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 健康診断の三日間の間はそのまま庁舎に泊まり込むつもりだったが、結局庁舎内はまずいと言うことで却下されてしまった。

 仕方なくとった近くの宿屋の一室で、リベルテはベッドに伸びていた。

「……疲れた……」

 今日書いたカルテは、一体何十枚になったかも良くわからない。患者には丁寧に健康状態を聞いたつもりだが、書き飛ばしてしまったところもあるので、後で清書しなければいけないものもあるだろう。

「お腹空いたなぁ……でも、もう遅いし……」

 宿屋の一階に行けば何か食べさせてくれるかも知れない。

 無くても、柘榴亭は酒場なのだからまだ開いているはずだ。

 けれど起き上がるのも面倒くさくて白衣も脱がずぐだぐだしているうちに、少しうつらうつらしたようだった。

 コンコン、というノックの音ではっと眼が覚める。

「は、はい…」

「お邪魔しまーす。寝てた?リベルテ」

「ゼファ。あ、いえまだ……いたっ」

 だらしなくうつ伏せになっていたのを慌ててベッドから降りようとし、ベッド脇の小さな卓に向こうずねをぶつけた。

 涙をにじませているリベルテに、ゼファがあーあと言う。

「先生体中痣だらけなんじゃないの」

「そ、そんなことは……多分」

「医者の不養生ってこのことだよなあ」

「そ、そんなことはないですよ。僕はちゃんと食べて寝てます、不健康じゃありません」

「最低限口に入れられるもの、っていう基準だよね」

「………」

 まったく以てその通りなのでぐうの音も出ない。

 料理をするくらいならばその時間を診察や勉強に充てたいのだ。

「どうせ今日も食べてないんでしょ。ついさっきまで診察してたって聞いたよ」

「誰に?」

「庁舎の事務員のナーナ」

「ああ……」

 今日の昼にサンドイッチと牛乳を差し入れてくれた女性だろう。

 どうにも自分は人に食事の面倒を見てもらうことが多い、という自覚くらいはリベルテにもある。

 はい、とゼファが昼に彼女が渡してくれたのとよく似た籠を差し出した。布巾の下からはこんがりと良い色に焼けたパンが顔を覗かせている。

「どうぞ。晩飯」

「あー……あの、いつも、ありがとうございます」

「どういたしまして」

 ありがたく受け取って布巾を採る。きつね色のパンに桃が丸々1つ、油と塩で漬けたオリーブとタマネギ。

 添えられたバターを塗って囓ると、早くと急かすように腹が鳴った。

「あ、そう言えば」

「ん?」

「いつの間にか、ゲルダがいなくなってたんですけど……ゼファの所ですか」

「ああ、そうそう。アイツ好き勝手に飛び回ってるからね、心配しなくて良いよ」

 部屋に備え付けられていたポットとお湯で二人分紅茶を淹れて、はいとゼファが差し出す。

 自分は椅子を引っ張ってきて、ベッドの脇に座った。

「ちゃんとオレの所に帰ってくるからね。町にいる間は心配ないだろうから、また診療所に帰るときに貸すよ」

「あ、いえ……もう大丈夫だと」

「駄目だっていってるでしょ。もうもなにも、まだ十日くらいしか経ってないんだよ」

「……」

 あの日からまだそれくらいしか過ぎていない。

 鉱山は一見なんの変わりもないようだ。そしてあの男達は、あの夜以来来ていない。手元にあると言っていた薬が尽きたら、また来るつもりなのだろうか。

 思い出すとまだ少し身が竦むけれど、もうあの痛みも屈辱も遠いことに思えるのだから、自分は大概丈夫に出来ているようだとリベルテは我が事ながら感心する。

 黙々と食事をしていたリベルテを見ながら、ふとゼファが口を開いた。

「そういや、朝、教授に会った」

「……教授に?」

「うん。……鋭いからね、あの人。見てないようで色々見てるしね。アルフェサーから囚人が時々抜け出してることも知ってたよ」

「……僕も今朝、柘榴亭でご一緒しました。色々と、ご存知でしたけど……」

「うん。まあそうみたいね」

「……」 

 リベルテの顔色をどう見たのか、ゼファが椅子の背もたれに寄りかかってううんと唸る。

「……人に言いふらすような人じゃないから」

「え?」

「教授さ。どっちかっていうと秘密主義の権化みたいなモンだし」

 それはあなたでしょう、と危うく口走りそうになって思わずリベルテは笑った。

 紅茶を零しそうなほど肩を揺らしてしまう。

「え、どしたの」

「い、いえ…ちょっと……」

「なに笑ってンの」

