※こちらの小説はR18となっております。
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《9》









 

 

    ◇◇◇

 

 流し樽を拾ってすべてが始まった。

 幽霊船で骸骨と出会い、霧の中の巨大な口に飲み込まれ、島と見紛う巨大な船の中でこの世のものとは思えない生き物たちに出会った。

 ゾンビと戦い、幽霊と戦い、仕舞いには伝説と戦って、七武海から影を取り戻した。

 ウソップに聞いた話では一瞬太陽に消し飛ばされて昇天しかけたらしい。

 なるほど、確かに天の入り口まで出掛けたような気がしなくもない。

 悪夢は終わり、夜明けが来て、きれいさっぱり夜の残滓は消えたと思った。

 

 本当の悪い夢はそのあとに待っていた。

 

 

 















 

 

 

 あれほど無力を痛感したことはない。

 滑り落ちた手は何一つつかめなかった。

 全員が生き残ったのはただの運で、バーソロミュー・くまの気まぐれにむしろ感謝するべきなのかもしれなかった。

 

 

 サンジは守れなかった。

 守ろうと思ったものを、守れなかった。

 強欲とゾロを罵ったけれど、本当に欲が深いのは自分の方なのかと、なにもかもにけりが付いてからそう思った。

 


























 

 

 船から食材を運び、人数を考えていつもの十倍ほどもたんまりと料理を作って、乾杯もしなかったのに大騒ぎはいつの間にか宴になった。

 いつもと違うのは音楽が鳴り響いていることだ。

 ピアノは、この城で音楽家のゾンビが弾いてでもいたのかちゃんと調律がされていて、骸骨の指が乗るとポロンと耳に心地いい音を奏でた。 

 大騒ぎの中で包帯を全身に巻いた男が正体もない眠りに落ちている。

 死かと思うような深い眠りだ。

 チョッパーは大丈夫といっていたが、本当にあの男がまた目覚めることなんてあるんだろうか。

 ブルックの指の下で鍵盤が踊っている。

 彼がとりだしたは音貝《トーンダイアル》懐かしい音楽を奏でて、なぜ懐かしいのかと首を傾げて考えてみればサンジが初めて乗り込んだ船、オービット号で、キッチンの誰かが歌っていた歌なのだった。

