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 留番所には今日は夜通し火が灯っているだろう。

 被害の把握、新しい坑道をどこにするか、そしてリーグレントをしばらく閉鎖するか否か。

 鉱山のガスは一度出てくると厄介だ。空気より重い気体が多いので、穴の中に溜まってしまって流れ出ると言うことがない。

 量がさほどでないのならばいっそ爆破して吹き飛ばしてしまうと言う手もあるが、その算段はこれからだ。

 明星の前に乗せて、ほとんど支えるようにして診療所まで連れて帰ってきたリベルテを、ゼファは鞍から下ろす。

 賢いハイカは大人しく後からついてきていた。

「ほら、リベルテ。ついた」

「……すみません……ありがとうございます」

 どうにか礼は言ったが一歩踏み出そうとした途端に膝が崩れて、慌てて腕をとって支える。

「大丈夫?」

「だ、大丈夫です。ちょっと脚がもつれただけで……あの、本当にありがとうございます」

「いや。別に。……奥まで行くよ」

 母屋の寝室まで連れて行くと、汚れた白衣を脱ぎもせずにリベルテは寝台に転がった。

 薄い胸が大きくふくらみ、またへこむ。

「ガスが出るのは、珍しいけどないことじゃないからね」

「……そうですね」

「巻かれたら、まず助からないから。今日二人助かったのは、先生のおかげだ」

「………医師ですから」

 リーグレントでガスが出たと、ゼファの所に報せが来たのは昼前のことだった。

 急いで明星を飛ばしていったら、リベルテはもう坑道の前で待機していた。五人の男達が助け出されてきたのはすぐだ。  後三人は、為す術もなく闇の中に置いてきたらしい。

 鉱山の事故に慣れた男達に人工呼吸を指示して、すぐにリベルテは一人目の治療に取りかかった。

 薬を打ち、息を吹き込み、心臓を叩いた。

 助かったのは二人だ。

「正直オレ、すごい意外だったんだよね」

「……なにが?」

「いや。………リベルテは、もっと迷うかと思ってたんだよ」

 彼は間違いなく医師だった。

 あの、五人すべてを治療しなければならない場所で、最も助かる確率の高いと思われるものから順番に治療を施していった。

 事実、助かったのは最初の二人だ。

 軽くガスを吸い込んだだけのあの二人は、二、三日は朦朧とするかも知れないが後遺症も残らないだろう。

 眼を覆うようにした腕の下で、リベルテの唇が僅かに歪んだ。

「……僕は、医師です」

「うん。そうだね。ごめんね、侮ってて」

「そんなこと、正直に謝るひと、ゼファしかいません……」

 くくっとリベルテが笑った。

「ちょっと待っててね。水、持ってくるから」

 母家を出て診療所で水を汲む。

 戻る頃には眠っているかと思ったリベルテは、ゼファが寝室に入るとすみませんと小さな声で呟いた。

「……先生。髪がくしゃくしゃだけど」

「ああ……僕、猫っ毛で。すぐ、もつれちゃうんです」

「仕事すんのに邪魔じゃないの。明日、切ってあげようか」

 身体を起こして水を受け取りながら、リベルテはかぶりを振った。

「駄目ですよ。……これは、切るわけにいかないんです」

「なんで。願掛け?」

「いいえ」

 一息に水を干して、リベルテがため息をついた。

「もっといる?食事は?」

「いりません。……本当に、僕は、ゼファにご飯の面倒ばかり見させてる気がします」

「いや、気じゃなくて事実でしょ」

「……食事が、すごく大事だって言うのは、しってるんですけど……」

 空いたグラスをベッド脇の机に置いて、リベルテが枕元にもたれかかる。

「……もう、何年も前に、師について戦場にいました」

「戦場?」

「ええ。西の、ディンブラという大国と小競り合いがあったでしょう」

「………ああ」

「小競り合いでも、消費されるのは兵士の命です。従軍医が逃げ出して、誰もなり手がいなかったので、師が志願したんです。僕は、それについていきました」

 戦場でのことは、仔細には思い出せない。毎日、毎日、ただただ人を生かそうとすることに必死だったと、リベルテは言った。

「たくさん、人の死を見ました。師がどれだけ助けて、どれだけ助けられなかったのか、もう覚えていません。……ゼファ。死んでゆく人の、半分くらいは……その、最後の呼吸で、お母さんを呼ぶんです」

