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◆◆◆雷鳴の春◆◆◆

 

 狐原の顔を見るなり、真は鴻也の手を振り解いて駆け出してきた。

 どうした、と聞く間もなくしっかりとしがみつき、狐原の腹に顔を埋めて泣き出す。

 頑是無い子供が駄々をこねるような手放しの泣き方に驚いて鴻也を見ると、苦々しげな顔で視線を逸らした。

「………取り敢えず、頼む」

「ああ」

 一時も顔をあげようとしない真を促して狐原は奥へと連れて行く。明里が黙って二階を指差した。

 頷くとひょいと真を抱え上げて、階段を昇る。

 がっしりとコアラのようにしがみつかれたが、もう小さくはない身体を抱き上げて階段を昇るのは、意外に骨が折れた。

「重いな。お前」

「………うるさいわね…っ」

 啜り泣き混じりだったが返事が返ってきて、取り敢えずほっとする。

 明里の部屋に入り、電気をつけてベッドの脇に腰を下ろすと、狐原に抱きついたまま随分長く真は泣き続けていた。

「……落ち着いたか」

 小さく肩が震えるくらいになったときに、ようやく狐原は声を掛ける。

「………ティッシュ」

「は?」

「ティッシュ、ちょうだいよ……」

「ああ、ぐしょぐしょだからな」

「はやくっ」

 箱ごと渡してやると何枚も引き抜いて、ぐしゃぐしゃと顔中を拭った後にちーんと鼻をかむ。

 それを何回か繰り返して、ようやく真は落ち着いた。

「喉が渇いたろう。なにか持ってくる」

「いいっ!ここにいてよ!」

 立ち上がりかけたのを真の手が阻んで、そのままぎゅっと狐原のシャツの袖を掴んだ。

「どうした。怖い目にあったのか」

「こ、怖かったけど……っそ、それよりね……っ」

 まだ時々嗚咽に引きつる真の話は、さすがにいつも喋り慣れているだけあって理路整然としている。

 罵倒して股間を蹴り上げたくだりには、思わず笑い出しそうになって真に睨まれた。

「それで、それでね…ッ、さ、佐々木、おばあちゃんが人質にとられてて、脅されてたの。仕方なかったのよ。……そ、それなのに、父さんね」

 舌足らずな口調はまた泣き出しそうになっているせいだろう。真っ赤になった大きな眼が潤む。

「父さん、佐々木の腕を、折ったのよ!け、けじめを付ける、とか言って、しょうがなかったのに!……っぼ、ボキッて……すごい、痛そうな音がして……っ」

 あの男達より酷いわ、と泣き出す少女をやれやれと狐原は腕に抱き寄せる。

 いずれはこんな日が来ると思っていた。

 予想よりも遙かに早かったが。

 またひとしきり泣いた少女が顔をあげると、狐原はその眼を覗き込んだ。

「真」

「……なに」

「酷い顔だな」

「なっ……むぐっ」

 ティッシュでもう一度顔中を拭ってやる。

「ちょっとっ、乱暴しないでよ!皮が剥けちゃう」

「剥けるか。それだけ厚い面の皮が」

「ひどーいっ」

「真」

 不意に真面目な声で名を呼ぶと、少し不安げな顔をした少女が瞬きをする。

 長い睫も、絵に描いたような綺麗な眼の形も、本当にあの人に似ている。

