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◆◆◆ 終章 ◆◆◆

 

 

「まったく……無茶にも程があるだろ」

「だってさ……必死だったんだよ」

「…………」

 二日前のことをまだ責めているイチに、東乃は弱ったような顔をする。

 書類の中間地点だった家の家人を脅してナツの住む屋敷の場所を聞き出したという東乃は、危うく警察にしょっ引かれるところだった。

 結局はあの家が裏から手を回した様で、事なきを得たのだが。

「なぁ……まだ怒ってる?」

「………」

「なぁってば」 

 最初から怒ってなどいない。どんな無茶でも、それは、イチのために成されたことなのだ。咎めたい気持ちはあるけれど、少し、嬉しいことも否めない。

 イチはただこうして気を紛らわしているだけだ。

 もうすぐこの公園に、やってくる子供を待って。

 夏の長い夕暮れに、もう少しで差し掛かろうとしている公園は、滑り台もジャングルジムもベンチも皆優しい色に染まっていた。

「………あの子かな?」

 東乃の声に顔をあげる。記憶にあるより、少しふっくらした頬の少女が、男性と女性にそれぞれの手を取られて歩いてきた。

 その姿はとても、楽しそうだ。

「………咲希」

 呟いた声は小さかった。

 けれど少女は真っ直ぐにイチを見る。その顔が、見る間に歪んだ。思わずといったように二人の手を払って、けれど駆け出す前に怯えたように女性を伺い見る。

 彼女が笑って頷くと、咲希は、こちらに駆けてきた。

「………イチ!」

「咲希」

 受け止めた身体は小さい。十二歳のはずの彼女は、まだ十歳を越えたようには見えない。けれど記憶にあるよりもその体は柔らかな感触がした。

「イチ……イチ、どこ行ってたの!」

「ごめんな」

「あ、あたし、さくらと一緒にさらわれて、さくらもいなくなっちゃって、ナツは一度来たけどすぐ帰っちゃって、イチ、迎えに来てくれないかなって……」

「うん」

 堪えきれないように彼女が泣き出す。

 その小さな身体をいつかしたように抱き上げて、腕に掛かる重さに彼女の幸を知る。少し離れて立ち止まった咲希の養家の夫婦が、ゆっくりとイチに礼をした。

 その顔が悲しげなのは気のせいではないだろう。

 ひとしきり彼女が泣き叫んだ、咲希の顔をあげさせるために、イチはその名前を大切に呼んだ。

「咲希」

「………なぁに?イチ」

 そのこまっしゃくれた喋り方が好きだった。小鳥の囀りのような明るい声で、絶え間ない話題で、彼女はあの家を賑やかにしていた。

「幸せか?」

「え…?」

「お父さんとお母さんは、優しいか?」

 困ったように眉を顰めるその幼い顔に笑いかけて、イチは幸せならいいよと言った。

「咲希。色々あって、離ればなれになっちゃったけど、みんな元気なんだ。咲希も元気なら、それでいい」

「さくらも?ナツも?元気なの?」

「ああ。ナツは、親せきが見付かって、そのうちへ行った。さくらはオレと一緒にこいつの家に居候してるよ」

 こいつとイチが示した東乃をしげしげと見て、ふぅんと咲希は唸った。

「………ほんとに?……いいの、今のおうちにいて?」

「もちろん。お父さんとお母さんは、いい人だろう?」

「うん……あのね」

 言いあぐねて、咲希が難しい顔をする。

「あのね……あのね、新しいお父さんとお母さんはね、あたしがうるさいって言わないの。ぶったりもしないんだ。あたし、たくさんたくさんお喋りしてもよくって、二人ともうんうんって聞いてくれるんだ」

「そうか」

「お花のこととか、ねこのこととか、あと、イチとさくらとナツの話もたくさんしたよ。おとうさんもおかあさんも、ちゃんと聞いて、返事してくれるの」

「そうか。良かったな」

「うん、すごく……やさしいの」

「そうか……」

 その小さな頭を撫でて、イチは夫婦の方に視線を移した。

 笑いかけて、その母の腕に、咲希を委ねる。

「………咲希を、よろしくお願いします」

「ええ……!ええ、もちろん!!」

 勢い込んで母親がそう言って、ぎゅうっと彼女を抱きしめた。

 父親は静かに頭を下げる。それに軽く礼を返して、イチは東乃を見上げた。

「帰ろう」

「ああ。ちょっとまって」

 東乃がポケットから名刺を取り出す。

「はじめまして。オレは、こういうものです。家の修理から犬の散歩、子供のお守り、なんでもしておりますのでどうぞよろしく」

「は、はい、始めまして」

「それから、イチはオレの家に下宿してるので。何か用事がある際は、どうぞこちらに」

 母親と父親に、そして咲希に。

 それぞれ手渡して、東乃はにっこりと笑った。

「うちには犬も猫も、ついでにイチとさくらもいるから機会があったら遊びに来てくれ」

「ついでってなんだ……」

「ほんと?」

 イチと咲希の声が重なって、東乃は咲希のほうに答える。 

「ああ、本当だとも。ただし、お父さんとお母さんに言ってからね」

 両親は少し困った顔をして笑って、けれど咲希はとても嬉しそうだった。

 その姿にさよならと手を振って、イチは歩き出す。

 バイバイ、バイバイまたねと背を追う甲高い声が、いつまでもいつまでも響いていた。

 幸せになるといい。

 いつでも精一杯に手を伸ばして、たくさんの言葉を紡いで、ここにいるよ、あたしはここにいるよと世界に訴えていた少女。 きっと幸せになれるだろう。

 与えることや与えられることを、まだ彼女は怖れていない。

「イチ」

 追いついた東乃が、イチの手を取った。

 子供のように手を繋いで、東乃は暮れかけた夏の陽に穏やかな笑みを見せる。

「帰ろう。オレ達の家に」

「………あんたの家だろ」

「いいや。オレ達の家だよ。……そうしてくれるだろ?イチ」

 問われてイチは惑う。

「イチ」

 けれどそうして自分の名を呼ぶ東乃のやわらかな声が、少し力の籠もった指先が、イチと歩調を合わせて歩く足取りが、とても、とても。

「………………うん」

 胸を焦がしたので。

 惑った末に、イチは、頷いた。途端に嬉しそうな顔になった東乃が、鼻歌を歌い出す。

「………やめろよ。それ」

「どうして。嬉しいんだ」

 夏の長い夕暮れの中、綺麗に色の変わった空の下で、子供のように手を繋ぎながら、家に帰る道を歩く。

 

 恋をしているのかも知れないと、ふと、イチは思った。

 

 

 

                                   




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  2005/10/21 了

2010/01/31 

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「この世でいちばんの不幸」05/10発行
「この世でいちばんの不幸・再録1」06/10発行

こちらの小説は同人誌として発行されております。
こちらは再録1に収録されている前半になります。
一話ずつ完結する形で書かれておりますので、こちら一作のみでも
物語としてはお楽しみいただけるかと思います。



10/01現在、シリーズは8まで発行されています。
1.2.4.6.7がイチと明里の物語、
3.5.8は明里の兄、ヤクザの鴻也と狐原の物語になります。

イチと明里、さくら、真、鴻也と狐原の物語に、
興味を持っていただければ幸いでございます。

ここまで読んでくださってありがとうございました。
お気に召しましたら拍手やメルフォで一言いただければ大変ありがたいです。

10/01/31

HP/雪の日の猫