◆胡蝶亭奇譚・肆◆









    ◇◇◇◇◇

 

 花楽の節くれ立った白い指先が、箪笥の上に置かれた陶器の花瓶を一つずつ取り上げては奥の部屋に運ぶ。

 階段のように段々になった箪笥は、見目の通り階段箪笥という名なのだという。江戸時代に作られたというその箪笥はどっしりとした風格があって、表面がつやつやと黒光りしている。

 行人が店に来たときは多少埃を被っていたが、本で調べたとおり水拭きと乾拭きを繰り返したらずいぶん美しくなった。

 へえ、と花楽が感心したような声を上げたものだ。

「……古道具だからな。別に埃を被っていても価値は変わらないぞ」

「だからって、汚くしておくことはないでしょう。商売ものなんですよ」

「……面倒臭い」

 ぶつぶつ言う花楽は、それでも奥へ運んだ大きな花瓶の中まで手ぬぐいで拭っている。

 無精だが、そう言ったことに手を抜く性分でもないらしい。

 それとも単に行人がうるさいからだろうか。

 ほんの一月足らずの間に理解した。

 古道具屋兼茶飲み所である胡蝶亭の店主が進んでやりたがる仕事は、唯一、喫茶で出す甘味の制作のみだ。

 後のことはできる限り手を抜くのがどうやら彼のスタイルらしかった。

 古道具にしてもほぼ彼の趣味のようなもので、大事にしているものは番台の近くで暇を見つけては磨かれているがその他のものはおおかたほったらかしだ。

 それでも日に数人は訪れる客など、埃を払ってから商品を手に取っている。

 とりあえずはそれを改善しようと行人は決意したのだった。

 花楽に恐る恐る伺いを立てたら、行人の好きにしろと返事もまた実に大雑把なものだった。

 別になにかポリシーがあって店を混沌に陥れているわけではなく、成り行きのままに歳月の過ぎた結果らしい。

 店の定休日である水曜日、朝早くから起き出して眠い眼をこすりながらまずは天井からはたきをかけた。

 木目で梁の見える天井は綺麗にしようと思えばキリがなかったのでとりあえず蜘蛛の巣を全部払ったところでよしとして、次は商品の分類に取りかかった。器は器、花器は花器、箪笥、卓袱台、机、その他の細々したものをそれぞれに分けていく。

