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◆◆◆ 探索 ◆◆◆

 

 

 翌日。事務所兼住まいの屋敷に訪れたイチを見て、東乃は絶句した。

「………い、イチ」

「なんだ」

「も、もしかして……ほんとは女の子だったのかッ!?」

「そんなわけないだろ」 

 9割方本気で聞いた東乃に、イチはにべもない答えを返す。

 けれどそうでないならば、今日のイチの格好は一体どうしたというのだろう。

「えーと……じゃあ……イチは、」

「ニューハーフでもオカマでもゲイでもない。変装だ。あの辺りは……うろつくと、少々不味いことがある」

「あー……なるほどねぇ」

 しかし、とまじまじ目の前に立つ少年を頭から爪先まで眺めてしまう。

 喉仏を隠すためにかハイネックのノースリーブは黒、スカートはベージュ。腿の真ん中くらいまでしかない丈の下にはすらりとした脚が伸びて、黒のハイソックスに金のラメ入りの黒いローヒールの靴。

「………すね毛は?」

「無駄な毛を生やすほど恵まれた生活をしてなくてね」

「はー。剃らずにそれなんだ……さすがに足はでっかいけど」

「サイズが無くて苦労した」

 色気のないぶっきらぼうな言葉を紡ぎだす唇には、綺麗に紅が引かれている。華やかなコサージュの付いたスカートと揃いの帽子を被り、耳元にロングピアスをつけた姿は、どこからどうみても女性のものだった。

 あえて言えば肩の骨張り方が少年らしく硬質的だが、どうやらそれは自分でも承知しているようで片手に透ける生地の薄いショールを持っている。

「うわー……オレ今日、こんな美人と歩けるんだ。わくわくしてくるなぁ」

「………さっさと行こう」

「いやいやちょっと待ってくれよ。こんな美人なイチ、是非とも狐原にも見せてやんないと!狐原、おい、狐原!ちょっと来い!!」

「おい…!」

 イチの制止も間に合わず、浮かれた大声で東乃は狐原を呼ばわってしまう。すぐにやってきた狐原は開口一番誰だ?と聞いて東乃を大いに笑わせてくれた。

 

 

 

 新宿区歌舞伎町。

 数々の歌に歌われたこの東京最大の繁華街は、そんな小綺麗な歌詞の端にすら現すことの出来ない、人の世の混沌を抱えている。

 けれどまだ早い午前の光に色とりどりの看板は皆褪せて見え、傷や汚れが無防備に曝されていた。昼にも夜にも人の絶えることのないこの場所にはいつでも埃と喧噪と、人の淋しさが漂っている。

 嗅ぎ慣れたその匂いに、イチは僅かに眉を顰めた。

 彼に触れた腕から僅かに伝わった緊張を感じとったのか、東乃がどうした、と目線で問いかけてくる。

「……あれ。あの、『学園天国』ってキャバクラが、ナツを最後に見た女の子が勤めてるとこだ」

「うーん。ベタなネーミングだな」

「セーラー服にミニスカでサービスしてくれるよ。あんたならきっと純子も気に入るだろ」

「いやー、学生服にそそられる趣味は無いなぁ」

 雑居ビルの五階にある看板をちらりと見て東乃は思わせぶりに笑う。

「セーラー服のキャバクラ嬢より、女装のイチの方がよっぽど可愛いと思うけどなぁ」

「………生憎オレはいくら顔が良くても男にサービスする趣味はない」

「あ、オレ、いい男?」

 自分に都合のいいところだけ聞き取って、嬉しいなぁと東乃が笑う。本当におかしな男だ。

 普通のカップルの振りをしたまま、歌舞伎町を通り過ぎる。

 巷で噂のファンタジー映画の看板が掛かった東急ミラノの映画館前を通り過ぎ、キャバクラやソープの色鮮やかな看板が途切れると、そこには急に現れた白い壁が違和感を感じさせる大久保病院が建っている。

 その脇を抜け、職安通りを渡れば、大久保だ。新大久保の駅に近いこの場所は、新宿で夜働く女性達の塒だった。

 人気のない裏寂れた通りを二人は歩く。

 程なくして、路地を何本かはいった場所に古ぼけたあさひ荘というアパートが見付かった。

「ここか?」

「ああ。ナツが、以前暮らしてたアパートだ」

「二年前までだっけ」

「そう」

 それなら大家さんも覚えてるかもな、と東乃が気楽に言う。

 響いたチャイムの音に、暫くして顔を覗かせたのは渋面が常になっているかのような年寄りだった。

「………なんだい」

「こんにちは。ちょっと聞きたいことがあって伺ったんですが」「新聞の勧誘も宗教の勧誘もお断りだよ。物乞いだったらこっちが恵んで欲しいくらいだし、セールスに来たんなら一昨日おいで」

