◆胡蝶亭奇譚・陸◆









     ◇◇◇◇◇

 

 車は運転できるのかと問われたので、一応免許は持ってますと答えた。

 免許は持っているが、そう頻繁に使っているわけではない。

 数ヶ月前にバイトでトラックを運転したのが最後だと思う。

「なんだ。大型車も運転できるのか」

「技術としては」

「なるほど。免許は持っていないんだな」

 その通りだ。日雇いの現場では、言われたことはこなさなければ次の仕事が来ない。のろさを詰られたが、ぶつけなかっただけでも上等だと思う。

「まあいい。車は貸してやる、練習しておけ」

「車?あるんですか」

「ああ。近くの駐車場にとめてある」

「へえ……」

 花楽が免許を持っているのにびっくりした。到底自分で取りに行くようには見えない。

「………なんだその顔は。オレが免許を持ってたら悪いのか」

「あ、いいえ」

「まあ、好きで取ったわけじゃない。十八になった途端仕事に都合が良いから婆さんに取らされただけだ」

「……花楽さんの?」

「当たり前だ。胡蝶亭の、前の店主だった」

「そうなんですか」

 花楽が始めた店ではないだろうと思ってはいたが、彼の血縁が商っていたとは思わなかった。

 いまさらながら花楽の肉親はどうしているのだろうと思う。

 自分もそうなのかも知れないが、彼にも、あまり血縁の気配がしない。

 一人きりでいるように見える。

 平日の駅のホームは空いていた。上り下りの二本しか線路がない駅は、ホームも一本きりで端から端までよく見える。

 秋らしく高い空に涼しい風が吹いていて、山に行楽に訪れたらしいリュックサックの人々が見えるくらいだ。

 都心から二時間半、電車を三本乗り継げばもうここは田舎の風景そのものだった。

 ふわぁ、と欠伸をした花楽が改札に向かって歩いていく。

 彼にしてはそうとう早起きをした花楽は、道中ずっと行人の肩にもたれて眠っていた。少し、距離が縮まったような気がして、嬉しいような気恥ずかしいようなおちつかなさを覚えてしまった。

 駅から外に広がる光景を行人はぐるりと見回す。

 垂れた稲穂の金色が懐かしく、眼を細める。

 ずいぶん長い間、見ていなかった。

「……すごく、懐かしい風景です」

「そうか?」

「はい。オレの住んでたところは、周り中たんぼでした」

 今も田舎に帰れば金色の稲穂は頭を垂れているだろう。

 顔見知りの人々も、友人も、あの辺りに住んでいるはずだ。

けれどあの土地にもう行人の家はない。

 白いシャツにジーンズという、珍しく和装でない花楽の背を追って無人の改札をくぐる。

 駅前にある数軒の店を除けば、後は畑とたんぼ、野山が広がるばかりだ。

 たまたま止まっていたタクシーに花楽がさっさと乗り込む。

「ここへ行ってくれ」

 運転手に差し出されたメモにはどこかの住所が書かれているようだった。後部座席に背をあずけて、行人は隣に座る花楽の横顔を伺い見る。

 眼鏡を掛けた理知的な横顔は、黙っているとひどく取っつきにくい。

 珍しくカジュアルな服装が印象を和らげているはずなのに、横顔の堅さは相変わらずだった。

「どこが目的なんですか?花楽さん」

「住所を言ってお前にわかるのか」

「……もとい。なにが目的でそこに行くんですか?」

「買い付けだ」

 あっさりと言われて思わず眼を丸くする。

「買い付け?」

「そうだ。店の商品を補充しないとな。良い物を見つけたら即買っておかないと、同業者に横取りされる」

「へぇ……」

 こんな田舎の町でいいものを発見したのだろうか。というより、いつ探したのだろう。

「なにか、連絡が来たんですか」

「連絡?」

「買い取って欲しいとか、そういう」

「いいや」

 あっさりと否定されたがそれならなぜそこを知ったかを花楽が教えてくれることはなく、やがてタクシーは坂を登り始めた。

 カーブした山道からしばらくして細い道に入り、他の家から少し離れた場所にある一軒の農家の前で止まった。

 支払いを済ませて花楽が下りる。

 どうやら本当に知人や友人の家ではないようだった。

「ごめんください」

 声を掛けて出てきた農家の主らしき人物に、名刺を渡した花楽が丁寧に説明をする。

「私どもは、東京で骨董を商っている古道具屋です。この度は買い付けのために家々を回らせていただいております。もし宜しければ、蔵の中の物などを拝見させていただけませんでしょうか」

