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    ◇◇◇

 

 連れて行かれた先は古ぼけた雑居ビルの一室だった。

 ひとさらい、と喚き立てて逃げようにも回りに一人の人影もないのでは仕方がない。

 車一台ぎりぎり通れるような狭い路地のどんづまりで降ろされて、腕を引かれる。抗おうとすると、見慣れないものが目の前に突きつけられた。

 黒い銃口。

 それがトカレフという名の、旧ソ連軍の軍需工場からマフィアに横流しされてきた品だと言うことなどもちろん真は知らなかったが、拳銃だと言うことはわかる。

 鴻也の朱雀会では扱っていないものの筈だ。

「………手が震えてるわよ」

「お願いです。お嬢さん。おとなしくしてください」

 真の声も引きつっていたが、真を捕まえている佐々木の方がよほど震える声をしている。かたかたと震える指先が今にも引き金を引いてしまわないかとざっと血の気が引いた。

「暴れないでください。頼むから」

「へぇ。頼むの。銃で脅して?」

 心底怯えているが、それでもつい減らず口をたたいてしまう。

 真の腕を掴んだ佐々木が、ビルの狭い戸口の中へ彼女を引きずり込んで、扉を閉めた。

「先に歩いて、二階に行ってください」

「…………」

 震える膝は、それでもどうにか脚を進める。

 泣き叫ばずにいられるのは、まだこれが現実とわかっていないからかも知れない。固いはずのタイルの床は、どうにもふわふわしている。

 階段を昇り、二階の正面に一つ切りあった扉を開ける。

 中は殺風景な事務所だった。

 机こそ奥に一つ置いてあるものの、書類棚の中には埃を被ったファイルがいくつか並び、ソファセットは合皮が破れて中のスポンジが飛び出している。

 大きな窓を背にした一番奥の机の椅子に、真は座らされた。

「………それで、あたしをどうしようって言うの」

「…………さすが、東乃さんのお嬢さんだ。落ち着いていらっしゃる」

 佐々木が唇をひん曲げた妙な顔をして、泣きそうに笑う。

 カタカタと震える手は真に向けた銃口を下ろしていたが、飛びかかってもどうにか出来るとは思えない。

「あんたも……青龍会ってとこの味方なの?もうあそこの件は片づいたんでしょう、どうして今更あたしをさらうのよ」

「オレも知りません」

「………なんでよ」

「言いつけられただけですから」

「だからっ、なんで、青龍会の命令を聞くのよ!あんた、父さんの手下なんでしょ!!」

 佐々木は、もう三年くらいはあの家に出入りしているはずだ。

 三年生の時学校の送り迎えについてきたのを覚えている。

 ひょろひょろしているのがなんだけれど、あまりヤクザっぽくないし真に優しくしてくれるので、荒々しい手合いばかりの父親の組では結構好きな相手だったのに。

 悔しくなって、真はさらに怒鳴ろうと唇を開きかける。

「うるせぇぞ」

 けれど唐突に戸が開いて声が聞こえたので、ぴたりと口を閉ざした。開いた扉の向こうから、いかにもちんぴららしい男達が三人、入ってくる。

 その内一人には見覚えがあった。狐原と共に青龍会に行ったときに見た顔だ。

「お嬢さん。ちっと、静かにしてろよ。済んだら、無事に帰してやるからよ」

 最初に入ってきた男がそう言って笑う。

 どうやらこの男が一番偉いようだ。まじまじと、小太りな中年男を頭から爪先まで観察して、もう一度佐々木に向き直る。

「ちょっと。どうしてあんな男の命令なんて聞いてるのよ!」

 腹が立って腹が立って、口を止めることが出来ない。

「あんな太ったハゲの狸爺よりもあたしの父さんのほうが一万倍格好良いじゃないのよ!!威厳だってあるし強いし!!なにが良くてあんなのになびいたわけ!?」

「こ、このクソガキ……」

 佐々木は困ったような顔をして口をぱくぱくし、小太りな男は顔を真っ赤にして、その後ろの二人の男は怒ったような振りをしながらも口元が今にも緩みそうになっている。

「あんなののどこが良いのよ!背だって父さんより低いし、顔は全然醜男だし、こんな事態になっちゃうような馬鹿なことしでかしたんでしょ、頭だって悪いじゃない!!」

「いい加減にしろ!」

「……ッ」

 ずかずかと近寄ってきた男が手を振り上げた。思わず真はぎゅっと身体を固くする。

 けれどしっかりと見開いた目の前に、黒い影が割り込んだ。

 ばしっ、というどこか間抜けな音。

「……どういうつもりだ。佐々木」

