※こちらの小説はR18となっております。
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《6》









 

◇◇◇

 

「君が呼んだのではないか、悪魔《ディアブル》と。私がどれだけ嬉しかったかわかるかい?」

 悪魔はそう言った。

 実に、実に嬉しそうな顔で。

「……オレが、いつ」

「力を欲したじゃないか。炎の力を。桜桃菓子《チェリーパイ》、君は実によくわかっている、そうとも炎は我らが力だ」

 おかしな呼びかけをまぜっかえす事も出来なかった。

 そうだ、もちろん呼んだのは自分だ。

 熱と打撃で圧倒的な破壊力を持つあの技を、悪魔風脚《ディアブルジャンブ》と名付けたのは。

「神は食物を作り、悪魔は調味料を効かせた。そうとも、水と土は神のものだが、風と火は我らが眷属」

 それが、こんな事になるとは思いも寄らなかったが。

「どうだね、かわいいかわいい仔猫ちゃん。君に、力をあげようじゃないか」

「………」

「君は知らないかもしれないがね。マイハート、私はいつも、いつも君に恋していた。初めて君がとびきりのパイを竈に放り込んでくれた、あの一瞬からね」

 サンジもその日のことを良く覚えている。

 十三だったか、ゼフが誕生日だというので理由も言わずにミートパイを焼いて、美味いと初めて誉められた日だ。

 自分にあの時出来たすべてをかけて作ったパイは、我ながらとびきりだった。

 いつかゼフに誉められたらやろうと思っていた、海の料理人の儀式を初めてしたのはあの時だ。

 教えてくれたのはオービット号のコックだった。

 

『いいか、サンジ。海の上で一番怖いのは火だ。船はみんな腐らねえようにタールを塗ってあるからな、うっかり火花が散った日にゃ何もかもが炭だ、藻屑にさえなれやしねえ』

『回り中水なのに?』

『おおよ。だからな、コックはいつも火に気をつけてなけりゃいけねえ。自分の手に余る分は、炎の悪魔に頼むんだ』

『悪魔』

『おお。とびきり良くできた料理を一切れ炎にやって、どうかこの船で暴れないようにってお願いするのさ』

 

 サンジはパイを竈の残り火に放り込んで、炎の悪魔にお願いした。どうかこの船を、焼いたりすんなよ絶対に、と。

 おかしな魚の形のバラティエは、ゼフとサンジの大事な宝物だった。

「力をあげよう。ハニー。他の誰も辿り着けない力を」

「いらねえ」

「君が、力を欲したんだよ?炎の力を」

「いらねえ」

 悪魔は、笑った。

 すべてお見通しだとでも言うように。

「まあ、いいか。君は私を呼ぶだろう、また。私の恋人になってもいいと思ったら、いつでも呼んでおくれ、かわいいかわいい氷菓子《クール・スィーツ》」

「その呼び方よせっつってんだろ。悪魔ってのは耳もねえのか」

 毒づいたら、悪魔は笑って消えた。

 キャンプファイヤーの炎も、いつの間にか燃え尽きていた。

 
















 

 

 

 

 

 

 