「骨董屋?」

「はい」

 うわぁ、と行人は内心で感心する。

 花楽の営業用スマイルというものを初めて見てしまった。

 なるほど、時と場合によってはこれくらいの技は使えるのだ。道理でいままで一人で店を続けて来られたはずだなぁと思わず感心してしまう。

「別に特別なもんなんざねーがなぁ」

「一見そうとは見えない物に、意外な価値があることがあるものです。うちの店では曰く付きの品や傷のある品、価値のわかりにくいものから様々な商品を取り扱っておりますので」

 しばらくの問答の後、考えていたよりもあっさりと許可が下りて行人は意外な気がした。

 見知らぬ来訪者に蔵を見せるなど、普通はもっと警戒して良いはずだと思う。

「こっちだ」

 敷地の片隅にあった蔵に案内されて、錆びた南京錠の鍵を渡された。

「終わったら元通り閉めて、母屋に持ってきてくれ」

「あ、はい」

 そう言ってそそくさと男は行ってしまう。無防備さに思わず呆気にとられた。

 いくら田舎とはいえこんなに無防備で良いものか。

「怖がってるのさ」

「え?」

「蔵の中にある物が怖いんだろう。あわよくば、オレに買い取ってもらえないかと思ってる」

「……へぇ…」

 開けろ、と手で示されて行人は錆びた鍵を力任せに回し、ギィッと軋む音を立てる蔵の重い戸を引いた。

 中は薄暗い。高い場所にある明かり取りの窓から射し込む陽が、唯一の光源だ。

「……ああ。いたな」

「え?」

 中に踏み込まず入り口に立ったままの花楽の視線を追う。

 やがて、徐々に眼が慣れてきた。

「あ………」

 蔵の中の暗がり。物の輪郭がぼんやりと影として見えるその中の、一番奥に。

 箪笥の上に座る少女がいた。

「……あの」

「七渡の遣いで来た。オレの言葉がわかるな?」

 蔵にわだかまった闇の中、少女の姿ばかりがくっきりと見えるのが奇妙だった。

 白い顔にはどんな表情もない、というよりも顔自体がない。かろうじて細い線のように見えるものが眼なのだろうか。

「お前をここから出してやる。だから、邪魔をするな」

「………」

「わかったな?陽の光に当ててやるし、綺麗に掃除もしてやろう。……まあそれはこの男の役だが」

「え、オレ?」

「いいな。もうお前はこの家に縛られなくて良い」

 しばしの沈黙の後、やがて少女はこっくりと頷いた。

 その白い姿がにゅうと歪み、細い線のようになって座っていた箪笥の中に吸い込まれた。

「………うわ」

 何事もなかったかのような涼しい顔で花楽が蔵の中に足を踏み入れるのを、慌てて行人は追った。

「……あの。いまの」

「ああ」

「幽霊?ええと、物の怪、っていうんですか。……七渡さんに聞いて、ここの家に来たんですか?」

「ああ。……抹茶と菓子の代金だ」

「代金?」

「物の怪がおあしを持ってるはずがないからな。大抵は、情報と引き替えだ」

「………なるほど……」

 色々な使いようがあるものだ。もしや、あの店に並んでいる商品はみんなそうやって集めた物だろうか。

「古い名家の蔵には、大抵いいものが埃を被っている。ちゃんとした家なら蔵の中も管理をしているが、昨今、そこまで余裕のある家は少ないからな。胡蝶亭に頼み事をした物の怪はそう言う物を見つけたらオレに報せに来ることになっている」