 机をどけたら食器が出てきたり、古いブリキのバケツの中に元がわからないほど埃を被ったガラスの人形が転がしてあったりと、店に積もり積もった年代の堆積は混迷を極めた。

 そうこうしているうちに花楽が起きてきたので、いったん奥の部屋へ物を運ぶのを手伝わせること数時間。

 箪笥の類こそ無理だったがその他の商品はほぼ移動し終え、店内に商品を見て回れる獣道が数本、出来上がった。

 戸口の脇に外から商品を見ることの出来るガラスの飾り窓があることも始めて知った。

 表は大きな枯れかけた植木鉢で、中は机と棚で隠されていたのだ。

 当然空間を開けてガラスを磨き、ずいぶんと店の中は明るくなった。

「これでいいですか。花楽さん」

「……まあ、いいんじゃないか」

「じゃあ、あとは細々したものを納めないと」

「………まだやるのか」

 うんざり、と言った顔をした花楽が居間を振り返る。

 そこには大きな家具類の移動のために移した細々したものが山と積んであった。

「図体がでかいだけの木偶の坊かと思ってたら、意外に働くなぁ」

 それにオレを巻き込まなければ一番なんだが、とぶつぶつ言いつつ花楽が出来たばかりの獣道を辿り出す。

「あなたの店でしょう」

「山積みでもそれなりにどうにかなってたんだ」

「………」

 それなら片づけの許可を出さなければいいのに、と危うく言いそうになったが止めておいた。うっかり花楽の気に障る事を言うと百倍の文句が返って来かねない。

 箪笥、机、鏡台、本棚などの古い家具を花楽が一つ一つ見て周り、行人を差し招く。

「はい」

「これを、こっちの棚の上に移せ。その方が見場がいい」

「はい」

 すのこの上に置かれていた一抱えほどある大きな陶器の鉢を持ち上げて、ずっしりとした階段箪笥の一番上の段に置く。

「傷つけるなよ。その箪笥は二百万だ」

「……え」

 危うく鉢を取り落とすところだった。

「そ、そんなに高いんですか?」

「相場だ。というより、安い方だと思うがな。その火鉢も新物だが有田焼の上品だ、十五万はするぞ」

「……十五万。これ、火鉢なんですか」

 てっきり植木鉢かと思っていた。枝振りのいい大きめの松の木など似合いそうだ。

 片付け中にも色々と教わったがメモを取ることも出来ず、商品が綺麗に出そろったところでまた花楽にレクチャーを受けなければなと思う。

 問題は気まぐれな花楽に聞いても教えてくれる時とくれない時があることだ。

「新物ってなんですか?」

「アンティークに似せて作ったレプリカのことだ。ものが良いからそれなりの値段だが、その火鉢が作られたのは昭和に入ってからだな」

 胡蝶亭の商品には値札という物がいっさい貼られていないので、どれがどのくらいの値段なのかまだ行人にはほとんどわからない。

 アンティークというと相当高いものも多いようだし、お客さんも手を出しにくいのではないだろうか。

 そう言うと、まあそうだろうなという答えが返ってきた。

「うちは古道具屋であってアンティークショップじゃないから、そう高い物は置いてないんだがな」

「……二百万は高くないんですか」

「見目からいって当然の値段だろう。本当に高いものは、見た目で判断が付かないくらいの値が付くぞ」

「はあ。そういうものですか」

 胡蝶亭で扱っている古道具は、いわゆる生活骨董という物なのだと教わった。 

 書画や陶器、年代物のレアな玩具、ジュエリー等の飾って愛でて楽しむものを観賞骨董と呼ぶ対極なのだそうだ。

 普通の生活の中で使う古家具、古道具をそう呼ぶらしい。

 年代も古くとも明治、おおかたは大正・昭和初期のものが大半で、アンティークと呼ぶには少々新しい。

 まあ、付喪神が宿るには充分な時間だがとさらっと怖ろしいことを言われた。

 付喪神とは百年たって精が宿り、意志を持つようになった道具の物の怪の事だ。

 店内をぐるっと見回した花楽が、ふぅんと唸った。

「……喜んでるようだな」

「………そうですか」

 なにが、と問うのは止めておく。

 あの日以来、花楽は実にオープンに胡蝶亭が普通の店ではないことを知らしめてくれる。どうやら自分の眼には映らないものが店内にいるということも知った。

 時折、試されているのかなとも思う。

 どこまで我慢できるかを。

「……オレは、古いものは好きだが」

 壁際に置かれた片袖の机を、ふと花楽が撫でる。

 傷と木目の浮いた表面に時代の感じられる、雰囲気のある良い机だ。

「あるだけで満足だからな。あまり、売れるようにしようとかは考えなかったが」

「……店としてそれはどうなんですか」

「どうでも良かったからな。……だが、こうして綺麗になって並んでいるのは、まあ悪くはないな」