「お前の親父はな。ヤクザなんだ」

「………知ってるわ」

「ヤクザの世界にはヤクザの論理がある。それは、世間一般、取り敢えず普通に生きてるカタギのオレ達とは違う」

「……………」

「ヤクザの世界は、組が家族みたいなモンだろう。お前もそう思ってるはずだ」

「………うん」

 微かに真が頷く。

 人は産まれる場所を選ぶことが出来ない。それに耐える強さを真が持っていることは、本当に稀有な幸運だと思う。

「組を裏切ることは許されない。一番に優先する、そう言う約束がヤクザにはあるだろう」

 それがどんな建前でも。

「でも。おばあちゃんが」

「佐々木は、組と祖母を天秤に掛けて祖母を取った。それは、許されないことなんだ」

 そういうものを、望む世界だ。

 それが出来ないのならば佐々木はどんな理由があってもその世界へ踏み入るべきではなかった。

「……ッ」

 唇を噛み締めた真がぽろぽろと涙を零す。

「あ……あたしが、部屋から出なきゃ、良かったんだわ」

「真。それはお前が後悔することで、佐々木が付けなきゃいけないけじめじゃない」

 いつでも人は、その行いの責を担わなければならないのだ。

 けれどその重さを理解するには真はまだ幼すぎる。

「真。鴻也が折ったのは、どっちの腕だ?」

「み、右だった……けど」

「佐々木は左利きだろう」

 しゃっくりのような声を漏らし、暫し沈黙した真が、そうだったわ、と小さな声で答える。

「置いてきた祖母を捨てておけないようなら、ヤクザは向いていないと思うがな」

「………優しかったのよ。ちょっと気が弱くて」

「なら、こんな場所に居ずにどこかに帰って、まっとうな仕事に就いた方が幸せだろう」

「……………」

 暫しの沈黙。

 身動いだ真が少し困ったような顔で狐原を見上げ、何事かを真剣に考えているのがわかった。

「………父さん」

「ああ」

「手加減、したんだと思う?」

「指は取らなかった。佐々木は若いから、綺麗な骨折なら二月もすれば全快すると思うがな」

「………………」

 その後はなにも言わず、ずっと真は考え込んでいた。

 頃合いを見計らって声を掛ける。

「もう随分遅いぞ。腹は減ってないのか」

「………いらない」

「じゃあ、寝ろ」

「……………」

「今日は一緒に寝るか?」

 子供じゃないのよ、と真は怒ったような顔で言い、けれど狐原にもう一度ぎゅっとしがみついた。

 

 
















 真夜中にぽっかりと眼を覚ました。

 暗い中で、徐々に視界がはっきりしていく。

 天井の木目を眺めながら、暗闇の中でそれでも眼が見えるのは不思議なことだなと思う。

 どこかから光が射し込んでいるのだろうか。

 微かに聞こえる、狐原の呼吸。

 枕を並べて同じ布団で眠るのに、まるで小さな頃に戻ったかのような気恥ずかしさを覚える。

 くるりと寝返りを打って、狐原の方を向く。

 考えなければいけないことが幾つもあった。

 闇の中、深い眠りの後の冴えた眼で、真はいつまでも眼を覚ましていた。

 
















 

