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 アルフェサーから診療所に戻ると、ゼファが来ていた。

 家の前の原っぱで明星が草を食んでいて、ゼファは建物の隣りに植わっているネムノキの根元に座っている。

 この時間はあそこに丁度いい木陰が出来るのだ。

「ゼファ!」

 呼ぶと、彼が片手を上げて見せた。

「いらっしゃい。ゲルダは?」

「さあ。どっかで遊んでるらしい」

「どこかで、って……」

 つくづくいい加減な飼い主だ。

「どこ行ってたの」

「アルフェサーに、あの方達の様子を見に。骨折も大分良くなったみたいです」

 落盤から五日が過ぎている。

 治るにはまだまだだが、痛みは軽くなったようだった。

 ふふ、と思わずリベルテは思い出し笑いをしてしまう。

「なに笑ってンの。リベルテ」

「いえ。……ちょっと」

 ハイカを原っぱに離して、ゼファのとなりに腰を下ろす。

 木陰は丁度良く涼しくて、木漏れ日がちらちらとゼファの金の髪にあたるのが美しかった。

「今日ね。全員の包帯を取り替えてたら、言われたんです」

「……誰に」

「ギースに。悪かった、もうぜったいしない。…だそうです」

「…………へーーーえ」

 呆れたように間延びした声をゼファが上げる。

「ゴメンで済むんだったら法律はいらないけどね」

「まあ、そうですけどね」

 ギースの脚は、もう元のように動かせるようにはならないかも知れない。けれどリハビリさえすれば、きちんと歩けるようにはなる。

 そう伝えて、リハビリを頑張りましょう、と言ったら、あの屈強な男が不意においおいと泣き出した。

 ごめんよ、先生、もうぜってぇしねえからよ。

 怪我から来る心の弱さが言わせた謝罪なのかも知れなかったが、それでもいいとリベルテは思う。

 許す、許さないと言う天秤が心の内にあったら、それは許す方に傾いているはずだ。リベルテの中で当にあれは片づいたことになっている。

「人が良いねぇ。先生」

「……そうでもないです。そりゃ、僕だって……あの坑の中で、怪我をしたのがあの男だったって気付いたとき、驚きました」

「そう?」

「はい。……思い出したくなかったことが、返ってきて。ゼファがいなかったらどうして良いか分からなくなったかもしれません」

「そりゃ、ないでしょ」

「あはは」

 否定するゼファの言葉は買いかぶりだ。リベルテは、いつも迷っている。

 自分の中で揺らがないもの、揺らがせまいと足掻くものは、ただ医者であり続けようとする心だけだ。

「ゼファ」

「うん?」

「医者というものは、運命や神様という見えない存在の掌の上で踊る道化です。……死ぬ者は死ぬ。僕が、どれだけ、力を尽くそうと」

 リベルテはそのことを知っている。

 医師は、だれでもそれを知っていなければならないと思う。

 人が人の命をすべて握っていると思うなど、おこがましいにも程がある。

「じゃ、なんで?」

「さあ」

「さあって……」

「それでも僕は、医療に力を尽くさずにはいられないんです。その答えは、きっとこれから探すんじゃないでしょうか」

 そう言って笑うと、ゼファが手を伸ばしてリベルテの猫っ毛をくしゃくしゃと撫でた。

 珍しい、慈しむような仕草で。

 兄、というのはこういう感じなのかも知れない。

 それから、もう一つ言おうと思っていたことも思い出した。

「………あの。あの人を、あまり憎いと思わなかったのは……ゼファのおかげも、あると思います」

「オレの?」

「はい。……本当のことを言うと。あの時、色々なことを思い出しました」

「まあ、そうだろうね」

「で、でも……あの……ゼファが、その、」

「んん?」

「あの……僕に、教えてくれてたので」

「なにを?」

「……………人と、触れ合うことを、です」

 思わず俯いてしまった。

 きっと頬は真っ赤になっているだろう。

 言い出したからにはと、早口に最後まで言い終える。

「だから、あの、ゼファとの記憶の方が確かだったので……もう、あんまり大したことだと思わなかったんじゃないかと、思いますッ」

「………ふぅん」

 じきに聞こえた声は、実に満足そうだった。

 ひょいっと肩に手が回されて、あっと言う間にゼファの整った顔が間近になった。

「あ、あ、あの…ッ」

「それは光栄。……気持ちよかった?リベルテ」

「あ、あの、ちょっと、ゼファ……」

「そーんなかわいいこと言われたら、もうちょっと頑張ってみようかなって気になるでしょ」

「い、いえそういう意味じゃなくて、あの…ッ」

 慌てて文句を言おうとした唇をゼファの唇が塞いだ。

 触れる肌はやはり気持ちが良く、背筋にざわりとどよめきを連れてきたけれど流されるわけには行かない。

 抗うと、あっさり唇が外される。

「だ、だめです、って……」

「いーじゃん。気持ちいいことが嫌いな人間は、いないでしょ」

「だめです、第一ここは外です…!」

「明星とハイカしかいないよ」

 のし掛かられて、あわやそのまま押し倒されるかと思ったときに、せんせーい、という軽やかな声が聞こえた。

「ほらっ、リ、リンナです!どいてください!」

「ちぇー。しょうがないか。リベルテ、また今度ね」

「またなんてありません…!」

 いつの間にか外されていた白衣のボタンを慌てて留めて、リベルテは立ちあがる。

 葦毛の馬に乗ったリンナが遠くで手を振った。

「ありがとうございます」

「ん?」

「ゼファのおかげです。……僕が、ここで医者を続けられるのは」

 苦笑して、あんまり信用されるのもね、と言ったゼファの言葉はリベルテには聞こえなかった。

 手を振り替えして、ネムノキの木陰から陽射しの中に出る。

 リベルテの頬を撫でる風は秋の涸れた匂いをはらんでいて、季節が移るのももうすぐだと思わせた。

 デルフィカに来たのは夏の始めだったのに。

 

 青い草を踏み、リベルテは自分の診療所に向かって歩く。

 その向こう側では、流星、墜ちたもの、欠片という名をそれぞれ持つ三つの鉱山が、並んで空にそびえたっていた。

 











 11/06/22 Web掲載了


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