 サンジの掌ほどもない小さなアジを、一匹一匹丁寧にさばく。腹を開いて内臓を取り出し、ぜいごを削いで、氷水で洗う。

 二百匹ほども揃ったら次は小麦粉をまぶし、低温の油でじっくりと揚げる。時間をかけるのは骨までしっかり熱を通すためだ。

 酢につけて骨まで食べられるようにするためには、はじめの下ごしらえが肝心だ。

 先に作ってあった細切りのニンジンとピーマン、極限まで薄くスライスしたタマネギの上に揚げたての魚を手早く並べると、酢をベースにした特製のタレを思い切りよくかけた。

 じゅじゅっと音がしていい香りが立ち上る。

 輪切りにした鷹の爪をかけて、冷蔵庫に収めれば、小アジの南蛮漬けの完成だ。

 夕食まで置いておけばしっかりと味が浸みてこたえられない味になるだろう。ちょうど群にあたったらしく、ウソップが数え切れないほどつり上げたのだ。

「残りはどうすっかな…」

 三時のおやつでにみんなに供した洋なしのタルトの残りをぱっくりと二つに割って、片方を自分の口に、もう片方を釜の中でめらめらと揺れる炎に何の気なしに放り込む。

「炎の…」

 自然にいつもの台詞を唱えようとして、危うく口をつぐんだが遅かった。

「やあやあマイハート!美味しいタルトをありがとう!」

「………出やがった……」

 出来ることなら夢だと思っていたかった。

 というサンジの願いは叶えられなかった。赤い髪に赤い眼、黒ずくめの男がどこから現れたのかサニー号のディナールームに立っていた。

「どっから来るんだよ!」

「私は炎の悪魔だよ?どこにでもいるとも、もちろんその竈、コンロの炎にも」

「………」

 ふぅん、と鼻を鳴らして悪魔はディナールームとキッチンを見回した。

「すばらしい!これが君たちの新しい船かな、なんと充実したキッチンだろう!」

「……サウザンドサニー号だ」

「ふうん、前より大きい、なかなかいい船だ。だがしかし残念だね、私は前のゴーイングメリー号も気に入っていたんだが」

「悪魔に船の違いなんてわかるのか」

「む、失敬な、わかるとも。メリー号の竈はよく手入れされていて燃えやすく、居心地が良かった。さぞかし設計したものが心を込めたのだろうよ」

「……へえ」

 サニー号のキッチンは使いやすいが、どうしてもメリー号と比べてしまうこともある。

 あのキッチンはこぢんまりとしていて手を伸ばせばすぐ届くところにすべてが揃っていた。

 よく喰うという言葉では足りないくらい大食漢のクルー達の腹を満たすためにもう一個コンロがあったらな、と思うこともあったが、サンジはあのキッチンを愛していた。

 その場所を、こんな言葉で悼むものがいたことを不思議に思う。

「……メリーにも、いたのか。あんた」

「もちろんだとも。いっただろう、私は炎の悪魔だ。炎があるところにはどこにでもいるのさ。まあ、楽しくないところにはあまり行かないことにしているが。実を言うとね、こっそりあのキッチンで盗み食いをしたこともある」

