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 母屋の裏にあった馬小屋に灰色の馬を繋いで飼い葉と水をやり、自分の食事も終えて、リベルテは診察室で机に向かっていた。

 とりあえず手元にある薬品や資材を書き出して、不足しているものをリストにする。明日の午前はミレイが母親を連れてくるはずなので、午後にでも時間が空いたら町に買い足しに行かないとならない。 

 鉄道の運転手に頼んで、都から貴重な薬品も何種類か取り寄せておかなくてはいけないようだ。

「あ、カーテンもだ……」

 思い出してリストに書き加えたところで、不意にドンドンと扉が鳴った。驚いて椅子から跳ね上がってしまったが、慌てて気を取り直す。

 医者の家の扉が夜に叩かれる理由など決まっている。

「はい!急患ですか…!」

 慌てて鍵を外し、扉を開けると押しのけるような勢いで男が姿を見せた。

「邪魔するぜ。先生」

「あ、はい。患者はどこに?」

「ああ。まあちょっと、入れてくれよ」

 言うなり、リベルテを部屋の奥に追いやるように男が三人、診療所に入ってきた。皆上背はリベルテより高く、鋭い眼をした男達だ。

 三人を順に見回して、最初に入ってきた男にリベルテは話し掛けた。

「あの。どなたが病気なんですか?」

「ああ。オレ達三人ともだ」

「三人とも、ですか?風邪ですかそれとも伝染病でも……」

 とりあえず問診をしてカルテを作ろうと、机に向かったリベルテの肩を男が掴んだ。

「あの……」

「オレはギースだ。よろしくな、先生。長い付き合いになるだろうからな」

「あ、はい。リベルテです、どうぞよろしく…」

「それからこっちはウェイドにカーチス。まあ、先生がオレ達に見覚えが無いのも無理ねぇな。アルフェサーでは挨拶しなかったしな」

「あ……」

 ようやくリベルテは気付いた。男達は皆揃って似たような服を着ている。アルフェサーの鉱山で、ハーミットが着ていたのと同じものだ。

 三人の顔を順繰りに見回して、そこに浮かぶ笑みが決して好意的なものではないことにも気付いた。

「……アルフェサーの囚人の方々ですか」

「その通り。その方々さぁ」

 リベルテの言い様のなにが可笑しかったのか、ギースと名乗った男が笑った。赤毛でまだ若いその男はそうして笑うとずいぶん人なつこいように見えるのに、リベルテを値踏みするような眼だけが笑っていない。

「何の用です。採掘中に怪我でもしましたか?」

「いいやぁ。病気だっていったろ、先生。薬を処方してもらいてぇんだよ」

「薬?」

 けれど男の言うような病など、姿からは少しも見受けられない。服を着た上から診察していても埒が明かないと、リベルテは診察台を指さした。

「じゃあ、服を脱いでそこに横になって下さい。診察をさせていただきます。順番に問診もしますので、後の方は待っていてください」

 男達が腹が捩れるかという程に笑った。

「……ちょっと。なんなんです、ギース。病と言うより食中毒ですか。笑い茸でも食べたとか」

「違うよ、先生!アンタ、相当な天然だな。というよりわかっててとぼけてんのか?」

「なにを?」

「ほら、先生の悪いようにはしねえからよ。ちゃんとお代だって持ってきてる」

 そう言ってギースが懐から取りだした包みを、無造作に開いて見せた。そこにあったものにリベルテは眼を見開く。

 たった一度しか見たことはなかったが、一度見ていれば間違えようがない。世に二つとこんな鉱物は存在しないからだ。

「……龍耀輝石《ダイオライト》」

「こんな光りもしねぇ黒い石っころのどこがいいのかオレにゃよくわかんねぇけどよ。あんた達には、貴重なモンなんだろう?」

 龍耀輝石の見目は、石炭によく似ている。

 ただ黒く、道ばたに転がっていれば目にも留めないような石ころだ。

 ただし、よく見れば、その石ころが他のどんな鉱物にも似ていないことにもすぐ気付く。

 その石は、ただ黒い。黒く、黒く、まるで地の底の闇を硬く凝らせたように光を吸収して、反射させると言うことがない。

 何も映らず、光を煌めかせることもせず、ただ黒という色がかたまっている。その石の周りすべてが一段階明るさを落として見える、龍耀輝石とはそういった特殊性を持つ鉱物だった。