 ぐるりと花楽が店内を見回した。

 家具が多いので窮屈な店内は、片付けてみれば案外広かった。まだ細かなものは並べていないので空間が空き、がらんとして見える。

 白壁と黒っぽい家具が両極端なコントラストを作っていて、それをしげしげと見つめる花楽の表情に、ふと行人は不安になった。

「余計なことを、しましたか」

「うん?」

「あのままの方が良かったですか」

 よかれと思ってしたことだが、あの時間の止まったような店内には、もしかしたら花楽の特別な思い入れがあったのかも知れない。

「いや」

「………」

「無精で放ってあっただけだ。面倒臭くてなぁ」

「……そうですか」

「まあ、落ち着かないことは事実だが」

 ふと意地の悪い笑みを花楽が浮かべる。

「悪いと思うなら後はやっておいてくれ」

「え」

「オレは疲れたから寝る」

 そう言って、さっさと部屋に上がってしまう。

「ちょ、まだ夕方ですよ!花楽さん!」

 おやすみ〜、と良いながら後の処理を一切合切丸投げして、花楽が逃げ出してしまった。

「………花楽さん」

 残されたのは六畳間の商品の山だ。細々としたあれらの埃を払い、磨いて、見目良く配置しなければならない。

 が、ディスプレイのバランス感覚など行人には無い。

 あっはっは、という笑い声が背後から聞こえた。

「無理無理。もう寝ちまうからね。あそこまで働かせただけでも、大したモンだよ」

「………甘露さん」

 やっと本来の役目を果たすようになった窓際の、店内で唯一陽の当たる机の上に早速陣取った甘露が、けらけらと笑っている。

 彼女は当然模様替えの手伝いなど一切せず、朝から行人がくるくると動き回っているのを面白そうに眺めていた。

「あのぐうたらが、アンタの言うとおり働いてねぇ。あたしゃ可笑しくて仕方がなかったよ」

「……そうですか?」

「ああ。笑うとへそ曲げっちまうから、黙ってたけどねぇ」

 ぐぅん、と気持ちよさそうに寝転がったまま甘露が伸びをする。

 白い毛に太陽が散って、きらきらと光った。

「ああ、気持ちいい。ここでひなたぼっこが出来るのは久しぶりだよ」

「前はもっと片づいてたんですか」

「そうさ。時間が止まっちまう前はねぇ」

「……時間が止まる?」

 前脚から毛繕いを始めた甘露が、黄色い眼でちらりと行人を見やる。

「……流れないで積もってた、っていうのが正しいのかねぇ。動かしたのはアンタさ」

「………オレが?」

 あの掃除も分類もされないまま、ただ化石のように重なり合って置かれていた物々が、この店の時間だったのだろうか。

 思わず行人は店内を見回した。

 商品が多いので雑然とはしているが、それでも今朝に比べればずいぶんとすっきり片づいてよく見えるようになり、陽が射し込んでいる。

「良いってことさ。澱んでいたって、いつかは溢れるものだもの。無理の挙げ句じゃないだけずいぶんましだ」

 謎かけのような事を言って、甘露は毛繕いを続ける。

「もうこんなに綺麗になったんだしさあ。あんたも程々にして、休みなよ」

「……いや。そうはいきません」

 休みたくとも、畳の六畳間には商品が山と積まれている。

 あれらをすべて綺麗に拭いて、並べなければ明日の開店もままならない。

 気を取り直して行人は店の奥に向き直る。

 たくさんの商品が並んだここには、その商品と同じほどの過去が積もってきたのだろう。

 疑問に思ったことをすべて根ほり葉ほり聞くのは不調法というものだ。

 とりあえずは商品の分類から始めようかと、行人は、一番手近にあったガラスの器からまとめ始めた。

 

 

 


















 

 霞む霧のような竜胆の刻まれた薩摩切子。

 木目から覗き窓の細工まで意匠を凝らした本棚。

 ゼンマイを捲いて時を刻むローマ数字の時計。

 古い品々にはすべからく過ぎた時が澱のように積もっていて、その光景に時折我を忘れる。

 あるいは物を形作る分子や原子に刻まれている想いは、ちらちらと燃え立つ炎のように光り、それを見ることが出来るものを虜にする。

 骨董を好む人間というのはいるものだ。

 憑かれたように古い物ばかりを集めて、その積もり積もった歳月に触れようとする。

 常に未来へ進もうとするのが生き物のなのに、人ばかりがそれを裏切って過去を振り返る。

 おかしなものだ。

 

 シャア、と部屋の隅を見て甘露が吹いた。

 歪なガラスの球を手の中で弄んでいた花楽は、ふと我に返った。

 森のような深い緑の中にいくつかの空気の玉と何種類かの不純物を含んだそのガラスビーズは、数百年前にアフリカで作られたものだ。転がせばビー玉ほどの歪な球体の中にいくつもの風景を見せる。