「いやいやいや。そうではないんです」

 まくし立てた老女の台詞をあっさりと流して、笑顔を崩さないまま東乃は名刺を取り出す。

「なんでも屋?」

「はい。今はちょっと、この子の」

 ちらりとイチを振り返る。

「彼氏を捜しているんです。ちょっと前に家出をしてしまって、行方がわからなくなっていて」

「あたしは知らないよ」

「ええ。でもその子は、以前こちらに住んでいたことがあるそうなんです。何しろ手がかりがないので、少しでも彼がいた場所は虱潰しに捜していまして」

 はん、と老女が鼻で笑う。

「こんな場所に住んでるなんてろくな男じゃないだろ。嬢ちゃん、さっさと諦めな。どうせだまくらかされて金でも取られたんだろ、それとも処女でも捧げちまったかい。さっさと忘れるんだね事故にあったと思ってさ」

「……………」

 何とも言いようがない。黙って俯くイチの肩を慰める仕草で東乃が叩き、さらににっこりと大家に笑いかける。

「ありがとうございます、見ず知らずのこの子の事まで心配してくださるなんて、あなたはなんて親切な方なんでしょう」

「…………」

 わざとか素なのか知らないが、この男はぜったい女殺しだ。

 それも年上、かなり高年齢まで有効。そうイチは確信した。 整った顔でにっこりと笑いかけた上に手まで取られて、口の減らない婆さんは年甲斐もなくしわくちゃの顔を染めている。

 これが素だったら付き合ってられるか、と呆れてイチは視線を逸らした。

 東乃は口説き文句紛いの浮いた台詞を並べ立てて婆さんを籠絡しているが、その半分も耳に入れずにイチは視線の先にあるものをまじまじと見つめた。

 猫の額ほどのアパートの庭には少しずつ伸び始めた夏草の緑。まだ若い猫じゃらしの穂が垂れて、その緑の合間に有ってもなくても変わらないような小さな砂場。

 それでもそこで遊ぶ子供がいるのか、赤いプラスチックのシャベルとバケツが転がっている。

『小さな、砂場があってさ』

 二人から離れてイチはその砂場に近寄る。

『小さい頃はそこで遊んだんだ。赤いシャベルとバケツで』

 傷だらけでぼろぼろになったシャベル。泥が付いてくすんだバケツ。

『大きくなってからは砂場に置いといて。誰かが遊べるようにって思ってさ。小さい子が使ってたりすると、ちょっと嬉しかったなぁ』

 掠れて消えそうになっている油性ペンの文字。

 

 たかだ な

 

 それ以上はもう消えてしまって読めない。

 たかだ なつ、という名前だっただろうか。彼は。

 不意に背後から声を掛けられて、はっと振り返る。

「驚かせた?行こう。大家さんは、覚えていらっしゃらないそうだ。残念ながら」

 黙ってイチは手の中のバケツを示してみせる。東乃がその文字を読みとったのを確認して、そうっと砂場に戻した。

 ついた砂がざらりと指先に残る。

「悪かったねぇ、何も覚えてなくってさ。何しろこのへんじゃ、人の出入りが多くって」

「ええ、そうですよね。仕方がありません。お時間取らせて申し訳有りませんでした」

 あくまでも最後まで愛想良く応じる東乃の隣で、イチも黙って頭を下げる。黙りこくったまま通りに出ると、来た方向ではなく新大久保の駅を指された。

「イチ。少し、遠回りをしよう」

「………どこへ?」

「イチの住んでいる場所へ。もう隠さなくっても良いだろう?」

 覗き込む東乃の眼を見返して、小さくイチは頷いた。彼の色素の薄い眼は、何故だか警戒心を削ぐ。

 同じように色の薄い眼を持っていたナツを、思い出すからだろうか。

「……それならこっちの方が早い」

 少し歩いて都営大江戸線の駅へ向かう。電車に揺られる間に、こそりと東乃が耳打ちをしてきた。

「イチ。君の家には、少し遠回りをしていった方が良さそうだ」

「………つけられてる?」

「さすがに勘がいいね」

 小さくイチは首を振った。

「無駄だよ。相手は、とうにオレ達の塒の位置を知ってる。もうあそこには誰もいない」

「いない?」

「そう。………いなくなった」

 端から見ればイチと東乃は仲のいいカップルが内緒話をしているように見えただろう。東乃は始終笑顔を崩さなかったけれど、いなくなった、と言った途端その眼に厳しい色が乗った。

「いつ」

「オレが攫われたのと同じ日だ。帰ったら、誰もいなかった」

「………イチ。それは」

「警察に行っても無駄だよ」

 次に彼が何を言うのかが知れて、イチは遮った。

「無駄だ」

「何故?君たちはみんな、未成年なんだろう?人身売買の疑いがある。警察だって見過ごしには出来ないだろう」

 小さくイチは頭を振る。

「………あんたは、わかってない。オレ達には親がいない。訴える大人がいない子供が、新宿で何人いなくなったところで、警察は動かない。せいぜい書類を作って終わりだよ」

「しかし」

「…………」

 それきり黙って、イチは窓の外を過〈よ〉ぎる暗闇を見つめる。

 窓ガラスに映るイチは赤い口紅を引き、昨日買ったばかりの新品の女物の服を着て、まったく別の人間のようだった。

 けれど自分は自分だ。

 新しい服を着ても、隣に誰を連れていても、イチはイチでしかなかった。

 電車の窓ガラスとその向こうに流れていく灰色の闇を見るのが厭で、イチは眼を瞑る。

 足が酷く痛んだ。







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