ひょいと脚を上げてまだスラックスを脱ぎきらない股間をぞろりと膝で撫で上げてやった。

 鴻也が喉の奥で唸る。

「………祐一。煽ってるのか」

「別に」

 ふん、と笑えばやはり悪辣な笑みを浮かべた男がのし掛かってくる。バラバラと中途半端に脱がされた衣服の中に滑り込んだ指が、灯った官能をさらに煽る。

「……っく…ッ、う、ぁ……ッ」

「もっと声出せよ」

 耳元の荒い息。太股の半ばまで滑り落とされたトランクスとジーンズが脚に絡んで、上手く動けない。

 形を変えた熱の塊が重なって、卑猥な動きに濡れた音が聞こえる。

「……ソファ…汚れる、っつってんだろ……ッ」

「汚れないように、してやる、っつの……」

 ソファは合皮のオフホワイトだ。精液の染みなど付けられたらもう使い物にならない。

 というよりそんなソファに狐原は客人を座らせたくない。

「うわ……ッ」

 不意に鴻也の馬鹿力に軽々とひっくり返されて、慌てて狐原は膝をつく。腹側に潜り込んだ鴻也の大きな手がさらに腰を引き上げて、四つん這いの姿勢に狐原は焦った。

「おい…ッ!」

「こうすりゃ、汚れねぇだろ」

 くつくつと笑う声は明らかに狐原がいやがるのを面白がっている。

「お前のは、オレが零れないように受け止めてやるし」

 ぺし、ともう片方の手のひらが狐原の尻を叩く。

「オレのは……こん中に、全部、出してやるよ」

「………コンドームくらい持ってねぇのか……ッ!」

 罵る言葉は後の祭りだ。

 尻を叩いた手が狐原の背を押さえつけ、舌が背骨の凹凸を一つ一つ辿っていく。大きな口の中にあるその分厚くたっぷりとした舌の感触を、狐原はそれこそ身体のすべてで知っている。

「……は…ッ、ぁ、あ……ッ」

「くっそ……エロいな、お前」

「……ンな事言うの……テメェだけだ……ッ」

「そりゃそうだ。そのエロい顔他の誰かに見せたら、殺すぞ」

 物騒な睦言を囁いた男が、狐原の口に長い指を突っ込む。節がごつごつと浮いた、暴力に慣れた手が口腔を荒らしていく。

 ざらりと舌に触れる感触にああまた指に傷を作っていると思いながら、狐原は鴻也の指を齧った。

「噛むなよ……」

 多少の痛みがさらに雄の興奮を呼び覚ます。

 鴻也は、そう言う男だ。

 誰にも、本人にすら言ったことはないが、この男がヤクザという世界に身を置いたのは多分彼にとって一番楽なことだったのだろうと思う。

 世間、というものの埒外で、暴力に関わって生きることは、おそらく鴻也の必須だった。

 口を犯し尽くした指が引き抜かれ、尾てい骨を伝って尻の狭間に辿り着く。

「……ッ」

 最初の違和感を、狐原は唇を噛んで飲み込んだ。

 どんなに慣れていても、そこはやはり排泄器官だ。そうたやすく女のように拓けはしない。

 性を商売にする男ならば違うのかも知れないが、狐原はそういうものではなく、知りたいとも思わない。

『……まぁ、似たようなモンだが』

「なに考えてやがる」

「うぁ……ッ」

 中に射し込まれた指がぐるりと内壁を抉って、狐原は肩を跳ねさせた。

「ぼうっとすんな。……オレのことだけ考えてろよ」

「………この……我が儘男め……ッ」

 結局絆されてしまう自分も自分だ。

 視界がやけにクリアだと思ったら、そういえば今日は情事の前に眼鏡を外すことさえしていない。

 闇にすぐ紛れてしまうはずのカーテンや家具が、くっきりと見える。

 その向こうの遠い新宿のイルミネーションも。

 ずるっと指が引き抜かれて、代わりに鴻也の雄があてがわれる。まだ早い、と抗議を申し立てる暇もなく慣れた塊が押し入ってきた。

「……ぅ、く……ぁあ…ッ」

「くそ……あっちぃな、お前ン中……ッ」

 ぜいぜいと耳障りなのは自分の呼吸だ。痛みよりも、違和感が怖い。久しぶりなので尚更だ。

「……ぁ…ッ、鴻也、もっと、ゆっくり……ッ」

「待てるかよ」

「……ひぅ…ッ」

 いつもより苛立った男が、いつもより性急にすべてを収めようとする。揺さぶられて、割り拓かれて、狐原は思わず高い声をソファに飲み込ませた。

 正気なら聞けないような声。

「いい、声で……啼くよな……祐一」

「……ん、ふぅ……ッ、う、ぁ、アア…ッ!」

「くっそ……」

 興奮した男が乱暴に腰を使う。

 聞くに堪えないような濡れた音が使い慣れたリビングの高い天井に響き、狐原もそれを掻き消すような掠れて甘い声を上げた。

 中を掻き回す熱はいつも脳味噌までぐちゃぐちゃにする。

 真っ白になって、悪態の一つも出てこない。

「……こ、鴻、也……ッもうッ」

「ああ……ソファは、汚さないで……いてやるよ…ッ」

 腹を支えていた手が下肢に滑り、狐原の熱を荒々しく擦り上げる。

 駄目、と思ったけれど遅かった。

「……っ…く……ッ」

 白く弾ける。

 一瞬の、解放の死。

 ぶわっと身体の奥の奥からなにかが弾けるような感触が過ぎ去ると、さらにもう一つの波が襲ってくる。

 男の吐き出した精が、じんわりと中で広がっていく。

 酷くなまめいた呻き声が自分の背の上でして、狐原は、微かに震えるとまだ自分の体内にいる男を絞り上げた。

 


















