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 リベルテ、と坑に入っていくらも行かないうちに呼ばれた。

 振り返るとまだ入り口から差し込んでいる外の光にちかりと金の色が光った。

「……ゼファ!どうしたんです、こんなところで」

「そりゃこっちの台詞だよ……先生、どうするつもりなの。こんな中に入って」

「怪我人を治療しに行くんです」

「外で待ってればいいだろ」

「一刻を争うかも知れません」

 だから、こうして入ってきたわけだが。

「あの……ゼファ」

「なに」

「これは……この道で、いいんですよねぇ?」

「………」

 地図を持っているというのに坑道の構造はさっぱりわからなかった。上にも横にも下にまで坑があって、森羅の示した道にどうやったら辿り着けるのだろう。

「……先生……地図も読めないくせに一人でさっさと入ってきたわけ」

「……はあ。そのようです」

「そのようです、じゃないよ……」

 聞いたこともないような大きなため息をゼファが地面に落とす。その肩でゲルダがばさっと羽ばたいてケェッと鳴いた。

 なんだかゲルダにまで馬鹿にされた気がする。

「それじゃ行けないでしょ。もどろう。リベルテ」

「駄目です」

「どうして」

「治療しなければならない人がこの先にいますから」

 どうにか地図を読みとろうと洋燈の光の中で眼を凝らす。

 ゼファがため息をついて手から地図を奪い取った。

「ちょ…ッ、何するんですか。ゼファ」

「また落盤が起こったらどうする」

「おきません。教授が、起こらないと言いましたから」

「そんなのあてにならないでしょ。自然を、人が読み切れるわけがない」

「それでも起きません。返してください!」

 かちあった紫の眼が、どうしても地図を返すつもりが無いのを見て取ると、リベルテはくるりと踵を返した。

 さらに深い闇の中に一歩を踏み込む。

「先生」

「返してくれないならこのまま行きます」

「無茶苦茶だ……」

 またゼファのため息。心底困った、という彼の姿を初めて見た気がする。

「ゲルダ。外行ってて」

「グェッ」

「いいから。外で待ってろ」

 ばさりと青い翼を開いてゲルダが舞い上がる。坑道の入り口はまだ天井が高い。

「じゃ、行こう。リベルテ」

「……あなたも?」

「地図、読めないでしょ」

「でも……」

「いいから。さっさとしよう、二次災害が起こる前に」

 こっち、と先に立つゼファの背に慌ててリベルテは従った。

 彼の持つ地図の、一本の坑道を指す。

「落盤が起きたのはここだそうです」

「ああ……意外と浅いとこなんだ」

「別の坑道が掘り尽くしてしまったので、新しい坑道を作るところだったそうです」

「発破かけたのか」

 地図に目を落とし、こっち、とゼファが狭く暗い道を指す。

「坑道入るの初めてだよな?先生」

「はい、坑道には」

「駄目だと思ったらすぐに引き返すから言ってね。入ってみて始めて暗所とか閉所の恐怖症だって気付く人も多いんだ」

「大丈夫です。穴で生活したことはありますから」

 ゼファがちらりと振り返ったので付け加える。

「前線の野戦病院は、崖下の穴の中だったんです」

「へぇ……」

 けれど鉱山の穴は、あの戦場の穴よりもなお暗く狭いようだった。しっかりと天井は梁が支えているが、土の重量にそれがどれだけ有効なのだろう。

「ゼファは、入ったことがあるんですか」

「ああ。監察官だからね、現場がどんなところか把握しておかないと。掘るのに混ざったこともあるよ」

「へえ。鉱脈を掘るのは、いかがですか?」

「結構面白い。このままずっとこの仕事を続けるのも良いな、と一瞬思ったくらいには」

「へえ。あなたが?」

「オレだって、体を動かしてれば眼に見える成果が出る仕事に付きたいこともあるさ」

 現れた分かれ道を彼が右に取る。

「先生は?」

「え?」

「リベルテは、医者以外の仕事に就きたいと思ったことは」

「ありません」

 返事は早すぎただろうか。

 けれど、本当に。医師になりたいと思った以前には、何を思っていたのかさえ、リベルテには曖昧なのだ。

「へえ。そんなに医者の仕事が好きなの」

「はい。……いいえ、好き、というのとも少し、違うのかも知れません」

 なんと言えばいいのだろう。

 言いあぐねて、リベルテは鉱山の闇の中に言葉を探した。

 医師であること、在り続けることは理想で信念で、そして現実だ。