「はあ。そうなんですか…」

 良くできている、というかそこまで魑魅魍魎とツーカーなのはどうだろう。

 水分の主に届け物をしに行って以来まだ行人はそう言った仕事をしたことがない。

 花楽がしている気配も見えないので、もともと依頼自体が少ないのかも知れないが。

「まあ、当たることの方が少ないがな。七渡はましな方だ、ちゃんと買える物があるところを探してくる。話が早く通る所もな」

「早く?」

「持ち主が手放したがっている物があるところだ」

 手持ちの付箋に買い取り値を手早く書き付けて、花楽が商品に貼ってゆく。顔のない少女が座っていた箪笥には、十五万という高値が付けられていた。

 錠前にも取っ手にも角のこしらえにもよく見れば彼岸花を模した凝った意匠が施されていて、良い物だと言うことが最近は行人にもわかるようになってきた。 

「綺麗な箪笥ですね」

「そうだな。欅で作られた良い物だ。明治の後期頃だろうな」

「へぇ……」

 つくづく感心して箪笥と花楽を交互に見てしまう。

 この品物の一体どこを見ればすぐにそれだけのことがわかるのだろう。

「おい。これをどかしてくれ」

「あ、はい」

 力仕事は行人の役割だ。言われたとおり棚にあった大きめの箱を一つ一つ下ろし、慎重に蓋を開けてゆく。

 幾重にも薄紙に包まれた中には、大皿や花瓶、揃いの小皿などの焼き物が納められていた。

「この辺りは主に聞かないとわからないな。行人、ちょっと行ってきてくれ」

「はい。あの人に、これは売る気があるかどうか聞いてくればいいんですね?」

「そうだ」

 蔵から外に出ると太陽はひどく眩しく感じられた。

 雑草の生えた石畳を通り、母屋とおぼしき建物の勝手口から声を掛ける。

「ごめんください」

「はい、はーい」

 ぱたぱたと出てきた女性に事情を説明すると、眼を丸くされた。

「あらやーだ!あの人、そんなことひとっことも言ってなかったのに!骨董屋さんですって?」

「あ、はい。あの、とりあえず見積もりをさせていただいてるんですが……」

「ちょっと、ちょっとあなた!骨董屋さんが聞きたいことがあるって!」

 どうやらこの家の奥さんらしい。ばたばたと奥に引っ込んですぐにさっきの男性を連れてきてくれた。

「すみません。お忙しいところ」

「あ、ああ。いいや。で?どうだい、中の物は」

「はい。なかなか良い物なのだと思います……すみません、オレはまだ見習いなもので。あの、箱に収められている焼き物の類はいかがでしょう?」

「お値段にもよるけどねぇ」

 隣から奥さんが口を挟む。

「はい。それでしたら、とりあえず見積もりということでいいでしょうか。あとは、付けた値段を見ていただければ」

「ああ、わかった。……それから、あんた、あの、箪笥は」

 急いた口調で問われて、ああと思う。

 やはりあの箪笥が主の悩みの種だったのだろう。

「明治頃の、とても良い箪笥だそうです。確かうちの店主が十五万と見積もってました」

「……あぁ」

 そう言うと、心底ほっとしたという顔で農家の主人はため息を付いた。

 

 

 

 一通りの見積もりを終え、売ってもらえる物ともらえない物を分け、後日引き取りに来ることを約束しての帰り道。

 車窓の外はもうとっくに陽が落ちている。

 ふぅっと行人が隣でため息を付いた。

「疲れたか」

「多少」

「だらしないな。このくらいで」

「………何しろ始めてのことだらけで。花楽さん、あの女の子は、何なんです?」

 田舎から少しずつ都会へ向かって走る電車には、人はちらほらとしか乗っていない。まっすぐに正面の暗い窓を見ているとまるで二人切りかと思うほどだった。

「なに、というと?」

「幽霊……っていうんですか。それとも、物の怪?」

「どっちでも変わらない。アレは、人のなれの果てだ」

「………」

「幽霊と物の怪の差は、オレに言わせればあって無きが如しだ。敢えて言うのならそう言うものになってから過ごした歳月だが……それだってはっきりした区別があるわけじゃない」

 歳月、と行人が呟いた。

 その横顔をふと花楽は見やる。

 ついこの間まで花楽の住むこの世界をまったく知らないで生きていたこの男に、ああいった存在はどう映っているのだろう。

 脈絡もなく、行きに寄りかかっていた肩が広くて暖かかったことを思い出した。

「……時間が過ぎると、人の幽霊はああいったものになるんですか?」

「時間、というより……自我が摩滅したらだ」

「自我」

「そうだ。人が死んだらどうなるかは、オレも知らん。ただ、時折、人でいた時間を忘れられないヤツがいる。未練の理由は様々だ。……思慕、憎悪、怨嗟。まあ大抵の場合は負の感情でだ」

