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 目覚めると視界に金の色が移った。

 この色はなんだろう、と一瞬わからなくなって指先を伸ばす。柔らかに指に絡むそれが人の髪なのだと気付いた。

 同時にそれが誰のものなのかも。

「もう少し寝てなよ。リベルテ」

 声が頭の上から落ちてくる。

 どうやら、彼の胸元に潜り込むように眠っていたようだ。

「……あの……」

「まだ夜が明けたばっかりだ。寝てて平気だよ」

「いえ……起きて、病人の様子を見に行かないと……」

「本当に真面目だねぇ」

 そうは言ったものの暖かな寝床から起き上がり難くて、ついぐずぐずしてしまう。

「……あの。ゼファ」

「はい?」

「あの……ありがとうございました」

「なにが?」

「こ、こんなことを……」

 くっくっとゼファが笑う振動がまだ触れ合っている肌から伝わってくる。

「礼を言うような事じゃないでしょ、リベルテ。これは役得ってモンだ」

「……えーと……」

「気持ちよかったわ、また機会があったらね。って、別れるんでいいのさ。それだけ」

「……そうですか」

 ゼファの言葉に少し気が軽くなる。

 暖かさを分け合って、ただそれだけ、というような人との付き合い方もあるのだろう。

 ようやく起き上がって、夕べの始末がすっかりされていることに気がついた。ベッドの脇の机には汚れたタオルと水を張った盥が置いてある。

「あの……」

「どこに行くにしてもとりあえず、朝飯ね。オレ、腹が減ったわ」

「は、はい、そうですね」

 素裸のままベッドから抜け出す。

 後からゼファが先生肌白いねぇと呟いたので、赤面して反射的に殴ってしまった。

「な、な、何バカ言ってるんです…ッ」

「いってぇ。白いねって言っただけじゃん、そんな格好だから丸見えだし」

「ぬ、脱がせたのはあなたでしょう」

「オレが脱がせたのを観賞するからいいんでしょ」

 言うに事欠いて観賞とは。

 再び拳を振り上げようとしたらバランスを崩し、慌ててベッド脇の机に手をついた。

「お」

「あ」

 バシャン、と音を立てて盥が転げる。

「うわ、靴が…!」

「ああ、すみませんすみません…ッ」

 服を着て、雑巾を取りに行き、床を綺麗にしてから朝食を取る頃には、すっかりお天道様も高く上がってしまっていた。

 

 

 























 

 