 唸るように低い男の声。

「裏切るのか、ええ?」

「………そんなつもりは、ないです」

「わかってるんだろうな、ええ?テメェ、逆らえると思ってるのか」

「いいえ。いいえ。す、スミマセン。で、でも、殴られたら、お嬢さんが」

「一発や二発はかまわねぇだろう。どきやがれ」

 いいえ、いいえとまるで凍えているようなぎこちない動きで佐々木が首をふる。

「……っお、お嬢さん、心臓が悪いんで」

 は、と真は思う。そんな話は我が事ながら聞いたことがない。

「あの、ちょっとの刺激でも、すぐ狭心症の発作が、起きるんで……さ、さらっただけでも大変なんで、殴ったりしたら、死んじゃうかも」 

 必死の声は呂律が回っていないが、良くもこの場でこれだけ嘘を並べられると思わず真は感心した。

「心臓だと?聞いたことがねぇがな」

 実に不審たっぷりな顔で男が肩越しに真を睨む。

「と、東乃さん、隠してたんです……身内以外には」

「ふん。まぁいい。じゃあこのガキの責任は、お前にとってもらうとすっかな」

「え……」

 鈍い音がして、佐々木がもんどり打って倒れる。

 声も出せずに真は息を呑んだ。転がった佐々木の腹に、さらに男が蹴りを叩き込む。

「ちょ…ッ!や、止めてよ!死んじゃうじゃない!!」

「おお、お優しいねぇ。こいつにさらわれてきたってのに」

 残った二人のうち一人は暴行に加わり、さらにもう一人は立ち上がって止めようとした真の肩を掴んだ。

「心臓が悪いんだろう?お嬢ちゃん。黙って座ってな」

「はなして!心臓なんて悪くないわよ、佐々木が死んじゃうじゃない、止めてよ!」

「へぇ。じゃ、こいつは嘘をついたってわけだ。なら懲らしめてやらねぇとな」

 男の下卑た笑みを見て、真は口を噤む。

 どういったところでこの男が佐々木をいたぶるのを止める気がないと悟ったからだ。 

 聞くに堪えない音が暫く部屋に響いた。

 裂けそうなほど眼を開いて、真は目の前で佐々木がぼろぼろになっていくのを見つめる。

 やめてよ、と叫ぶことももう出来ない。

「ったく……余計な手間とらせやがってよ」

 やがて一通り気が済んだのか、息を切らせた男がペッと唾を吐きかけて暴行を終わりにする。

 もう一人の男も手を引き、小さく丸まった佐々木が微かに呻くのに真は少しだけほっとした。取り敢えず生きている。

「さあ、お嬢ちゃん。こうなりたくなかったら暫くその良く動く口を閉じてな。連絡が来るまでな」

「………一つ聞かせて」

「んん?なんだ。こう見えても女子供には優しいんだ、答えてやるぜ。生意気な口さえ叩かなきゃな」

 真が小さく震えて強ばっているのを感じ取ったのか、肩に置かれていた手が離れる。

 すっかり怯えているものと思っているのだろう。

「佐々木は……なんであなたの命令を聞いてるの」

「オレの?お嬢ちゃんの父親より劣るようなオレの命令をなんできいてるかって?」

 男はいたぶるような猫なで声を出しているが、それが怯えた真への恫喝の一つであることは明らかだ。

「………お願い。教えてよ」

「お願い、か。大分素直になったな、お嬢ちゃん。簡単なことさ、あの男はお前ら親子より自分の身内を取ったんだ」

「……………」

「老い先みじけぇ薄汚れたばばあだってのによ。まったく、ばあちゃん孝行な話じゃねぇか。なぁ?」

 声高に男がそう言って、真を囲んだ男達は一斉に笑い出す。

 床に突っ伏したままの佐々木の体が震えて、爪が床を掻いた。啜り泣きと、ばぁちゃん、と呼ぶ細い声。 

「………だわ」

 微かに真が呟く。

「えぇ?なんだって、お嬢ちゃん」

「……………」

「聞こえねぇなぁ。あんまり怖くって舌も動かなくなったか?そこでちびるなよ、トイレなら隣にあるからよ」

「……………だっていうの」

「はぁ?」

 佐々木に手を出した男が、小さな真の声を聞き取ろうと近づいて身体を屈める。 

「……っこの最低のデブの狸爺って言ったのよっ!!!」

 思いっきり脚を跳ね上げる。

 過たず靴の爪先が男の股間を蹴り上げて、この靴はあとで捨てないととちらりと考えた。

 がに股の男が、ぐぁうと動物のような声を上げて倒れかかるのを間一髪で擦り抜け、ドアに走る。

「…っのクソガキ……!!」

 後少し。

 指先がノブに届く。

 その時不意に、それが開かれた。息を呑んで手を引っこめると、後じさるより先に延びてきた手が真の肩を掴んで強く引く。

 扉の外に押し出される。