 規則正しいレールの音。

 白い街灯が窓の外で次から次へと流れてゆく。

 この列車は特急なので、乗り換えのターミナル駅まで止まらない。

「始めは、自分の身体があった頃の人格にしがみつく。通常言うところの幽霊がそれだ。数十年……あるいは、数百年も、人であることを忘れられないものもいる」

「………」

「そして、忘れてしまうものもいる。未練が薄れて、そのままゆくべき場所へ行くものはいい。場所や、時間や、あるいは他の原因で地に縛り付けられて……ただの、自我のない精になるものもいる。それが、より強いものに取り込まれたり、いくつかが合わさって新しい自我が生まれたりもする。

言ってみれば、幽霊よりももう少し、安定した存在になるという事だな」

「それが、物の怪とか…妖怪とか言うものなんですか」

「便宜上の呼び名だな。海と山と川と野原をひとくくりにして自然と呼び慣わすようなものだ。脈絡も系譜もないものを、人が認識しやすくするためにつけた名だ」

「なるほど……」

 鵜呑みにした様子で行人が頷く。

 その素直さというか与えられたものはそのままそっくり受け容れるという姿勢は、彼の美徳かも知れないが少し逸脱している場所でもある。

 空〈す〉いている、と七渡は言い表した。

「それから……人外のものには、もう一つ、脈絡と系譜を持つ者がいる」

「………」

「今まで説明したものは言ってみれば人から為ったものだ。存在のどこかに、人間の意志が関わっている。……世界には、そうではない人外もいる」

「……それは?」

「種族としての、生き物だ。長い歴史の中で人から追われ、消えていった者が、隠れて生き延びている場合がある。分かりやすいたとえを出すなら、吸血鬼、虎人、ツチノコ、龍、そういった類だな」

「……ええ?」

 さすがに半信半疑と言った顔をしてみせる行人に、花楽はにやりと笑う。

「人が想像できることは、すべて起こりうる現実だ」

 あるいは、想像の根を辿ればそこには確たる現実がある、とも言えるかも知れないが。

「言っておくがこれはすべてオレの持論だぞ」

 なんでもかんでも鵜呑みにされては困ると、念のため釘を差しておく。

「はい。……でも、とてもわかりやすくて、筋が通っています」

「そうか」

「はい。……オレのばあちゃんは、神主だったんですが」

「神主?巫女じゃなくてか」

「はい。代々、小さな社の神主をしていたそうです。じいちゃんは婿養子で来たらしいんですが、血を継いでいないとその社は収められないって言ってました」

「へぇ……」

 彼の血に縁の深い神が御座〈おわ〉した社だったのかも知れない。

 人を縛るほどに強い力を持つ神のいる場所は、そう多くはない。

「小さい頃、ばあちゃんの所に良く……人じゃない、なにかが来てたのを覚えてます。花楽さんが言ったみたいな、人であることを忘れた人だったのかもしれません」

「見たことがあるのか」

「少しだけ」

 あんまり小さい頃の事なんで、胡蝶亭に来るまで忘れてましたと行人は言った。 

 なるほど、素地はあったわけだ。

「その社は?」

「……もう、無くなりました」

「そうか」

 彼の血を縛っていた神はどこへ行ったのだろう。

「オレの……父さんも、母さんも。じいちゃんも、ばあちゃんも、もう亡くなりました。……未練で幽霊になったりは、しなかった」

「それが当たり前だ」

「はい。ならなくて、良かった。ずっと縛られたままなのは、つらいと思います」

「………そうだな」

 密やかなため息は電車の音に紛れる。

 車掌の放送が流れて、後少しで乗り換えの駅に着くことを知らせた。

 買い付けの旅に人を同行させたのは初めてだ。

 それどころか、隣にこうして他人が座っているのもどれくらいぶりだろうか。

 列車がスピードを落とす。

 白く流れていた街灯がはっきりと見えて、その向こうには駅が見えてきた。

 そこだけが仄白く、闇の中に光っていた。