◆胡蝶亭奇譚・拾弐◆









     

 

 

   ◇◇◇ 終章 ◇◇◇

 

 

 胡蝶亭の庭には堆〈うずたか〉く落ち葉が積もっている。

 桜と、柿、紅葉に銀杏と季節感がある植物ばかりが植えてあるこの庭は、一服するには最高だが毎日の落ち葉掃除はなかなか面倒臭い。

 集めた傍から枯れ葉の山に飛び込んでちらけたりする悪戯好きがいるときにはなおさらだ。

 ガサッ、と音がした。

 ため息を付いて行人は後ろを振り返った。

 竹箒で集めたはずの山がまた散っている。

「……甘露さん。仕事が進みません」

「いいじゃないか。落ち葉に飛び込むのは最高だよ、アンタもちょっとやってみたら」

「………オレが飛び込むには量がたりませんね……」

 甘露のぶち柄は色とりどりの落ち葉に飛び込んでしまうと保護色になって、どこにいるやらサッパリわからない。

 いい気になってガサガサと楽しげに落ち葉を荒らし回っているので、いっそ葉と一緒に落ち葉を焼くための穴に掃き込んでしまおうかという悪戯心も起きる。

 後が怖いのでやらないが。

 甘露が遊んでいると仕事にならないので、仕方なくほうきを置いて枯れ葉の中から綺麗なものを拾い集める作業に移った。

「なにしてるんだい?」

「綺麗な葉っぱを拾ってるんですよ……あ、これも」

 大量に落ちているようでいて、地面の上から綺麗な葉を探すのはなかなか難しい。

 赤子の手のような紅葉、ぱっくりと先の割れた銀杏、赤と橙の二色でマーブルになった桜の葉。

「ひろってどうするのさ、そんなの」

「和菓子の飾りに使うんです。後は、紙に漉きこんでコースターにしたり、店の展示にとか」

「意外に細かい男だね」

「和菓子の飾り付けは花楽さんですよ……でも、そうですね、手作業は嫌いじゃないです」

「ふうん、まめなこった」

「楽しいですよ」

「あたしゃ、ゴメンだよ」

 ごろごろと背中をこすりつけて転がりながら、甘露が銀杏の大木を見上げてこの銀杏はオスだからつまんないねぇとつぶやく。

「?銀杏に雄雌なんかあるんですか」

「あるとも。メスにしか銀杏〈ぎんなん〉はならないんだよ、美味しいのにさ」

「この銀杏に銀杏がなったら秋の間は開店できないと思いますよ……」

「そりゃ、落ちる度にアンタが拾い集めるのさ」

 けらけらと甘露が笑い、ようやく落ち葉遊びに満足したらしく跳ね起きると今度はさっさと勝手口の方に飛んでゆく。

 まったく猫はきまぐれだ。

「いや……女性は、かな……」

 ほうきを手にとって掃除を再開しようとしたところで今度は花楽に呼ばれた。

「行人」

「………女性だけじゃなかった」

 さっさと来いと呼ばわる胡蝶亭店主は先程行人に庭掃除を言いつけた張本人の筈だが。

 勝手口を覗くと、目の前に小さな皿が突き出された。

「試作品ですか?」

「そうだ。食べてみろ」

 和菓子が二つ、並んでいる。

 一つは見た目が毬栗〈いがぐり〉にそっくりで、もう一つは柿の形の練りきりだった。

「へえ、うまそう。いただきます」

 まずは柿の方をぱくりと一口で口に放り込む。

 相変わらず、さらしあんの甘さととろけるようなほろほろ加減が絶妙だった。白インゲンの外側も適度に柔らかく、もっちりとした弾力と仄かな豆の香りが良い。

「美味いですよ」

「もう一つは」

「もちろん、もらいます」

 栗の毬〈いが〉はどうやら餡にまんべんなく素麺を差し込んでまる揚げしたものらしい。

 噛むとぱきぱきと折れて歯ごたえも良く、香ばしかった。

 中は油であげられてほっくりと甘くなった芋の餡だ。

「どっちがいい」

「うーん……」

「この間松のじじいにけちをつけられたからな。まったく、なにが喰いづらいだ。入れ歯の調子が悪いんだろうが」

「ははは」

 求肥〈ぎゅうひ〉が固いと文句を言われたのをまだ根に持っているらしい。

「そうですね……お歳を召した常連さんが多いですからね。入れ歯の方が多いなら、こっちの栗はちょっと食べにくいかも知れませんね」

「……そうだな。確かに」

「柿の方でどうですか?あんこ、美味しかったですよ」

「当然だ。まずい餡なんかオレが出すか。……ううん」

 どうやら花楽としては栗の方が自信作だったらしい。

 唸り始めるのに苦笑して、二つとも出したらどうですかと提案する。

「そしたら好きな方を選べるじゃないですか」

「二つは決まってるんだが……まあいいか。三つが四つに増えたところで、変わらないな」

「そうですよ」

 実際変わるのは花楽の手間だけだ。

 しかしこのところ骨董の店番を行人に任せきりなので、手は空いているだろう。

 紅葉の美しい秋はやはり散策の人々が多く、喫茶が一番にぎわう時期なのだという。

 このところ、顔なじみの常連以外のリピーターがいることにも行人は気付いていた。

 骨董の方の店にも寄ってくれるので挨拶をしたら、和菓子がとても美味しかったのでつい来ちゃうのよと笑っていた。

 良いことだ。

「あ、そうだ。花楽さん」

「なんだ」

「このお菓子のお皿、この間仕入れた小皿はどうですか?たしか秋っぽいのがありましたよね」

「ああ……あれか」

 骨董の仕入れのついでに、不要だというのでもらってきた皿があったはずだ。そう古いものでは無かったが手の良い綺麗な皿だった。

「そうだな。あれは店用におろすか」

「はい」

「あとで出しておいてくれ」

「わかりました」

 