「………」

「師の黒髪に手を伸ばして、ママ、と呼んだ人もいました。僕の髪を掴んだまま、亡くなった方もいました。あの戦場で僕はどうして師の髪が長いのか、始めて知ったんです」

「……へぇ」

「だから、切りません。何十人に一人でも、僕の髪が長いことで最後の安息を覚える方がいるかもしれませんから」

「ふーん……」

 頷くこと以外に、ゼファに何が出来ただろう。

 こんなにもただ医者であろうとする、自分の決めた何者かであろうとする人間を、彼は見たことがなかった。

『……ああ。いや』

 そうでもないか、と思う。この意志の頑なさは、少しだけ、兄に似ている。

「もう寝れば。リベルテ」

「………はい」

「ほら。白衣くらい、脱げば」

 べったりと泥や墨や何かわからないもので汚れた白衣を脱がせる。髪も汚れていたが、顔や手足もどろどろだった。

「……ま、ここまで来たら、最後まで面倒みるか」

「え?」

「ちょっと待ってて」

 診療所に戻って盥に水を汲み、棚に積まれていたタオルを二、三枚とって戻る。濡らして固く絞ったタオルで、リベルテの顔を拭ってやった。

「あ、あの……自分でやります」

「いいからいいから。疲れてるんでしょ」

「あの……子供じゃないんですから」

 困惑した声にかまわず、今度は手を拭き清める。きちんと爪の切りそろえられた、指の長い形のいい手だった。

「器用そうだね」

「そうですか?」

「外科手術もできるんでしょ」

「一応は……」

 指先は酷く冷たかった。

 騒動は収まって自分の家へ戻り、自分のベッドにいるというのに、緊張が少しも緩んでいない。

「寝て良いよ」

「………はい」

「眠れない?」

「眼が……冴えていて」

 ゼファに拭われる自分の指先に落ちているリベルテのグリーンの眼は、けれどそれを映してはいないようだった。

 洋燈の橙の火に、照らされているのは今日救えなかった男達の顔か、それとも過去の戦場の記憶なのだろうか。

 形良く整った爪を弾くと、ふとリベルテが顔を上げた。

 柔らかな苔の色の眼が、ゼファの眼と絡み合う。

「……あー。まあ、いいか」

「?」

「アリだよねぇ。正直、先生が先生でなかったらもう少し早く手ぇ出してたと思うし」

「何がですか…」

 リベルテの問いには答えず、握ったままの指先に唇を落とす。

 土を拭って白いそこを舐めると、びくりと体が震えるのがわかった。

「あ、あの……ゼファ?」

「大丈夫大丈夫。痛いことまではしないから」

「い、痛い事って…!」

「ゆっくり眠れるようにしてあげるよ」

 ささやいて、ゼファはリベルテの手の甲を舌で伝った。

 
















 

 

 ゼファは、この間の男達など比べようもないくらいに丁寧で優しく、そして巧かった。

 あれとこれが同じ行為だなどと、到底信じられないくらいだ。

 戸惑っていると、あれよあれよと言う間に汚れた服は脱がされていた。

 靴下まで脱がされて、声もなく驚いていると柔らかな唇が重なった。

「……んっ」

「リベルテ、キスの間は呼吸は鼻でしないと」

「き、キスって…ッあの、ゼファ…っ」

「ほら。練習」

 始めは重なるだけだった唇は、少しずつ深くなった。

 ゼファの舌先が唇をつつき、くすぐったくて開けたところにするりと舌が滑り込んでくる。

「ん、ふぅ……ッ」

 決して焦らず、苦しそうに呻くとすぐに離れて、何回繰り返したかよくわからない。

 いつの間にかすっかり身体が火照っていた。

 手を取ったゼファが、ん、あったかいと満足げに言う。

「……ゼファ?」

「さっきは冷たかったからねぇ」

「は、はい……あの、ゼファ、僕はこういうことは……」

「大丈夫だって。最後までしないから。暖まるだけ」

「で、でも…ッ」

「大丈夫。人肌ってのは、いいもんだよ。リベルテ」

 結局抗いきれなかったのは、彼の言った通り直接触れた人の肌があまりにも気持ちが良かったからかも知れない。

 決して強くはないのに、絡むようにリベルテを逃がさないゼファの巧みさのせいでもあるだろう。

 けれど、要は、と熱で朧になる頭の片隅で思う。

 柔らかなゼファの唇が額や頬や首筋や鎖骨に落ちて、滑っていく。くすぐったく、そして熱い。

 要は。自分が望んだからだ。

 リベルテが、一時の寒さを忘れさせてくれる何かを、望んだからだ。

 それを人の肌に求めるのは決して悪い事ではない。

「……ゼファ…ッ」

「ん?どうしたの、リベルテ」

 リベルテの肌を擽るように舌で、指先で辿りながら、ゼファが笑う。その金の髪は洋燈を照り返して闇の中で光っている。

 紫の眼は今は闇のように暗かった。

「あ、あの……僕は、この間の事を勘定にいれないなら……その、こういうことは…ッ」

「ああ、初めてなんだ。いーよ、任せてくれて」

「その……」

「大丈夫。オレ、男も女も経験あるし。どっちかっていうと女性が好きなんだけど……でも、リベルテだったら男でも全然かまわないかも」

「なに、馬鹿なこと言ってるんです」

 睦言めいた言葉に苦笑する。

 橙の光に浮いた身体はただ痩せて骨が浮いているばかりだ。

 おどけた口調でそう言ったゼファの髪を軽く引っ張って、すみませんとリベルテは呟いた。

「じゃあ……甘えさせてもらいます」
















 

 人の肌と肌が絡む、たとえようもない感覚をリベルテは始めて知った。

 唇と指先で人の身体に火がつくと言うことも。

 ゼファは始終優しく、リベルテが本気で抗わなければならないようなことは何一つしなかったけれど、喘ぎ声だけはいくらでも上げさせた。

 彼の言ったとおり痛いことなどなく、ただ声を上げ続けた喉だけが嗄れた。

 











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