「人を救うため?」

「はい……でも、それだけでは」

 患者を救うこと、その喜びを見ることは最高の喜びだけれど。

 その最期を見とること、死という場に立ち会うことも、同じ程に重要だ。

「とにかく……」

 リベルテが言いかけたとき。不意に、闇の中に二人のものではないうめき声が聞こえた。

「!ゼファ!」

「近いね。もうそろそろ、落盤のあたりだ」

 そう言われてみれば、ゼファがようやっと立って歩けるくらいの狭い坑道の足元はずいぶん荒れていた。

 天井から落ちたらしい石くれがごろごろしている。

「また、聞こえました…!」

「ああ。もう少し、進もう」

 狭い道を辿る。捜索の男達が付けていったらしい足跡が落ちた土を荒らしていた。

 その中に、ぽっかりと黒い穴が口を開けていることにリベルテは気付いた。前を見ていれば見逃してしまうほどの穴だ。

「ゼファ、ここです!」

 慌てて跪き、手で土を掻き出す。

 もっと下へ続く穴が、落盤の時にふさがってしまったのだ。

「ちょっと、どいてて。リベルテ」

「は、はい」

 空いた穴からゼファが顔を突っ込んだ。いた、というくぐもった声が聞こえる。

「リベルテ。引っ張り出すから、ちょっとどいて」

「はいっ」

 一人で大の大人一人を引っ張り出せるものだろうか。

 と、一瞬案じたがそれは杞憂で、ゼファは片手でその穴から男を一人引きずり出して見せた。細身の見た目からは想像も出来ないような膂力だ。

「一人だけかな……」

「息はありますか」

 洋燈を近づけて屈み込み、リベルテは息を呑んだ。

 見覚えのある男だ。

「………ッ、ギース……」

「ん?知り合い?」

 そう聞いたゼファは、けれどリベルテの顔色を見て事情をすぐに理解したようだった。

「……なんだ。もしかして、こないだのあれの犯人」

「………ッ」

「ふーん」

 言うなり、ゼファの手がギースの肩を掴んだ。

 その手が何をしようとしているかを察して、慌ててリベルテはゼファの手を押さえる。

「……なに、してるんです」

「みりゃわかるでしょ。穴に戻そうかと思って」

「っ、どうして……ッ」

「そりゃ、自業自得ってモンでしょう。知ってたら、助けなかったよ」

 どいて、と言われてリベルテは震えた。

 ゼファの言葉には彼の命のことなど何とも思っていないと言う鋼の冷たさがある。

「ぼ、僕はもう……怒って、いません」

「なんで」

「もう、過ぎたことです」

「またやるよ。薬につられて」

「それでも、駄目です!」

 ゼファの手を押さえる指先がかたかたと震えていた。

 すっかり忘れてしまったと思っていたのに、こうして闇の中でこの男の顔を見ていると思い出す。

 無理矢理押さえつけられた屈辱や、咬まれた場所の引きつる痛み、体中を触られた嫌悪感。男の熱が厭らしく熱かったこと。

 うぅ、と二人に押さえつけられたギースが呻いた。

「……だ、だれ…だ…助けて……」

「人のこと踏みにじっておいて、助けてってのは厚かましいんじゃないの」

 ゼファの声にギースが眼を微かに開く。

 二人が誰かすぐにわかったようで、驚愕に眼を瞬いた。

「……い、医者先生じゃねえか……それに監察官殿」

「へえ。まだちゃんと生きてるんだ」

 ぎゃっ、とギースが喚く。

 脚をゼファが押さえていた。おかしな方向に曲がっているのは、どうやら骨折しているようだ。

「イテェ、イテェ…ッ!先生、医者だろ、何とかしてくれ…ッ」

「本当に厚かましいな」

 冷え冷えとしたゼファの声の響きに気付いたのだろう。

 ギースが怯えた顔で彼を見て、それからリベルテを見やり、不意に目つきを険しくした。

「……ケッ………こ、殺したいんなら殺せよ…ッ」

「開き直ったな。本当に図太い。それじゃ、死んでもらおうかな」

「……ッ」

「ゼファ」

 ぐい、とゼファがギースを穴蔵に押し込もうとした。その手をリベルテは遮る。

「リベルテ」

「……ケッ、い、医者先生はあん時の復讐がしたいんだろうが……い、いいチャンスが来たモンだよな、あぁ?」

 ギースは死の恐怖を大声でごまかそうとしているだけだ。

 リベルテは手を上げて、その頬を打った。パン、と鋭い音が坑内の闇に響いた。

「大きな声を上げないでください。あなたの声の振動で、また落盤が起きると困ります」

「……お、お……」

「助かりたいんでしょう。素直にどこが痛いって言って下さい。僕は、医者です」