 カップをどうにか窓辺に置いて、大きく喘ぐ。久しぶりに笑ったような気がした。

「い、いえ……ちょっと、おかしかったので」

「ええ?なにが」

「あなただって、十分秘密主義です。ゼファ」

「オレがぁ?いつもこんなにオープンなのに!」

 両手を広げてみせるその大袈裟な仕草が可笑しくて、またリベルテは肩を揺らした。

「秘密主義ですよ。……でも、気遣ってくれて、ありがとう」

「……」

「大丈夫。もう、気にしてません」

「まあ、先生がそう言うんならいいけどね」

 紅茶を飲み干してゼファが立ちあがる。

「そんじゃ、また。おやすみリベルテ」

「はい。ありがとうございます、ゼファ」

「はいよー」

「あの、時間があったら、あなたも健康診断に来てくださいね!」

 返事はなく、ひらりと手を振ってゼファは出ていった。

 彼の持ってきてくれた夕食を片付けて、リベルテも早々に宿屋の柔らかな寝台に潜り込む。

 明日の朝も早く起きなければいけない。

 洋燈の火を消すと部屋はしんと静まりかえって、瞬く間に睡魔を連れてきた。

 

 





















 

「おかえり。ゲルダ」

「ああ。ただいま」

 暗い夜の空から羽音もさせずゲルダが舞い降りた。窓辺にとまったまま、鋭い爪の先で風に乱れた羽根を整える。

 夜を見透かす眼は鳥の中で梟と龍種にだけ与えられた特権だ。最も、龍種を鳥と呼ぶのは間違いかも知れないが。

 正確には、龍の亜種。

 ゲルダはその遠い祖先が龍と交接して生まれたと伝えられる、特別な鳥の一族だ。

「ほらよ」

「ああ。どうもどうも、美味そうだ」

 ひょいとゼファが放り投げた鳥の脚を嘴で受け取り、むしゃむしゃと貪る。その鋭い嘴の中には、小さいが鋭い牙が並んでいる。

「そんで?」

「んん?」

「教授は、どうだった」

「ああ……教授ね。普通だった」

「ふーん」

「メテオで働いてから留番所でくつろいで、それからデルフィカに戻ってたよ。教授は、家がないんだな」

 鳥の脚を骨まで綺麗に平らげてしまってから、満足そうにゲルダは嘴を羽根にこすりつけた。

「こら。脂が付くだろ、ちょっとまて」

 苦笑してゼファは手ぬぐいで大きな嘴を拭う。脂が付いた脚と胸元も拭くと、満足げにゲルダが眼を細めた。

「奉仕してもらうってのはいい気分だ」

「どこでおぼえてくるんだよそんな言葉。お前がだらしないから面倒を見てやってるんでしょ」 

「うんうん。面倒を見させるってのはいい気分だ」

「バカ」

 冠羽根をちょいと引っ張ってやると嫌がって首を振った。

 小利口なくせに、仕草は鳥そのものだというのが可笑しい。

「先生も、ふつうだったぞ」

「んん?」

「今日でケンコウシンダン、とやらが終わりだろう」

「あ、そうだった。じゃあもしかしてもう帰ったかな?」

「いや。今はまだ町にいたが」

 閉じた窓をもう一度開いた。冷えた夜風が部屋の中に滑り込んでくる。

「じゃあ、ゲルダ。リベルテのお守りに行ってよ」

「……ふーん」

「なんだよ」

「別にかまわないが。先生は優しいしな。オレを鸚鵡だと思ってるから肉をくれないのが残念だけど」

「こんど生肉も喰いますって言っておいてやるよ」

「そんな鸚鵡いないだろ……ま、先生なら気付かないかも知れないが」

 ひょい、と人間のように肩をすくめてからゲルダが窓枠に飛び移る。

「お前、本当に先生のことが気に入ったんだな」

「んん?」

「普通なら敵でも味方でもないとわかったところで終わりだろ」

「まだリベルテがどうかはわからないでしょ」

「そうか?……お前が好きで面倒を見ている、のかと思ったけど」

「そんなわけ」

「鳥しか友人がいないのも困りものだし、人間で面倒を見る相手が居るのはいいことだ」

 言いたいだけ言って、ふわりとゲルダが夜空に飛び出す。

 誰もいなくなった窓辺にゼファは苦笑した。

「………べつに鳥しか面倒見る相手がいないわけじゃないし………好き勝手言ってったなあんちくしょう」

 毒づいて、窓を閉める。

 鉱山の夜は夏でも肌寒く、窓を開けているだけで部屋の空気はシンと冷える。

「オレもだれか探しに行こうかなぁ」

 今夜一晩のベッドを貸してくれる暖かい身体を、探しに行ってもいいかも知れない。

 そう思いついて、ゼファも自分の部屋を出た。

 











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