 その緑にちらちらと燃え立つ歳月をみると、抗いようもなく眼を奪われてしまう。

「甘露」

 どうした、と聞く前に部屋の隅に宿った暗い闇に気がついた。

「………薄墨」

 花楽の前に立った甘露が低く唸る。

「なんの用だい。薄墨」

 ほの暗い闇は、猫の形をしていた。黒とも灰色ともつかない猫は紅い眼をしていて、時折その一部分が霧のようにざぁっと揺らぐ。

「……花楽様、ご無沙汰しております」

 声は低く、聞き取りづらい。

 薄墨は本来猫の形をした妖ではない。

 花楽の手前、礼をとってその形をしているだけだ。自分の本来の姿でないものに化けるのはくたびれるだろうに、律儀なことだ。

「ああ、久しぶりだな。その、様ってのは止めろ」

「無断で立ち入るんじゃないよ、薄墨。図々しいねまったく」

 シャアっと声を上げる甘露の憤りを意に介さず、薄墨がゆらと近寄ってくる。

「……いかがですか。花楽様」

 甘露の怒りも花楽の台詞も聞いた様子すらみせず、薄墨が言葉を続ける。

 相変わらずだ。

「お前はもう少し人の言葉を聞くって技術を身に付けた方がいいな」

「人の世に、疲れてはいませんか」

 一切を無視したまま、薄墨が言う。

 見目こそ小さな猫だが、その紅い眼はその姿を裏切るほの暗さでひたと花楽に据えられている。

「生きづらくはないですか。悲しいことは?」

「………」

「つらいのならば、いつでもおいで下さい。私どもはお待ち申し上げております」

 フウッとまた甘露が苛立った唸り声を上げた。

「いいかげんにおしよ。来るたんびに同じ事をぐちゃぐちゃと、アンタはテープレコーダーかい。花楽は行かないって何度も言ってるのに、まったく芸のないことこの上ないね」

「……お前には言っていない」

 ようやく甘露に向き直って、薄墨がそう言った。 

 そこはかとなく迷惑そうだ。甘露の姿を模して猫の形を取っている薄墨は、あまり彼女が好きではないらしい。

「花楽に言ってるってことはあたしに言ってるも同然だよ。まったくいつもいつもうるさいこと。だいたいね、話を聞いて欲しいんだったらごめんくださいって言って玄関からおいで。人には人のルールがあるって何遍言ったらわかるんだね」

「………」

 立て板に水、とまくし立てる甘露に口で敵うものなどそうそう居ない。本来口べたらしい薄墨が黙ってしまったのに思わず花楽は苦笑した。

「まあ、そう言うことだ。オレは行く気はない」

「………」

「帰れ、薄墨。ずっとその姿でいるのもつらいんだろう」

「………それほどには」

 ゆら、と影が揺れる。

 霧のように一瞬ほどけて消えるのは、その一部分だけが彼の属する世界へ逃げ戻っているのだろうか。

「あの方が……お待ちです」

「………」

「………花楽様を……」

「帰りな」

 有無を言わさず甘露が言葉を切る。

「帰りな。さっさと」

「………では、また……いずれ」

「もう来るんじゃないよ」

 闇にほどけるように薄墨が消える。薄暗かった部屋の隅に急に光が届いたようだった。

 いつの間にか詰めていた息を、花楽は吐き出した。

 あの妖の出現はいつでも唐突で、その度に花楽は少しだけ息の詰まる思いをする。言いたい言葉を歯の間に噛みしめるような、毒の空気を無理矢理飲み下すような。

「まったく……いつもいつも唐突に、迷惑なやつだね」

 人の姿だったら厄よけに塩をまきそうな程カッカとした様子で、甘露がうろうろと部屋をうろつき回る。

 花楽の部屋は母屋の一階にある。

 押入に入れられた布団と店の商品の中から選んだ文机、座布団以外の物は置いていない。

 甘露は好き勝手に出入りするが、花楽以外の人間がほとんど立ち入ったことのない部屋だった。

「……まあ、これでまた、しばらく来ないだろう」

「そうだけどさあ。いい加減、諦めないもんかね」

「さあな……」

 そう言ったとき、廊下から呼ぶ声が聞こえた。

「花楽さん。すみません」

「ああ……」

 胡蝶亭の新入りが店から呼んでいる。また値段が分からないのかもしれない。

 呼ばれる度に花楽は、まるでボタンを掛け違っているような不思議な感覚を覚える。この家で、自分と甘露以外の声がすることにまだ慣れていないのだろう。

 実際、こんなに長く保った店番は初めてだった。

 どんな出来事が起きても、行人は最初は驚くもののすぐに立ち直って淡々と仕事を片付けている。

 なかなかいない図太さだ。

「……まあ、悪くはない」

 人としては。そう呟いて、花楽は店に顔を出すべく重い腰を上げた。