「ああ?」

「懺悔しよう。あまりの空腹に堪えかねて、君が戸棚に隠しておいたサンドイッチを食べてしまった。ハーブチキンとルッコラ、紫キャベツとアスパラガスがはさまったやつだ」

「悪魔が懺悔って……っていうかアレ、テメェかよ!」

 それなら覚えている。

 ロビンちゃんの夜食のために作っておいたのにと、翌朝さんざんルフィとチョッパーとウソップを疑った。

「ぬれぎぬか!テメェのせいで着せちまったじゃねぇかよ、クソッタレ!」

「うむ。悪いことをした。本来なら悪魔は呼ばれるまで人の前に姿を見せてはいけないのだがね、あの時はどうにもくうふくだったんだよ。勘弁しておくれ、ハニー」

「……二度とすんなよ」

「君がおいしいおやつをくれるならね」

 ちゃっかり条件を付ける悪魔に顔をしかめて、サンジはちらりと時計を見た。

 夕食まではあと一時間。そろそろ腹を減らした誰かがキッチンに顔を出すかもしれない。

 面倒なことになる前に消えろ、とサンジが言おうとすると、それを見越したように悪魔がキッチンとディナールームを遮るカウンターに飛び乗ってきた。

「おい!」

「どうかなハニー。心は動かないかい」

「降りろ悪魔!そこはメシを喰うところだ!」

「私はなかなかいい恋人だと思うのだけれどもね。いままで以上に、君を炎から守ってあげるよ」

 繰り出したサンジの脚をひょいとよけて、悪魔がサンジの腕を捕まえて引いた。

 それは怖ろしい力で、軽々と空に投げ飛ばされてしまう。

「…ッ」

 くるりとネコのように反転して降りようと身をひねったところで、また捕まえられた。

 軽業師のようにサンジを手玉にとって、悪魔は、カウンターのスツールに座った自分の膝の上にサンジを乗っけてしまう。

「んな、な、…なにしやがるっ!」

「どうだい。なかなか力もあるだろう?君の恋人よりはきっと強いと思うよ」

 ぎょっとしたのはその力より言葉の方だった。

 眼を見開いたサンジに、悪魔はにやにやと笑う。

「おや。何回私の前で戯れたか、覚えていないのかな?」

「…ッ」

 確かに、キッチンでしたこともあった。

 どこかの島で暖炉の炎の前で抱き合ったことも。

 霰もないあれやこれやが一気によみがえってきて、サンジは金魚のように口をぱくぱくさせて固まってしまう。

「おやおや、そんなに恥ずかしがらずともよいとも!私はね、全世界で愛の営みを見守っているんだよ!」

 どんな出歯亀だ。

 と、罵りたかったがあいにく出来なかった。

 実に嬉しそうに笑った悪魔の唇が、サンジの口をふさいだからだ。

 端から見れば膝の上にお姫様だっこ、そのうえちゅーだ。

 憤死しそうになりながら噛みついてやろうとサンジが思ったとき、実にタイミング悪く扉が開いた。

「おい、なんか飲み物…」

「…ッ」

 汗をタオルでふきふき入ってきたゾロが固まった。

 悪魔にキスをされたままのサンジもだ。

「おーやおや」

 唇を離すと、悪魔は実に意地悪げに笑う。

「これはマナーの悪い。扉をくぐるときにはまずノックをするものだ、マリモくん」

「…ッ」

「テメェ、コラ!」

「そして恋人同士の営みをそんなにまじまじ見るものじゃない」

 どの面下げてその台詞が、とか、恋人同士ってな誰の事だ、とか、言いたいことはてんこもりだったがとりあえずサンジは暴力に訴えた。

 抱えられたままだった身体に思い切り脚を引き寄せてそれを突き上げる。狙い過たずすごい音を立てて悪魔の顎を蹴りとばした。

 勢い、自分も膝から転がり落ちる。

 反転できる距離でもなかったので背中への衝撃を覚悟して身構えたが、それよりも前にするりと伸びてきた手がサンジを捕まえていた。

「あいたたた、酷いなぁマイハニー。私でなかったら顎を割り砕かれて死んでしまうよ?」

「死ぬようにやったんだっつの…!」

「そんなつれないことを。照れ隠しなんてしなくてもいいんだよ?」

「本当に耳がねぇなテメェ!」

 ヒュッと、風を切る音が聞こえた。

 首筋がそそけだつような気配がサンジの髪を薙いで通り過ぎていく。

「…ッ」

「危ないなぁ、マリモくん。私の大事なスィートハートを傷つける気かい」

「そいつから離れろ、コック!」

「殺す気かアホ!!」

 殺気満々で三刀を抜いたゾロが、それどころかきっちり手ぬぐいまで巻いて戦闘態勢に入っていた。

「やめろ、こんなとこで暴れたらキッチンが壊れる!!」

「テメェがそんなヤツにつかまってんのが悪ぃ!」

「おやおや気の短い」

 身体をひねって悪魔の手から降りると、今度は捕まえようとはしなかった。にやにやと笑って殺る気のゾロと慌てるサンジを見比べている。

「テメェ、キッチンに傷の一つでもつけやがったら殺すぞ!!」

「だったらその優男を外に叩き出しやがれ、オレが仕留めてやる!」

「あー……」

 なんと答えようか。

 一瞬のサンジの戸惑いを、ゾロは正確に読みとったらしかった。眉をひそめて悪魔とサンジを交互に見る。

「……テメェが呼んだのか」

「あー、呼んだっつーかなんつーか」

 無言で刀を収めたゾロがずかずかと近づいてきて、サンジの腕を引いた。

「おい…ッ」

「これはオレのだ」

「……!」

「手を出すな。次に触れたら殺す」

 ぞわりと本気の殺意がゾロの身体から立ち上って、サンジは首筋に鳥肌を立てた。

 容赦なく敵を屠る覚悟を決めた男だけが持つ、殺気。

 けれどそんな殺気など意に介した風もなく悪魔はにやにや笑いをやめず、なんて短気な男だ、ともう一度呟いた。

「ゾロ。…そいつはそういうもんじゃねぇ」

「そういう?」

「人じゃねぇんだ。斬れる相手じゃねえが、敵にする必要もない」

 悪魔を見据えたゾロの眼がわずかにすがめられる。

「……確かに、人の気配がねぇな。なんだ、テメェ」

「はじめまして、マリモくん。私はそこのかわいいコックさんに恋する一人の男さ、名前など名乗るほどのものでもない」

「ふざけんな。その呼び方やめろ」

「おやおや、心の狭い男は嫌われるんだよ、マリモくん。それに君はもう少しその子を大事にした方がいいね」

 ぎっちりとサンジの腕を掴んだゾロの手を、悪魔が指さす。

「かわいそうに。痣になってしまう」

 刀を握るように容赦のない力を込めて、ゾロの手はサンジの腕を掴み締めている。

「そうやって、君はその子を捕まえているんだろう?自分の全力で、容赦など欠片もなく、抱き潰すような力を込めて」

「………なんだ。テメェ」

「言ったろう。その子に恋する、ただの男さ。……まあちょっと、悪魔だが」

「は?」

「初めまして。そしてさようなら、マリモくん。もう君には会わないよ、つまらないからね。私達を認めない君になど、姿を見せるのもばからしい」

 嘆かわしい、というように大きく手を開いてかぶりを振って、悪魔はひらりととんぼを切った。

 サンジには投げキッスをとばす。

「それではまたね、マイスィート」

「二度とくんな」

 あっはっはっは、と甲高い笑い声を上げて男が炎になった。

 ゾロとサンジが一瞬飛び退いたほどの業火が市松模様の床を、まだぴかぴかの天井を舐めて、あっという間に消え去る。

 笑い声ばかりが余韻のように響き渡った。

「………あんにゃろう…」

「おい。…いまのはなんだ、コック」

「だから……」

 説明するのも面倒だ。

 タルトを半分くれてやったというのによく考えたらキスの奪われ損だ。

 そこではっと意に沿わない口づけをされたことに気がついて、慌ててサンジはごしごしと唇を擦る。

「おい」

「だから、悪魔だ」

「は?」

「炎の悪魔だ!ああちくしょう、胸くそ悪ぃ!」

 腹立ち紛れに足を踏みならし、サンジはゾロの胸ぐらをぐいと掴んだ。

 思い切り引き寄せて、がつんと唇を合わせる。

 歯があたって痛かったけれど、かまわず舌を突っ込んで絡めた。

 十分にゾロを味わうと、ぱっと離して唇を舐める。

「……おい」

「消毒だ。あーちくしょ、二度とくんなクソッタレ」

「……だからなんなんだ……」

 さっぱり訳が分からないと言う顔をしながらもそれなりにゴキゲンの回復したらしいゾロに、さてどういえばいいのかとサンジは顔をしかめた。

 

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