「せんせーい」

 呼ぶ声がしてふとリベルテは顔を上げた。机の前にある診療所の窓から外を見ると、顔見知りの少女が道をやってくるところだった。

 扉を開けて外に出る。

 冷たい風が鼻先を撫でて、もうすぐそこまで早い秋がやってきていることを知らせていた。

「リンナ。どうしたの」

「先生に差し入れしてこい、って。これ」

 渡されたバスケットにはリンナの家の農場で作ったとおぼしきチーズとバター、それにたっぷりとナッツ類を詰めた硬いパンが入っている。

「ああ、いつもありがとう。レイシアにごちそうさま、って伝えておいて」

「うん。あ、ハイカ」

 灰色の馬がブルルルッと鼻を鳴らして嬉しそうにいなないた。ハイカは、リンナの家から譲ってもらったのだ。

 始めて診療所に来た日、本当は売りたくなかったんだけど先生なら良いわ、とリンナは眼にいっぱい涙を溜めてそう言った。

 先生、お医者様だもんね。

 お医者様の役に立てるんなら、きっとこの子も嬉しいと思うの。

 リンナを連れてきた母親の手に銀二枚を渡して、ちゃんと面倒を見ますから、と約束したのだ。

 とはいえリンナの農場は診療所から馬に乗ればすぐだ。

 週に一回はこうして手みやげを持って来てくれる。リベルテがハイカの世話を怠っていないかどうかチェックしに来ているのかも知れないが。

「あ、水がたりなーい。先生、また水やり忘れたでしょう!」

「え、そうだったかな……夕べはあげたよ」

「朝は?」

「………」

 薬を作るのに夢中でそう言えば自分の食事もしていなかった。薬研《やげん》を使っているとついつい時間が経つのを忘れてしまう。

「もうー」

 怒りながらもリンナが診療所に入って水をバケツに汲み、ハイカにあげてくれた。

「ごめん……」

「まあ、まだ残ってたからいいけど。先生、自分のご飯だって忘れちゃだめよ」

 こんな少女にまで言われてしまった。人生何度目になるかわからない反省をしていると、バケツを返しに来たリンナが机の上を見て目を輝かせる。

「おもしろそう。なにこれ、先生?」

「ああ、これはね、薬研っていう薬を作る道具だよ」

「やげん?」

「そう。この舟形に細かくしたい薬草や鉱石を入れて、すりつぶすんだ」

 舟形とわっかに両手で持てる棒で出来ている薬研は、医者の必需品だ。特に薬屋のないこんな場所ではなおさら。

「へぇ。先生のお仕事道具なのね。じゃあ、さわらないわ」

 利口なリンナはそう言って、きょろきょろと診療所の中を見回した。

「今日は鳥は来てないの」

「鳥、って」

「ゲルダよ。残念、いたら一緒に遊ぶのに」

 翼を広げれば自分よりも大きく見える程のゲルダが、リンナは大好きらしい。始めは怪我でもしないかとはらはらしたが、よく見ればゲルダはちゃんと自分の爪と嘴の鋭さを心得ているようだった。

 リンナのしつこさに迷惑している様子を見せながらもちゃんと一緒に遊んでいる。

「ゼファもいないのね」

「そんなに毎日いるわけじゃ……」

「うっそだあ。あたしが来るといつもいるじゃない」

「そ、それはたまたま」

「ふぅん。ゼファ、てっきり町の家を引き払ってこっちに住むのかと思ったのに」

「こないこない」

 リンナの誤解を慌てて手を振って否定する。

 ゼファは確かに良く顔を見せるが、泊まっていったことはあの夜以来ない。

「ここじゃ、ゼファの仕事が出来ないし」

「仕事?してるのかしらあのヒモ」

「ひ、ヒモって……」

「女の人に頼って生活してる男の人をそう言うんだって母さんに聞いたわよ。ゼファ、いつ見ても違う女の人といるし」

 容赦のない少女の批評に絶句する。

 確かに毎日牧場と農場に出ている彼女の父に比べればゼファは遊んでいるようにしか見えないが。

「……ゼファは、あれであれなりに仕事をしてるんだよ…」

「そお?」

「そう。医者の仕事とか、牧場の仕事みたいに、一目で見てわかるような仕事じゃないってだけで」

「ふぅん」

 まだ不服そうな少女はそれでもゼファを非難するのを止めた。

「先生、今日は患者さんがいないんだ」

「うん、珍しく。だから薬を作りためておこうと思って」

「へぇー」

 薬研の中を興味津々にリンナが覗き込むのに、リベルテは思わず笑った。そんな風に師匠の手元を覗き込んだ時が自分にもあったことを思いだしたからだ。

「やってみる?」

「え、いいの?」

「いいよ。ただ、結構力が必要だけど」

「大丈夫!父さんを手伝って結構力仕事してるんだから。先生より強いかもよ」

「あはは」

 今中に入っているのは紫水晶だ。

 この鉱山では水晶類がよく産出される。ヤツカに頼んでおくと売り物にならない欠片を安く譲ってくれるので助かっている。

「こうやって転がして、細かくすりつぶすんだ」

「こう?……うーん、結構硬い」

「石だからね」

 四苦八苦しながらリンナが石を擦って削っていく。

「そう、巧い巧い。確かに僕よりリンナの方が力があるかも…」

「女の子に失礼よ先生」

「自分で言ったくせに」

「あたしが言うのは良いの!」

 他愛ない言い合いをしていたとき、不意にドアが激しい音を立てて鳴った。

 とっさにあの夜の事を思い出してリベルテは跳ねるように振り返る。けれど入ってきたのはアルフェサーの男達ではなかった。

「先生!」

「ウル。どうしたんです、慌てて」

 鉱山の青年が、激しく肩で呼吸をしていた。

「グ、グラフが、先生を呼んでこいって…!」

「どうしたんです。また、ガスですか」

「い、いや……アルフェサーで、落盤事故が……」

 無言でリベルテは踵を返し、こんな時のために纏めてある医療用の鞄をひっつかんだ。

 











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