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 波乱の後、デルフィカでの医師としての生活はどうやらほどほどに調子よく始まった。

 ミレイの話を聞いた町の人々がぽつぽつと診療所に姿を現したので、午前中は診療所での診療にあてた。

 午後は町から離れた場所の家々をゼファに連れられて回ったり、鉱山に往診に訊ねたりをした。

 十日ほどでどうにか診療所の体裁が整うと、町での健康診断を実施することにした。

 鉱山でも行えるようにグランに申し入れているが、まだ許可が下りない。丁度新しい鉱脈が見つかって忙しい時期だからだろう、とゼファは言っていた。

 アルフェサーにも同じ事を言ってあるが、所長のワデルから返事は来ない。

 健康診断を実施する日の朝、ハイカと名前をつけた馬の背に乗って少し早めに山を降りた。

 朝食は柘榴亭でとろうかと思う。

 ゼファから聞いた話では、鉱山へ向かう人々の朝食のために早くから開けているらしい。

「ああ……それから、脱脂綿が少なかったなぁ。買っておかないと…」

「クェッ」

 呟くと肩の上でゲルダが相槌のように鳴いた。

 本当はリベルテの背後、鞍の後側にとまってほしいのにどうにもゲルダは人の肩の上が好きらしい。

「重いよ……ゲルダ」

「グァッ、キキッ」

 用心のためにね、とあの日からゼファが置いていった。

 リベルテは固辞したのだがのらりくらりと口の上手い男にあっと言う間に丸め込まれ、いつの間にかゲルダは診療所に住み着いてしまった。

 訪れる人々は皆ゲルダの事を知っていて、あれ今日はここに預けられてるのかい、などと笑っていた。

「……ゼファは、そんなにお前のこと色んな人のところに預けてるの?」

「クェッ」

「まあ……鉱山に連れて行くのは危険だしね」

 凶暴そうな大きな嘴と爪を持っているのに、大人しく利口なゲルダは、どうやら町の人々にも好かれているようだった。

 先日来た子供など注射が厭だといってビービー泣いていたのに、ゲルダに気を取られて泣きやんでくれたので助かった。

 町に着き、ハイカを庁舎の厩舎に繋いで、ゲルダもそこにとまらせてから柘榴亭に向かう。

 店は朝から人でごった返していた。

 どうにか人の合間に空いている席を見つけて潜り込むと、隣から先生と呼ばれた。

「あ……ええと、森羅さん」

「森羅で結構。先生もここで朝ご飯か」

「はい」

「美味いからな。ミレイ、こっちに二つ!」

「はぁいー。なに、まだ食べるの森羅……あら、先生。いらっしゃい」

 朝から忙しく立ち働いているミレイがリベルテを見つけてにっこりと笑う。

「おはようございます」

「おはよう!あ、今日は町で診察の日なんだっけ?」

「そうです。今日から三日間無料の健康診断なので、ミレイもいらして下さい」

「はぁい。時間が出来たらねえ」

 ほどなくしてミレイが1つのお盆に乗った朝食を持ってきてくれた。朝は、これ一種類らしい。

 丸パンが三つに、たっぷりした丼に盛られたシチュー、キュウリとトマトを和えただけのサラダに桃が一切れ。パンにはバターとジャムが添えられている。

 森羅はすでに一回食べ終えたらしいのに、またおかわりをもらっていた。

「ここの料理は美味いが、少々量が少ないのがな」

「そんなこと言うのアンタだけよぉ、森羅!」

 呆れた、という様子でミレイが首を振る。

「明らかに食べ過ぎよ、そんな細い身体して。一体どこにいれてるのぉ」

「胃だろう」

「……まあいいわ、いくらでもおかわりしてちょうだい。お代はもらうけどね!じゃあ先生、ごゆっくり」

「はい、いただきます」

 パンは焼きたてでまだ暖かいくらいだった。千切ってバターを塗っているリベルテの隣で森羅が丸のままかぶりつく。

「うん。美味いな」

「はい。とても美味しいです。…朝ご飯はいつもこちらで?」

「いつも、ではないな。町にいるときだけだ。山に泊まり込むことも多い」

「そうなんですか」

 周囲にいるどことなく粗野な男達とは雰囲気がまったく違うが、彼もまた鉱山で暮らしているのだ。

 よぉ、教授、と言う声がどこからかかかるのに無造作に片手を上げながら森羅が黙々とシチューを片付ける。

「教授なんですか」

「一応。皇央学院の名誉教授だ。名乗ったつもりもないのにいつの間にかそう呼ばれている」

 確かに、森羅は教授と呼ばれてもまったくおかしくない空気を身に纏っている。着ているものはこれから鉱山に働きに行く男達とそう変わりはないのに、不思議なものだ。

「今日はこれからメテオだ。今掘っている鉱脈がそろそろ尽きるようだ」

「……森羅は、鉱脈を見つけるのが仕事なんですよね?」

「そうだ」

「どうやって探すものなんですか」

「まあ……色々だな。石を採ってきて中に混ざっているものを調べたり、今までの鉱脈図をみて予想したり。最終的には、勘だ」

「……勘、ですか」

「そうだ。土の下のことだ、掘ってみなければ出るか出ないかはわからない」

「なるほど……」

「先生、手が留守だ」

 森羅に言われて慌ててシチューを掻き込む。食べ始めれば早いのだが、しゃべっているとついつい手が止まってしまう。

 柘榴亭のシチューは冷めても美味しかった。

「先生も、なかなか強かなようだ」