 海賊の歌だ。

 よくもあんなところで歌っていたものだ。

 歌は繰り返し繰り返し流れて、海賊達は手を取り合いあるいは肩を組んでその歌に加わって、そこここで踊り狂い、宴は終わることがないかのようだった。

 給仕もほぼ済んでそろそろ沈没する者達も出た頃に、サンジはそうっと部屋を抜け出した。

 無性に煙草が吸いたかった。

 中で吸うと、弱った体には毒だと言ってドクトル・チョッパーに取り上げられてしまうのだ。

 喧噪を背後に、暗い森を目の前に、サンジは紫煙を夜空に吐き出す。

 霧はすっかり晴れて空には満月が浮かんでいた。

 驚くほどに明るい。

 木々も岩もくっきりとその影を地面に落としている。

 その向こうから、歩み寄ってくる影があった。

 痩せすぎなほどに細身の長身、黒ずくめの姿。

 ああ、まずい、と思う。

 まずい。こんな、こんな時、こんなところであの悪魔に会ってしまったら。

 あの絶対的な原始の力を宿した眼にのぞき込まれて、問いを投げかけられたら。

 人だと言うことは無力だ。

 自分の力では決して越えることの出来ない領域を時折思い知らされる、それが人だ。

「おや。こんばんは、コックさん」

「……」

 闇の向こうから投げかけられたのは夜の挨拶だった。

「お料理、おいしかったですよ!ありがとうございます、私ちょっと太りました!」

「………ははっ」

 思わず失笑した。

 その拍子に煙を肺の奥まで思い切り吸い込んでしまい、げほげほと噎せながら、サンジは笑ってしまう。

「どうしました?」

「ははっ、ゲホッ、っ、はっは…ッ」

 笑い声と咳を同時に出すのはものすごく苦しかった。

 喉も胸も痛くて、呼吸が出来なくて、あまりの苦しさに涙までこぼれてくる。

「ああ、大丈夫ですか!脅かしてしまいましたね!」

 ブルックがその骨の手でせっせと背中を撫でてくれる。

 あんまりおかしくて笑いが止まらない。なるほど、身長と痩せ方と黒ずくめなところがそっくりだ。

「ほら、落ち着いて息をして、すってー、はいてー」

 新しく仲間になった骨は、サンジの呼吸が落ち着くまで、骨の手で背を撫でてくれた。

 苦しくて、苦しくて、サンジは涙を零しながら笑った。

 

 

 ようやく落ち着いたところでもう一本煙草に火をつけた。

 一本目は咳の拍子に地面に転がって、もうどこにあるのだかわからない。

「あなたはすばらしい料理人ですねぇー、コックさん」

 新しい仲間と並んで岩に腰を下ろし、満月を見ている。

 すすめたらブルックも煙草をくわえた。死ぬ前には禁煙をしていたので、五十数年ぶりだそうだ。

 骸骨の口からするすると紫煙が立ち昇るのは、なんとなくおかしい光景だった。

「とても美味しかったですよ!豚肉とジャガイモとトマトとチーズの重ね焼きなんて、私、ほっぺた落ちるかと思いました!」

 ほっぺた、ないんですけどー!とお約束の台詞を口にして、ブルックがけたけたと笑った。

 つられてサンジも笑ってしまう。

「ああ、今日はなんて素晴らしい日でしょうか!影が戻ってきて、ラブーンの無事が知れて、私に新しい仲間が出来た!」

 感に堪えぬと言うようにブルックが身悶えて、長い手を夜空に広げる。

「この佳き日に、ぜひ歌を作りたいものです!歌ってくださいますか、コックさん!」

「ああ、もちろん」

「ありがとうございます!」

 満月を見上げ、ひょろりと大きい骨の両手を組んで、ブルックが呟く。

「素晴らしい日を、私は幾度も、幾度も過ごしてきました。その度にこれ以上の日はないに違いないと思うような、何にも代え難い日々を」

「……」

「そしてその度に、歌を作ってきました。その歌は、私の中で、決して消えることがないんですよ、コックさん」

「……ああ」

 組んだ手は祈りのようだった。

 彼の過ごした歳月にあった孤独と絶望を、サンジは知らない。知ることも出来ない。

「あの佳き日々が、決して色褪せないように。あの歌が、消えることもない。いつか聞いてください、素晴らしい、素晴らしい歌ばかりです。私のかつての仲間達が肩を組んで歌ってくれたものです」

「ああ。船に戻ったらすぐにでも。あいつらが喜ぶだろうな。ルフィなんか、音楽家が仲間に加わるのを心待ちにしてたんだ」

「それは嬉しい。海賊は歌うのです」

 彼が失ってきた日々を思った。

 仲間を、船を、海を。

 すべてを無くし一人きり生き残って、けれどブルックは諦めようとはしなかった。ただ生きること、生き延びること、その果てについにこの日を掴み取った。

 それこそが人の強さだ。

「剣士さんも、早く目が覚めるといいですね」

「………」

「あの方は生き延びた。なによりです。結果が、すべてなのですよこの海では」

「………そうだな」

 無力に泣くのはまだ早い。

 振り返ってみれば仲間達は誰も失われてはいない。

 それどころかこれだけの人々が影を取り戻し、ブルックは仲間になり、楽しい宴は二人の後ろで続いている。

「……よし。戻るか、ブルック」

「はい」

「今度はリクエスト聞けよ」

「あ、ビンクスの酒を〜、届けにゆくよ〜」

「………テメェ、それしか弾けねえんじゃねえだろうな…」

 

 夜は更けてゆく。

 さっぱり目を覚ます気配のない重傷人を置いたまま、宴は、太陽が空を染めるまで続いた。

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