 

「だいたいさー、もー信じらんないのよあの男ッ」

 少女の声はとても甲高い。

 まだ喋っているのかとうんざりして、イチは廊下で足を止めた。イチとさくらが間借りしている部屋からは、明るい光と一人喋る少女の声が漏れている。

 さくらの相づちは小さすぎて聞こえない。

「あたしの好きだった男の子をさ、コンクリに詰めて東京湾に沈めてやろうかとか言うんだもん!!そりゃあたしはつき合えないってゆわれて泣いたけどでもそれって彼が悪いんじゃないじゃない?」

 そうだね、とさくらが言ったのかどうか。

 真の声が一際甲高くなる。

「でしょ?あたしだってさ、自分がふつーのうちの子でヤクザの子に付き合ってって言われたら引くもん!結局原因はうちの親父なのよっ」

 一概にそうとも言い切れないがそこに落ち着きたい気持ちは分からないでもない。

 がらりとイチは障子を開ける。

「あ、イチ」

 ほっとしたようなさくらの声。背を向けていた真がくるりと振り向く。

 黒髪できりりとした顔つきの真と柔らかくカーブのかかった猫っ毛で線の細いさくらが並んでいると、まるで姉と弟のように見えて思わずイチは笑いそうになった。

「さくら。風呂」

「あ、うん」

「ええー」

 途端に真が不満そうな声を上げる。

「じゃ、あたしも一緒に入ろうかな」

「ええ?」

 狼狽えた声を上げるさくらに、イチは仕方なく割ってはいる。

「真はもう入っただろう。第一、さくらはこれでもれっきとした男だ。忘れてるのか」

「忘れてないけどさー。いいじゃない、子供なんだから」

「都合のいいときだけ子供ぶるな」

 始めは拗ねていた真は、すぐに二人に馴染んだようだった。

 歯に衣着せぬ辛辣なイチよりも、大人しいさくらがお気に入りのようで、ちょろちょろとついて回っている。

 一緒に暮らしていた咲希も良く喋る少女だったが、真は勢いが違う。何くれとなくぺらぺら喋りかけられて、さくらは眼を白黒させていた。

「じゃあ……お風呂、入ってくる」

「ああ」

 さくらが出ていってしまうと、途端に真が居心地悪げに身動いだ。肌寒くなってすぐに明里が出してきた一畳の電気カーペットの上に丸くなった巴の背を撫でて、上目遣いにイチを伺っている。

「なんだ」

「……あのね」

 猫のような形の眼は、父親にまったく似ていない。

 そう言えば彼女の母親はどうしたのかとふと気付く。

 息災なら、男が情人だと娘におおっぴらに知らせる事態など許しておくだろうか。

「あのね……明里の、恋人って、ほんと?」

「………ああ」

 暫しの間を置いて、それでもイチははっきりと答える。

「ふーん……明里のどこが好きになったの?どうやって知り合ったの?明里が父さんの弟だって知ってた?ヤクザだって知っても、怖くなかったの?」

「………喋りすぎだ、お前」

 矢継ぎ早な質問にイチは呆れかえる。

 これが聞きたくてずっとこの部屋に居座っていたのだろう。

「お前って言った」

 ぷっとふくれる顔は可愛くなくもないが、甘やかしてやろうと思うには真はいろいろと達者すぎる。

「真って呼んでよ!ちゃんと名前があるんだからね」

「わかったわかった」

「もう!それで?どうなの?」

 問いつめる真にイチは苦笑する。彼女が問いたいのは、自分のことだ。

「……………明里は、明里だろう」

「え?」

「あの男が兄でも、誰が父親で母親でも、明里は明里だ。……そう言うことが聞きたかったんだろう?」

 難しい顔をして真が考え込む。

「………父さんとかは関係ないって事?」

「そうじゃない。………あの男が兄だってこともひっくるめて、それでも、明里がいいんだ。大変なことや……どうしようもないことがあっても」

「………」

 ぱっと真が顔を赤らめる。

 本当に表情がころころ変わる少女だ。素直な反応が珍しくて、思わずまじまじイチは観察してしまう。

「んもう!そんな顔で見ないでよ、イチってばすっごく綺麗なんだもの!恥ずかしくなっちゃうじゃない。……でもなんか、言うことの方が顔よりもっとすごいかもー」

「………なにがだ」

「ええ、だってなんかすっごく熱烈じゃないイチってば!やーん、恥ずかしい〜」 

 真っ赤な顔をしてくねくねと身悶える真に未知の領域を見た気がして思わずイチは引いてしまう。

「ううん、じゃあ、あたしもそんな相手を捜さないとダメってこと?ええと、お父さんがお父さんでもあたしが良いって言ってくれる人を?」

「………まぁ、そう言うことだな」

「難しいなぁ」

 くっついて寝ている巴とペン太を二匹とも腕に抱えるようにごろりとはらばいになって、真が唸る。

「だってみんな、あたしと遊んでくれないんだもん。仲良く喋ってもくれないし、第一、話してることがつまんないの。中学になったら少しは友達も出来るかなー」

「……さあな」

「なによー、出来るって言ってよ。……でもいっか、これからはさくらとイチがいるし」

「…………」

「あたしと遊んでくれるでしょ?可愛い姪っ子なんだし」

 ね?と可愛らしく問われて、誰が誰の姪っ子だとイチはため息を落とした。






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