 薄墨はあれ以来姿を見せない。

 不思議な現象はもちろん日々起きているし、むしろ前より多い気もするが、慣れてしまった。

 そうなると不思議なもので何事も起きない日の方が落ち着かない気がしてくる。

 もうすっかりこの店に馴染んだなあと思う。

 季節はゆっくりと移ろっている。

 時折吹く木枯らしの中に煙いような匂いが混じって、もうすぐ冬がやってくる。

 腕を組んで完成品の柿と栗を睨み、すっかり菓子に夢中になっている店主の横顔を見つめる。

 その細い顔に、あの日の獣相は欠片も見当たらない。

 けれどあの姿も花楽の一部で、そのことを行人は今はもう少しも怖れてはいなかった。

 それどころか。

 つい、衝動に押されて細い肩に手を掛ける。

 行人よりも全然薄いその身体には、行人など想像も付かない力があって、花楽は時折それを疎んじている。

 それは、そこにあるだけのものだ。

 行人はそう思う。

 どう使うかは花楽次第で、彼ならばきっと道を誤る事はない。いつかは、それも自分のものだと、受け容れる日も来るだろう。

 その時に、まだ彼の近くにいられたらいい。

「あのね、花楽さん」

「なんだ」

「好きですよ」

 すっかり忘れ去られていそうな言葉を繰り返す。

 二つの血の狭間で揺れながら、それでも痛みに負けることなく自分の出来ることをして、誰かを救っている花楽は、とても美しいと思う。

 その心に、凛と立つ姿に、たまらなく惹かれる。

 ぽかんと薄く開けられた唇がどうしようもなく魅力的だったので、つい身体を屈めた。

 柔らかな感触に触れてから、ああこれは怒られたら骨の一本や二本じゃ済まないかもとふと思う。

 唇を離して、好きですともう一度言った。

「あなたが、好きなんです。花楽さん」

 溢れるような気持ちは、それでも言葉にして伝えなければきっとわかってもらえない。

 彼にもっと近づきたかった。

 自分が思うような心を彼に持ってもらえたなら、それはどんなに素晴らしいことだろう。

 呆然とした花楽の顔が、みるみるうちにさっきの柿の練りきりより赤くなる。

「……ッ、おまえ……ッ」

 なんだか紅葉みたいだなと見とれている間もなかった。

「出てけっ!阿呆ッ!!」

 文字通り勝手口から放り出される。

 勢いよくさっき積んだ枯れ葉の上に二転、三転と転がって、ごろんと空を見上げる。

 秋の終わりの空は鱗雲が浮いて高く青い。

「………いたい」

 思わず呟いた。

 怒られてしまった。

 まあそれも当然かも知れない、急なことをしたのは確かだし。

「……でも、脈有りって思って……いいのかなぁ」

 真っ赤になった顔はどう解釈すればいいのだろう。

 あいにく、その理由までわかるほど経験が豊富なわけではない。最悪ここから追い出されたりして、と思ったけれどあまり不安は感じなかった。

「……よいしょっ、と」

 痛みが治まったので起き上がって、放り出されたままだったほうきを手に取る。

 掃き集められた落ち葉の、その一番ふかふかな所に転がっていたことに気が付いて、そんなに怒っていないのかもとふと気付く。

 ちゃんと怪我をしないようにしてくれたのだ。

「落ち葉が終わったら、店の掃除でもしようかな」

 今日は水曜日の休日だ。

 店のディスプレイを少し変えてみるのも良いだろう。

 相変わらず花楽にも甘露にもさんざっぱら貶されているが、本を読んで勉強しているし、少しくらいはディスプレイの腕も上達したかも知れない。

 さっき拾った葉を飾るのも良い。

 竹ぼうきで色鮮やかな葉をかき集めながら、その紅葉のように真っ赤に染まった花楽の顔を思い出し、さらにとても柔らかかった唇の感触を思いおこす。

 しらず、胸が高鳴った。

 もしかしたら花楽と同じくらい顔も赤いかも知れない。

 いつかは、きちんと触れさせてくれるだろうか。

 

 ザッ、ザッ、というほうきの音が、秋の終わりの庭に響き渡る。

 空は高く、青く、澄んだ氷のように美しい。

 やがて一陣の風が行人の頬を撫でて、すぐそこに早い冬が訪れていることを告げていった。

 

 

              

 


                                                                                 






07/10発行「胡蝶亭奇譚」より。
行人の淋しさのかたちはなんなんだろうなと書きながらずっと考えていた気がします。
行人と花楽の行き先がもうちょっと書きたいなと思いつつ
気づけばもう二年が過ぎてしまいました。
いつか書けるのかなあ。
あ、七渡の話も書きたいなとそういえば思っていたのでした。
一押しキャラは甘露さんです。名前も容姿も性格もちょう好み。

楽しんでいただければ幸いです。

0/10/01/20



HP/雪の日の猫