>>> 番外・1 <<<










 

◇もういくつねると◇

 

 

 商店街には師走の風が吹いていた。

 年の暮れも押し迫った十二月の二十七日、師も走るとは良く言ったもので、そこここに冷たい木枯らしにも負けずせかせかと歩く忙しげな人々の姿が見える。

 通りには今年も、年末だけ姿を見せる出店が正月のお飾りや餅、注連縄などを売っていた。

 古くからあるこの商店街は、いつ来てもどこか懐かしい感じがする。

 香ばしい総菜の匂いや八百屋の店先のフルーツの匂い、人の生活する匂いが絶妙に入り混じったほっこりと暖かな空気があった。

 危うく喧嘩かと思う威勢のいいかけ声もご愛敬だ。

 通りすがりに、顔なじみのだんご屋のおばさんに、明里は手を挙げて挨拶をする。

「明里ちゃん、ひさしぶりじゃないか!ちょっとおいでよ」

 手招かれるままに近づくと、売り物の醤油だんごを二本渡された。

「え、いいよおばちゃん。ちゃんと買うよ」

「こないだ畳上げるの手伝ってもらったお礼さぁ。そのぼうやと一緒に食べな」

「……じゃ、遠慮なく。おばちゃんのお団子は、いつも味が変わらないから嬉しいなぁ」

 にっこり笑ってそう言うと、そう言ってもらえると作る甲斐があるってもんだよとおばちゃんは胸を張った。

「ほら、さくら」

「あ、あ、あり…がとう」

 知らない人には少しどもりがちなさくらが礼を言うと、おおらかなおばちゃんはおやま、可愛い子だねぇと笑う。

「またおいで」

「ごちそうさま!」

 この商店街には明里の商売の常連も多い。

 だんごをかじりながら通り過ぎると、そこかしこから声をかけられる。

「美味しいだろ、さくら」

「うん」

「しょうゆと米がすごくいいんだよ、あそこのだんごは」

 手作りの餅粉と香ばしい醤油のカリッとしただんごは、不思議な懐かしさを感じさせる。

 頭の中で買い物メモを繰りながら歩いていると、にぎやかな出店の呼び込みが聞こえたので、ちらりとそちらに目をやった。

 普段は見かけない露天商が立っている。

 その平台には色鮮やかなお飾りが所狭しと置かれていた。

 車に付けるもの、玄関につけるもの、形も色もさまざまだ。

 海老だの鶴だの亀だのが付いていて見目にも目出度いことこの上ない。

 白い息を吐きながら、今年はうちもちゃんと飾り付けをしようかなぁと明里は思う。

「なあ、さくら。どれがいい?」

「え……」

 ふと店先で立ち止まって問うと、さくらが惑った顔をした。

「お飾り。今年は付けようかなと」

「……お、飾り?」

「ああ。正月に、玄関に飾るんだよ。新しい年を迎えるお祝いのため、ってことかなぁ」

 実のところ由来など知らないが。

 とにかくお飾りを付けるだけで正月気分はうんと盛り上がる。それを思うと、明里は楽しくなってきた。

「それから、こっちは自転車とか車とかに松の内だけつけて、無事故を祈願するやつ。せっかくだから、こっちもつけようかなぁ」

 赤い海老のついた見るからにめでたそうな小さな注連縄飾りを見つけて思案する。

 去年までは忙しくて考えもしなかったけれど、そういえば母親の生きていた頃には明里のうちにもちゃんとした正月がやって来ていた。

 大掃除をし、お飾りを付け、おせちもお雑煮もちゃんと用意していた。

 もちろん年越し蕎麦もだ。

 母親と一緒にこんにゃくや里芋を煮て、くりきんとんを作り、赤い塗りのお重に美しく詰めたことを懐かしく思い出す。

 あのお重も、ちゃんと納戸にしまってあったはずだ。

「よし。そうしようっと」

「え?」

「ほら、さくら。どれが好き?」

「え、えーと……」

 店の親父に飾りの中身ごとに意味があるのかを聞きながら、二人でお飾りを選んだ。結局交通安全はオーソドックスな海老付きのものに、玄関のお飾りは金糸で編まれた鶴と亀が丸い注連縄にバランス良くとまっているものになった。