「先生。これと引き替えに、薬をくれよ」

「……なんの?」

「とぼけるなって。前の先生はすぐ応じてくれたぜ」

「………」

 さっきリストにした薬品の名前を思い出して、リベルテはようやく男の言うことに気がついた。

 薬品の中に、大麻を原料にした向精神薬がある。

 あれは、使い方によっては人を蝕む麻薬になりうるのだ。

 気付いた途端にかぶりを振った。

「駄目です」

「ああ?」

「駄目です。前の先生がどんな事をなさっていたかはしりませんが、僕は絶対にそんなことはしません」

「んだと、おい」

 拒否した途端にギースの眼が険を帯びた。

 後の二人、ウェイドにカーチスと言う男も鋭くリベルテを睨め付ける。

「あれは麻薬です。わかってるんですか」

「わかってるから言ってるんだろう」

「一時は気持ちが良くても、すぐに身体が蝕まれます。麻薬の虜になったら、あとは死しかないんですよ」

 ガン、と身体が壁に叩きつけられた。

 細い身体にもろに衝撃が伝って、リベルテは息を詰まらせる。

「うるせぇよ、先生。アンタは黙って薬を出しゃいいんだ」

 酷い眼にあいたくないだろう、と今まで黙っていたカーチスという男が口を開いた。優しげな声の奥には冷え切った響きがある。

 咳き込みながらリベルテはかぶりを振った。

「だ、駄目、です……っ」

 薬はすべからく毒だ。

 使用方法を誤れば容易く人を死に追いやる。

「強情な先生だなぁ」

 頬をはたかれた。ぐらりと視界が揺れて、リベルテは眼を瞑る。

「どうせオレ達にゃ死ぬだけしか先がねえんだよ。その前にちょっとくらい楽しませてくれてもいいだろう?」

「死、ぬだけ…?」

「そうさ。あんな坑ぐらに毎日毎日潜って、すげぇ深さまで入りこんでんだ。ちょっと土が落ちたら息が詰まってすぐにお陀仏さ。そんな怖ぇ中で毎日働いてんだよ、ちっとはご褒美があってもいいだろ?」

「……ッ」

「なぁ。出られるあてもねぇオレ達に、ちっとは情けを掛けてくれよ、先生?」

 阿るようなギースの言葉に、大きく息を吸って、駄目です、とリベルテはもう一度言った。

 今度は反対の頬が鳴る。

 視界が暗くなり、壁にすがったままリベルテの背がずり落ちた。

 重罪を犯してきたと言うだけあって、ギースは暴力の方法を心得ているようだった。

 たった二発殴られただけで、脚が砕けて立っていることも出来ない。

「ちっ……薬品の場所も移しちまったようだし。あんまり大事にするのもなんだな。どうすっか」

「可愛い顔してるくせに強情な先生だなぁ」

「まったくだ。怖ぇことなんざなんもしらねぇような坊ちゃんのくせになあ」

 今日のところはよ、と言い出したのは三人のうち誰だったか。

「薬、まだ残ってるだろ。今日はいいじゃねえか。その代わりよ、先生に楽しませてもらおうぜ」

「ああ?……まあ、それもアリか」

「そうだなあ。先生、細っこいし可愛い顔してるしな。いいんじゃねえか」

 顎を掴まれて、ぐい、と顔を上げさせられる。

 その手に籠もった意図が分かって、リベルテはとっさに手を上げて払った。

 昔いた場所で、そんな暴力は幾度も見たことがある。治療をしたことも、止めに入ったことも。そして向けられる対象になったことも。

 けれどあの時は守ってくれる人がいた。

 いまここには、誰もいないのだ。自分の身は自分で守るしかない。

 萎えた脚を踏みしめ、どうにか抗おうとしたけれどあっさりと腕を取られた。

「先生。オレ達にいたぶられるのが厭なら、薬をくれれば良いんだぜ?そしたら、すぐに立ち去ってやるよ」

「そうそう。なにも毎日寄越せってんじゃねえよ、時々、ちょっとだけ都合してくれればよ」

 なぁ?と猫なで声で男達が問うのに、リベルテは唇を噛みしめた。

 自分の身体と男達の要求を天秤に掛けても、それは釣り合いさえしない。片方に傾いて揺らがない。

 男達の要求を叶えてしまえば、壊れるのは自分の意志、そして魂だ。

「絶対に、だめです」

 そうかい、とギースが言って、荒々しく身体が引き倒された。

 











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