「先生は止めてください。リベルテ、と。……僕が?」

「リベルテ。……なかなかたくましい。始めは少々案じたが、今はまあ大丈夫だろうと思っている」

「………」

「アルフェサーから馬鹿共が行ったろう」

 唐突な台詞にサラダをとっていたフォークを取り落とした。

 木の器がカンと鈍い音を立てる。

「………あの……」

「アルフェサーの警備は万全とは言い難い。夜陰に乗じて町に出る阿呆共もいる。デルフィカで騒ぎを起こせば終わりだと心得ているので大事にはならない」

「………」

「デルフィカは自然の収容所だ。出入りは天央鉄道でしか出来ない。森も山も、なんの準備もない人間をそのまま逃がしてしまうほど容易くはないからな」

 森羅の言葉で、ようやく腑に落ちた。

 収容所の囚人達は、たとえアルフェサーから抜け出してもデルフィカから逃げることは出来ないのだ。

 気候が人を阻まない今の季節も、山には熊や狼がいる。

「兵士たちはめこぼしをしているつもりでいるが。……前の医師の所へ通っていたのは、知らないようだ」

「……あの」

「あまり愉快なことが起きたとは思いがたい。それでも、逃げ出さなかったな。先生は」

「僕は……医者ですから」

 そう返すと、森羅が奇妙なものを見るような眼でリベルテを見た。

 どことなく哀れみを孕んだ。

「……まあ、いい。先生が逃げ出さないのは結構なことだ。ここには医者が必要だ」

 いつの間に食べ終えたのか、森羅が朝食のトレイを持って立ちあがる。

「では、また。リベルテ」

「あ、あのっ」

「ん?」

「鉱山でも……健康診断が出来るように、口添えをお願いできませんか。お願いします」

「メテオとリーグレントはともかく、アルフェサーは……僕の申請だけでは、受け付けてもらえそうにないので……」

「………心得た」

 ひとつ頷いて、森羅が立ち去る。

 彼と話しているうちにいつの間にか周囲の男達は半分以上出ていってしまっていた。

 リベルテも慌てて残りの食事を掻き込んで、仕事を始めるべく柘榴亭を出た。


























 

 

 

「おはよ。教授」

 鉱山に向かう道の途中で呼び止められた。

 視線を巡らせると、横合いの山道から出てきたゼファがひらりと手を振って見せた。

 その肩には青い大きな鳥がとまっている。

「おはよう。監察官殿」

「これから山?教授にしては遅いね」

「食堂で話し込んでいたからな」

 にこにこと笑うゼファの顔が、無表情とほぼ同じものであることなど良くわかっている。彼が何を探りたいのかも。

「別にたいした話はしていない」

「は?」

「リベルテと。先日の夜のことくらいだな」

「………」

「アルフェサーから馬鹿が行ったことだ。まあ、大事にならずに済んで良かったが」

「………十分大事だと思うけどなあ」

 油断のない、紫の眼が森羅を観察している。人間としてはずいぶん整った顔の男が笑みを消すと、そこに残るのは彼の性らしい隙のない鋭さだった。

「別に先生の事なんて聞いてないでしょ」

「だが、聞きたかったんだろう?伝えたのはゲルダか」

「え?」

「龍種の鳥は頭がいい。人の言葉を操ることなど容易いだろう」

 ゼファが虚をつかれたという顔をする。

「………驚いた。教授、何者?」

「山師だ」

「ただの山師が龍種の鳥の事なんて知ってるわけないでしょ」

「一応皇央学院の名誉教授ということにもなっているが」

「龍種は、皇国の国家機密だ。皇家の直属の配下でもなければ、知ってるはずがない」

 面倒臭くなって森羅はひょいと肩をすくめた。

「……まあ、皇家とは多少の縁があってな。たまたま知っているだけだ。今はただの山師だ、監察官殿が気にするような者じゃない」

「気にするなっつーほうが無理なんだけど、教授」

「仕事の邪魔はしないさ。……ああ、先生にもそれは言えることだな」

「…リベルテ?」

「なにがしかの事情はありそうだが。まあ、お前くらいは優しくしてやった方がいい」

 森羅の言葉に珍しくゼファが困惑した顔をする。

「なんでオレが」

「自分の意志で自分を縛るのは人の常らしい。先生は、そうやって生きてきた人のようだ」

「………」

「だが、何事も程々にしておいた方が楽しく生きられる。そうだろう?監察官殿」

「……まあね」

 うん、と頷いて森羅は再び歩き出した。

 あのさあ、とゼファが後から呼びかけてくる。

「本当はさ。コイツが龍種だってことまで知られちゃうと、オレ、教授を始末しなきゃいけないんだよね」

「止めておけ。第一、知られたんじゃない。知ってたんだ」

「うんうん、まあそうだけど。……誰にも言わないでくれる?」

「承知した」

 そう返すと、後でゼファが声を上げて笑った。

「信用してるよ。教授」

「お前の仕事のことは私には関係ない。私は、お前が私の利害に関わらなければなにもしない」

「教授の利害って何」

「教えるべき時が来たら教える」

 なんだよ、謎掛け?と言う問いにはもう答えずに森羅は歩く。

 大分遅くなってしまった、グランが苛々しながら待っているだろう。

 

 











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