 手際よくお飾りをビニール袋に入れて、店の親父が明里に差し出す。

「はいよ。それからこれ。五枚だな」

「え?」

「福引きだ。あっちのはじっこでやってるからな」

「ああ、そっか。じゃ、さくら」

 おずおずと差し出されたさくらの手の上に五枚の福引き券と二枚の補助券を置いて、ありがとさん、と親父が言う。

「いつまでだっけ?」

「明日の四時までさ。忘れないようになぁ」

「ああ、ありがとう」

 大きなビニール袋を持って歩き出すと、さくらが福引き券をまじまじと眺めていた。

 年末大売り出しの商店街の恒例行事だ。

「うちにもまだあるから、明日、イチと一緒に来るといいよ」

「え…」

「全部で……十回くらい引けるかな。いい景品が残ってるといいね」

「……う、うん」

 さくらが嬉しそうに微笑む。

 それから夕飯の買い物を終えて、二人で家に帰った。

 

 
















 

「………めずらしいな」

 食卓の椅子に置かれたビニール袋から転がり出たものを見て、狐原が眼を丸くした。

「お飾りか。今年は付けるのか」

「うん。せっかく家族も増えたことだし」

 玄関用の注連縄を狐原がしげしげと眺めている。

 金色の鶴と亀、橙、松、紅白の四手に飾られた注連縄は、いかにも正月らしい。

「門松と鏡餅は」

「あー。忘れてた。明日市場に行くつもりだから、ついでに買ってくる」

「市場?」

「うん。せっかくだから色々作ろうかと思って。三日には、兄さんと真も来るだろうし」

「そうだな」

 頷いた狐原が飾りを取りあげ、鶴と亀の位置をちょいちょいと直す。

「なんだ。車につけるやつもか」

「うん。せっかくだからね。明日、付けといてくれ」

「ああ」

「なぁ、狐原は、なにが食べたい?」

 さっきからそれで頭を悩ませていたところだ。

 本棚の奥に仕舞われていた料理本のなかには、三冊ほどおせちの作り方が載っている本があった。どの本もちょっとずつ作り方や料理の内容が違って、迷ってしまう。

「うぅん……栗きんとんは絶対だよな。あと、黒豆とかずのこと炊き合わせと……あ、狐原も手伝ってくれよ」

「……ちょっと待て」

「え、なんだよ。どうせ喰うんだし、いいだろ」

「そうじゃなくて。……あのな、オレは三が日は家ですごそうと思ってるんだが」

「え、なんで!」

 意外な狐原の言葉に思わず声が大きくなる。

「のんびりしたいからに決まってるだろう」

「ええ!そりゃないだろ、狐原!」

「事務所は休みなんだから、かまわないだろ。お前はイチとさくらと水入らずで過ごせばいいだろうが」

 イチとさくらと、ついで巴とペン太と茶々丸とだが。

「駄目!狐原は大晦日からこの家に来ること!」

「は?」

「怪我だってまだ完治してないだろ。こないだだってずっといたんだし、正月くらい一緒に過ごせばいいじゃないか」

「怪我なんてもうほとんど治ってる。オレも年末年始は大掃除でもしたいんだ」

「掃除するほど汚くないだろ。絶対駄目」

「……どこのガキだお前」

 呆れた狐原の言葉にも譲るつもりはなかった。

 十一月に鴻也のいざこざに巻き込まれて傷を負った狐原は、しばらくは起き上がるのにも不自由する有様で、ずっとこの家で暮らしていた。

 もうとっくに日常生活に不自由は無いようだったが、せっかく年越しなのだし仕事は休みだし、どうせなら正月も一緒に過ごすのがいいだろうと思う。