「……っ父さんッ!!」

 たたらを踏むと、扉の外にいた楠に抱きとめられる。

 バタンと目の前で閉まった。

 中では男達の悲鳴と怒声、さっきよりも酷い聞いたこともないような鈍い音。

「父さんッ!佐々木にはなんにもしないでよ!!事情があったんだからッ!!」

 中でどんな暴力が行われているかが察せられて、真は夢中で叫ぶ。

「父さんッ!!」

「大丈夫ですよ、真さん。取り敢えずは」

 楠が耳元でそう言ってくれる。

「少しだけお待ち下さい。三分で済みます」

「…………父さん、殺しちゃわない?平気?」

「平気でしょう。……多分」

「多分ってなによぅ…………」

 三分は、すごく長く感じられた。

 実は十分くらい経っていたのかも知れない。音が止んで、ドアが開き、鴻也が顔を見せる。

「楠。あの三人、連れてかせろ」

「はい」

 楠の後ろに控えていた朱雀会の若い男達がどやどやと部屋に入っていく。

「見ない方が」

「ううん」

 死んではいないらしいが死にそうな男達が次々に運び出されていき、最後の一人がドアをくぐると同時に真は部屋の中へ飛びこんだ。

「真さん!」

 焦った楠の声にかまっている暇など無い。

 怪我一つなく立っている鴻也の足元に、佐々木はまだ転がっていた。

「佐々木!」

「おっと」

 真が駆け寄るのを、鴻也が抱きとめる。

「父さん!佐々木、死んでないわよね!?」

「ああ。大したこっちゃねぇ」

「だってすごいぼこぼこに蹴られてたのよ!」

「死体は作ると面倒だからな。やり方は心得てるさ」

 その時、よろよろと佐々木が身体を起こした。立ち上がろうともせず、鴻也の足元に頭をすりつける。

「す、スンマセンした……!」

「謝って済む事じゃねぇのはわかってるな?佐々木」

「は、はい……ッ」

 すみません、すみませんと繰り返して地に頭を擦りつける佐々木に仰天して真が屈もうとすると、鴻也の手がそれを押しとどめる。

「なによ!父さん、しょうがなかったんだから!佐々木、おばあちゃんを人質に取られてたって」

「ああ。青龍会の近くのビルにいたな。ついでだ、助け出しといたぜ」

「ほ、ほんとですか……」

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔で佐々木が鴻也を見上げる。

「ば、ばあちゃん生きてるんすか。け、怪我とか」

「さあな。オレの知ったこっちゃねぇ」

「お元気だったようですよ」

 楠の声が真の背後からそう言って、再び佐々木が号泣し出す。

「す、すん、ません、すんません……ッありがとうございます……ッ!!」

 もういい、と言って真は佐々木を立ち上がらせようとしたけれど、鴻也がそれを許さなかった。

「楠」

「はい」

 楠に引き渡されて、しっかりと捕まえられる。

「なに?」

「佐々木。わかってるな。けじめ、付けてもらうぜ」

「………は、はい……ッ」

 震える声が、それでも返事を返す。

「ちょっと……!けじめってどういうこと!?父さん、佐々木、あたしのこと守ってくれたのよ!それでそんなにぼろぼろになったの!!」

「腕一本で勘弁してやろう」

 真の声にかまわず鴻也は先を続ける。

「………は……は、い……」

「そんで、二度とその面見せるな。婆さんと田舎に帰るこったな」

「……ッ」

「ちょっと…!父さん、しょうがなかったって言ってるじゃない…!!」

「真」

 名を呼ばれて息を呑む。

 振り返った鴻也の眼は、今まで見たこともないほど鋭かった。「仕方がないで済む事なんてな、世の中にゃ何一つねぇんだよ」

 鴻也の手が佐々木の右腕に掛かる。

 止めて、と叫ぶことも出来ないまま、人の骨の折れるぼきりという鈍い音を、真は生まれて始めて聞いた。

 呻き、脂汗を浮かべた佐々木が腕を抱えて蹲る。

「いいな。さっさとこの街から消えろよ。楠、婆さんの所まで連れて行ってやれ。真はオレが連れていく」

「………」

 声を上げることも出来ないまま真は鴻也に抱き上げられる。

「明里の家に行くからよ。今夜は帰らねぇ」

「いってらっしゃいませ」

 父親の肩に爪を立てて、真は佐々木を見つめながら連れ出された。

 涙と汗でぐしゃぐしゃの顔をした佐々木がそれでも起き上がって、二人に深々と頭を下げたのが最後に見て取れた。

 






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