 翌日は朝っぱらからどんよりとした空気が食堂に満ちていた。

 どうやら夜通し酒を飲んでいたらしい鴻也と明里は二日酔い特有の濁った目つきで親の敵のように目の前に並べられた食事を睨んでいる。

 イチとさくらは早くから真に叩き起こされ、まだ眠そうだ。

 狐原は真より早く起き出して朝食の支度をした。

 どうせ今朝は明里が使い物にならないだろうと言う予測がついていたので。

 なにがしかの意に添わない出来事が起きると、明里か狐原を酒に付き合わせるのは鴻也の常だ。

「…………祐一。みそ汁だけくれ……」

「オレも…………」

 情けない声でそう言う二人に、真が甲高い声で笑う。

「だらしないの!父さん、どれだけ飲んだのよ?すっごい白い顔、明里も!」

 その高い声が頭に響くらしく、二人は呻き声を上げる。

 いつもと同じような朝食の席に、それでもなにやら不穏な匂いを感じるらしく、片隅で同じように食事をしている犬猫達がちらちらとこちらを伺っていた。

 原因は、やたらな真の躁状態だ。

 朝から皆を叩き起こし、お腹が空いたと狐原に喚き、朝食の間も始終話し続けている。

 けれどその騒がしさも少しずつ収まった。

 嵐の前の静けさだ、と狐原は思う。

 朝食が終わり、何となく隣の事務所兼居間のソファに皆が移ると、真は鴻也の正面、狐原の隣に陣取った。

 食後のお茶はイチとさくらが運んできた。

 目の前に湯飲みを置かれて、ありがとうとさくらに言った真が、顔をあげて鴻也を見る。

「父さん」

「………なんだ」

「あたしを、囮にしたの?」

 真の問いに鴻也が顔を顰める。

「なんのことだ」

「うそつき」

 一言で断じた真がぽいと携帯電話を机の上に置く。

「楠がこの間機種変してきた携帯。これ、GPS機能が付いてるんでしょ」

「取り上げられなかったのか?」

「………多分知ってたけど、佐々木。知らないふりしてたのよきっと」

 どうだか、という風に鴻也が肩を竦める。

「どうなのよ」

「…………まぁな。お前がいつどこで災難に遭うかわからねぇと思ってたんでな」

「嘘。楠が携帯変えてきたの、ほんとについこの間よ。

……佐々木を疑ってたんでしょ」

 真の声は少しも震えなかった。

 事実を淡々と述べて、鴻也から真実を引き出そうとする。

「父さん。……あたし、ほんとに父さんの子供なの?なんで戸籍に養女って書いてあったの」

「またその話か。ああ、お前はオレの娘だ。戸籍上は養女になってるが、間違いなくオレの種だっての」

 早熟な少女が微かに顔に朱を掃く。

「………母さんと籍は入れなかったって事?」

「ああ。お前の母さんは、一人でお前を産んだ」

 真が顔を伏せる。

 うそつき、という掠れた声がその紅い唇から零れた。

「うそつき。うそつき。あたし、父さんのこと、良く知ってるわ。平気でうそが付けるでしょう」

「そうか?」

「そうよ。……あたしと父さん、良く似てるもの」

 真が顔をあげる。

 くるりと向き直って、隣に座っていた狐原を睨むような眼で見据える。

 周囲はこの親子喧嘩、絶対避けることの出来なかっただろう確執に誰一人口を挟むことをせずに、ただ見守っている。

 まったく良くできた連中だよ、と内心で狐原はため息を落とす。

 いっそここで口出しでもしてくれれば真の言葉を止めることが出来るだろうに。

「狐原。あたし、父さんの子供なの?」

 戦慄く唇で、震える声で、真がそう問うた。

 あの人によく似た眼には今は零れ落ちそうな涙が溜まっていて、けれどそれを許すまいといっそう強い光を浮かべた眼差しが狐原を睨み据える。

「教えてよ。…………あたし、狐原の言葉なら信じられる」

「…………」

「狐原、あたしに、うそつかないもの。父さんにも、あたしにも、絶対うそつかないもの」

 ああ。

 ため息が零れる。

 鴻也、真は本当にお前の娘だよ。

 一体どれくらいのことをオレに望んで、どんな信頼を託そうって言うんだ。

 それがどれだけオレの重荷になるかなんて、考えてもみないんだろう?

「……馬鹿なのか、お前は」

 ため息をつく。

 呆れ果てた、という。

「あのな。真。よくよく鏡見てみろ。それだけ似てて、どうしてお前、鴻也と血が繋がってないと思えるんだ?」

 不意をつかれたように真が息を呑む。 

 戻った視線がしげしげと鴻也を眺めた。

 けれどその鴻也の眼を見ることは出来なくて、狐原はため息に紛らわせて視線を落とす。

「間違いなくお前は鴻也の娘だ。オレが保証してやる。

………詳しいことは鴻也に聞くんだな」

「………うん」

 真が微かに頷いて、手を伸ばして父親の手を取る。

 ごめんなさい、という小さな声が聞こえた。






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