 毎年一緒に過ごしていると言えばそうなのだが、二人の正月は仕事に忙殺されるものと相場は決まっていた。

 通常の企業が休暇の分さまざまな作業が舞い込むのが正月の特徴だが、お得意先には正月は休むことを伝えてあるし、突発的な仕事はすべて断るつもりだった。

 今年はこの家にも正月がやってくるのだ。

「いいだろ、狐原。さくらだって楽しみにしてるし、一緒に過ごせば。三日には真達も来るって言うし、わざわざ会いに行く手間が省けるじゃないか」

「勝手に人の予定を決めるな」

「いいじゃないか、なぁ」

 幼なじみの特権とも言えるごり押しをすると、狐原が渋々といった様子でため息を付く。

「……わかった」

「やった!」 

「ただし、いるのは大晦日と一日だけだ。夜には帰るからな」

「ええー」

「いい歳した大男がええとか言うな。三日にはまた顔を出す。オレにも色々やることがある」

「うーん……わかったよ」

 狐原の譲歩に明里も頷いた。もともと狐原は、人と一緒にいる時間と同じくらい独りきりの時間が必要な性分だということを明里はよく知っている。

 三日までと言ってみたのは大晦日と一日を承知させるための撒き餌みたいなもので、多分それは彼もわかっているだろう。

「じゃ、大晦日は朝からな!おせち手伝ってくれよ」

「……お前な…」

 勝手な約束を取り付けて、狐原がいるなら品数をもっと増やしてもいいかもなと明里は上機嫌で料理の本に向かおうとする。

「待て」

「え?」

「今が何時かわかってるのか、所長」

「えー……」

 ふと気付けば時計の短針はとうに1を回っていた。

「あ。うわ」

「うわ、じゃない!いちいちオレが呼びに来ないと仕事もしないのかお前は!年末年始休むためにぎりぎりまで仕事を詰め込んだのはどこのどいつだ!」

「お、オレですッ!ごめん!」

 慌てて本を放り出し、明里は1時半約束の顧客の元へ行くべく台所を飛び出した。

 

 

 

「ほら、これ。福引き券だって、イチ」

「ああ」

 眼をきらきらさせたさくらが差し出す青と橙の券をイチは受け取った。青い方が本券、橙が補助券だ。合わせて十一回、福引きが出来るらしい。

 お使いついでにイチと言ってきてよと明里がさくらに渡したものだ。

「福引きなんて久しぶり。イチ、やったことある?」

「さあ……どうだったかな」

 覚えていないと言うことは、たぶんやったことがないのだろうが。

 暮れも近い商店街は騒々しく、その賑やかさはイチをどこか居心地悪くさせる。

 車で行けばすぐの所に猥雑な新宿の繁華街があるというのに、同じ人混みでもこの商店街のにぎやかしさは全然違うものに思える。

 空は厚い雲に覆われて、今にも雪が降ってきそうだというのに商店街の賑わいは衰える様子もなかった。

「ええと……大根と、小松菜。それに、あぶらげと……かつおぶし、海苔」

 買い物メモをみながら、さくらが八百屋や豆腐屋に順繰りによって行く。明里の買い物によく付き合っている彼の方がここは詳しい。

 顔見知りの店主が寄越す挨拶に、笑って答えていた。

「これで終わり。ねえ、楽しみだね、イチ。おせちだって」

「ああ」

「僕、おせちなんて食べるの久しぶり」

「オレもだ」

 と言うより、記憶にある限りおせち料理というものを口にしたことがほとんどない。新宿の店で正月に働いていた時に、店の振る舞いと言うことで仕出しをとったのを食べた位だ。