 一瞬引きつったような声を零したギースが、震えて泣き出した。

「……ぁ、あ、脚が、脚がいてぇんだよ、先生、千切れてねえか、無くなっちまってるンじゃねえのかよ、なぁ…ッ」

「大丈夫。ありますよ。骨折してるだけです」

「ほ、ほ、ほんとうかよ、いてぇんだよ、だって……血、血が出てるんじゃ」

「少し。大丈夫です、助かりますよ」

 泣きじゃくる男を宥めて、その脚の様子を見るリベルテを、ゼファが理解しがたいものを見るような眼で見ていた。

 その眼に、さっき言いかけたことを思い出す。

「ゼファ」

「……なに」

「言い忘れました。医が、僕にとってなんであるかは、これからずっと考え続けていくことです。……でも」

 そこには喜びがある。そして哀しみがある。

 生と死は、等価だ。そのことをいつも、いつも、思い知らなければならない。

 それでも。

「医師としての信念に殉じるのでなければ、僕の命にはなんの意味もないんです」

 
























 

 

 処置を終えたギースを坑道から出すのをゼファが呼んできた捜索の男達に任せて、二人はさらに奥に進んだ。

 結局、埋もれていた男達は全部で七人だった。

 五人はリベルテの処置が早かったので助かり、二人は大量の土砂に埋もれての窒息死だった。

 森羅の言った通り、その日、また落盤が起きることはなかった。

 全員の処置を坑道内で終え、二人が出てきた時にはもう陽は当に暮れて、坑道の付近には篝火が焚かれていた。

 出てきたぞ、と誰かが叫んだ。

「先生!」

「あ、ありがとうございます、先生、監察官殿!」

 わぁっと囚人達に囲まれて、ゼファは適当に笑う。

「オレは、先生の案内についていっただけ。礼は全部そっちへどうぞ」

 そう言って、さっさと人の波を抜け出してしまう。

 すぐにゲルダが飛んできて肩にとまった。

「ああ……ただいま。心配させたな、ゲルダ」

「クェッ」

「はいはい」

「監察官殿」

 呼び止められて振り返る。森羅が立っていた。

「……どーも。教授」

「どうやら帰って来られたようだな」

「おかげさまで。……あのさ、適当なこと言って先生煽るの止めてくれる?」

「適当なこと?」

「落盤がもう起きないとか言ったの、教授でしょ」

「ああ。起きなかっただろう」

「結果論ていうんだよ、そういうの……」

 心底くたびれていたので、それ以上の文句はため息にして吐き出した。デルフィカの町に来てからいままでの中で一番働いた気がする。

「先生は、どうだった?」

「……どうって」

「立派に医者の勤めを果たしていたか」

「……医者の勤め、とかいうもんじゃないよ。あれは」

 人の意志の怖ろしくはっきりとした形を見た。

 それは強く、美しく、人の持てる最上のものだという気がするのに、どこかもの悲しいのは何故なのだろう。

「ふぅん」

 ゼファの言葉に唸って、森羅がくるりと踵を返した。

「おい。教授」

「君も休んだ方がいいよ。監察官殿。……アルフェサーは、これから忙しくなるだろう」

「……」

「あなたの仕事も、増える」

 どこからどこまでを知っているのだろうか。

 得体の知れない男は、篝火の明かりの中を通り過ぎて見えなくなった。

 ゼファはいつの間にかくしゃくしゃになっていた髪を掻き回して、後ろを振り返る。

 男達に感謝の言葉を雨霰と浴びせられたリベルテが、ようやく抜け出してくるところだった。

 ゼファを見つけて、ほっとしたように笑う。

「ゼファ。……ありがとうございました」

「ああ」

「僕一人だったら、絶対辿り着けなかったと思います」

「まあ、坑道図はわかりにくいからね」

「はい。助けられたのは、ゼファのおかげです」

 肩をすくめて、ゼファは歩き出す。

 自分はただリベルテの意志に引きずられただけだ。

「先生。戻る?」

「いえ。アルフェサーの収容所に助けられた方たちがいらっしゃるそうですので、今晩は泊まり込みます」

「そう。じゃ」

 ひらりと手を振って、振り返らずにゼファはアルフェサーを後にした。肩に乗ったゲルダがばさりと翼を広げてバランスを取る。

 明星の背にのって山を降る。

 背後では、まだ橙の篝火が幻想的なほど美しく山肌を照らし出していた。











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