 中身は良く覚えていないので、特に美味いものではなかったのだろう。

「お正月なんて……ねぇ」

 ふと、さくらの指が小さな子供のようにイチの手に絡む。

 不安になったときにふとする仕草だ。

「あ、ほら、イチ!あそこ!」

 さくらが指さした先に、ちょっとした人だかりがあった。

 紅白の天幕が張られ、法被を着た商店街の人々の賑やかな呼び声が響いている。

 ガランガランガランとけたたましい鐘の鳴る音、あたーりー、三と〜うと独特の節回しを付けて上がる声が聞こえた。

 列の最後尾に並んで、さくらに券を返す。

「え、イチ、引きなよ」

「オレはいい」

「ダメだよ。じゃあ、半分ずつ」

 そういって差し出してくる券を、仕方なくイチは三枚だけ受け取った。

「半分って言ったのに」

「ほら。進んだぞ」

 不満げなさくらをせかし、先に進ませる。天幕の下には米俵と一斗樽、巨大な鏡餅などが置かれ、きらきらしたモールで飾られた商品の表が貼ってある。

 一等は金、バリ島旅行ペアご招待。

 二等は銀、北海道旅行ペアご招待。

 三等から歌舞伎座チケット、野球通年パス、米一俵、ビール一ダース、北海道珍味、お菓子詰め合わせ、手帳、ボールペン、商店街金券と色々バラエティに富んでいく。

「どれがいいかな、ねぇ、イチ」

「さあ……」

 役に立ちそうなのはビールだの北海道珍味だのだが。

 一等二等はもう当選者が出たらしく、表の並びに名前が貼り出してある。

 ガラガラガラ、という福引き独特の音が響き、何等でーすという明るい声が聞こえる。

 十五分ほどで二人の順番がやってきた。

「はい、八回ね」

 券を受け取ったおばさんに促されて、さくらが緊張したおももちで八角形の箱の取っ手を掴む。

 たかが福引きでとおかしくなったが、さくらは真剣だ。

「はい、いっかーい!にかーい!」

 ガラガラガラ、カコン、という音とともに色の付いた丸い玉が転がりだしてくる。

「はい、はちかーい!八等五つ、七等一つ、六等二つね!選べるけど、どれがいい?」

「え、ええと……」

 しばし迷って、さくらは商店街の百円券五枚と小さな手帳一冊、お菓子を二つ手に入れた。ささやかな戦果だが、嬉しそうな顔をしている。

「はい、じゃあ次のお兄ちゃんね!三回どうぞー」

 黒い取っ手を握る。意外と重い。

 ガラン、と一周回すとあめ玉のような玉が出た。その転がり出す色に、自分も少しばかり期待していることにイチはふと気付いて思わず唇を緩ませた。

 これではさくらのことを笑えない。

「にかーい、さんかーい!…おっと!」

 おばさんが声を上げる。

 その右手が上がり、ガランガランガランという盛大な鐘の音とあたーりー、という声が周囲に響き渡った。

 

 

 

「あ、お帰り。イチ、さくら」

 ビニール袋を下げて台所に現れた二人に、明里は声をかける。

 聞きつけた茶々丸が隣から出てきて、さくらにまとわりついた。

 けれど真っ赤な頬をしたさくらは彼におざなりに構いながら、明里に飛びついてくる。

「聞いて、すごいんだよ!イチ!」

「ええ?どうしたんだ?」

 見ると、イチは嬉しいのか困っているのか良くわからない複雑な表情をしている。

「……もしかして福引き?」

「そう、福引き!」

 あ、これ、僕が引いたやつ、と言ってさくらがお菓子と手帳と金券をテーブルに置く。

「ああ、それはさくらが使っていいよ。お菓子もイチと食べるといい。……で、イチ。なにを当てたんだ?」

「あー……酒」

「え、お酒?それは助かるなぁ」

 ちょうど料理酒も少なくなってきたところだ。

 いい銘柄なら正月のお屠蘇にもいいだろうし、酒好きの狐原も兄も喜ぶ。

「一升瓶?」

「……一斗樽なんだ」

「………」

 弾けるようにさくらが笑い出す。

「も、持って帰ってこようと…思ったんだけどね!ふ、二人で持ち上げようとして、重たくって!し、尻餅付いちゃったから、後で誰か連れておいでって言われて…」

「……そりゃ無理だろ」

 一斗樽と言ったら一体何キロあるのか。

「いやぁ。イチ、すごいな!おめでとう」

「なにが」

「福引きで一斗樽当てるなんて、なかなか出来る事じゃないし。縁起がいいじゃないか」

「……知るか」

 なんにしろ、これで正月の酒は買わずに済みそうだ。

 酒好きのウワバミが二匹いて、大量に消費するので近所で買おうと思っていたのが幸いした。

「じゃ、これで正月の準備は万全かな。今作ってるのが出来上がったら、取りに行こうな。樽」

「うん」

「………」

 喜んでいいものやら、という顔をイチはしている。

 その足下に巴とペン太がすり寄って、にゃあんと鳴いた。

 

 きっと楽しい正月になるに違いない。

 行く年と、そして来る年のことを思いながら、明里は微笑む。

 火にかけた土鍋の中ではふっくらと炊きあがった黒豆が光り、くつくつと微かな笑い声を上げていた。

 

 

 

                   

                                   



10/02/22


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