※こちらの小説はR18となっております。
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 なお、18歳以上の方も、本文中に暴力・流血・性表現がございますので
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 以上を踏まえた上で、先にお進みくださいませ。
 よろしくお願いいたします。




《10》









 

 

 

     ◇◇◇

 

 力が欲しくはないか、と悪魔は聞いた。

 否と応えるのは嘘だろう。

 人はいつでも力を欲している。

 夢を叶える、仲間を守る、自分の世界をひっくり返すための、無力に泣かないための力を。

 けれどそれは自ら掴み取るものだ。

 





 投げられたものを受け止めて使いこなせるほどに、人の心は強くはない。

 過ぎた力はいずれ心を壊す。

 人でいられないのなら、力に、理由はないのだ。

 





















 

 

 

 

 

 

 

 

「やあ、久しぶり、マイハート!」

 底抜けに脳天気な声で言われて、サンジは思わず失笑してしまった。

 馴染んだ、などとは口が裂けても言いたくはないが、いつの間にか聞き慣れていたらしい。

 サニー号のキッチンで、いつものように炎に料理を放りこんで、炎の悪魔にと呟いた。

 しばらく姿を見せなかった悪魔は、唐突に現れた。

 悪魔には悪魔の都合がある、ということだろうか。

「……よお」

「私の姿が見えなくて寂しかったかい?すまなかったね、仔猫ちゃん」

「誰がんなこと言った。せいせいしてたぜ」

「ああ、そんな強がりを言わなくてもいいんだよ!」

「………」

 久しぶりに会ったらウザさも倍増しくらいだった。

 もう一生来なくていいのにと思うが、炎はなければ困るのであんまり無碍に扱うのもどうだろうとつい考えてしまうのが弱いところだ。

「いろいろと大変だったようだねえ」

「なんで知ってんだ」

「炎はどこにでもあるのさ。ゾンビを倒すのに、君の仲間が私を使ったじゃないか」

「ふーん」

 そうだったのか。

 そういえばウソップがゾンビには炎が良く効くと言っていた気がする。

 ではこの悪魔は、あの状況をすべて知っていたと言うことだ。

「全部見てたのか」

「私はどこにでもいる。しかし誰の目にもつかない」

 サニー号のディナールームで、カウンターのスツールに腰掛ける赤毛の男は、こうしてみれば姿は本当にただの人にしか見えない。

 けれど少し感覚を研ぎ澄ましてみればわかる。

 そばに寄るだけでざわざわと肌が泡立つようなこの気配は、人ではあり得ない。

「……何でお前、あの時、こなかったんだ?」

 あの夜に現れたのがブルックではなくこの炎の悪魔だったなら、サンジは、なんと応えたかわからない。

 無力から眼を逸らしたいばかりに、是と言ってしまったかもしれないのだ。

 そう思うだけの揺らぎが自分の中にあることをサンジは知っている。

 強く、強くなりたい。

 失うことはあんなにも怖ろしい。

「なにを言うんだい、かわいいかわいい私の魚」

「………」

「君が本気でないときに、君の心を揺らすことに、意味があると思うのかい」

「………」

 この悪魔は存外フェアだったということか。

 公平な悪魔など、聞いたこともないが。

「あの巨大な男が出てきたときには出ていって焼き尽くしてあげようかと思ったけれどもね。いかんせん、私の力は強大すぎる。人を介さなければあの島ごと君の仲間達も灰にしてしまうからね。まあ、君だけ無事ならいいんだけれども」

「………」

 前言撤回。やっぱり悪魔だ。

「泣く泣く諦めた。君は呼んでくれなかったし」

「呼んでねぇよ、いつも」

「だって炎を使うじゃないか……」

 その理屈で言ったら炎を使うものは皆のこらずこの悪魔に出会わなけれならない。

 それはないだろう。

 悪魔は、自分の好みの相手だけを捜して、こうして取り憑くのだ。

「なあ」

「なんだい?」

「そろそろあきらめろ。オレは、どんだけ待っても、テメェのものにはならねえよ」

 へにょん、と悪魔の眉がみっともなく下がった。

 わざとらしい落胆の仕草だ。

「どれほど待っても?」

「ああ。……オレの本当が欲しいなら」

「君の心の中に頑として存在する、その真実ごとでないのなら、君を手に入れる意味など半分しかないんだよ。……どれだけ待っても、炎はいらないかい?マイスィート」

「炎がいらねえんじゃねえ。オレが手に入れられる以上の力が、いらねえんだよ」

 ふぅん、と悪魔が鼻を鳴らした。

 ぱかっと開いた口から炎がこぼれ落ちて、それはたぶん彼のため息なのだろう。

「………残念だ。とても、とても、残念だ」

「嘘つけ」

「なぜ嘘呼ばわりするんだい」

「テメェ、最初からわかってただろう。このオレが丸ごと欲しいなら、テメェの力を欲した瞬間に、それがぜんぶ嘘になるって事」

「………」

「オレがテメェの炎を望んだら、どうするつもりだったんだ」

 かぱ、と悪魔の口が耳まで裂けた。

 眼を逸らしたくなるような怖ろしい形相で炎の男は笑い、その赤い口からちろちろと火の舌がのぞく。

「それは、もちろん」

「………」

「君が、私のものになった瞬間に、焼き尽くしてしまおうと

おもっていたさ。私の金の炎《ディア・フランム》」

「………だっから悪魔は信用ならねぇって言うんだよ…」

 取引の果てに奪われるものが命など、冗談ではない。

 悪魔はすぐに一瞬の怖ろしい形相を幻のように消して、肩を揺らして笑って見せた。

 それが人間のものならば、とびきりの美しい顔で。

「ま、それも嘘だとも。せっかく手に入れたのにすぐに燃やしてしまってはもったいない。なにしろ私達に比べたら、君の命は短すぎるのだ」

「そういうもんだろ」

「そうだね」

 彼らには永遠と呼ばれる命がある。

 それがどんなものかは知らないが、悪魔にとって人間の一生など、瞬きほどのわずかな時間なのだろう。

「テメェらにとっては、人間なんて一瞬で消えちまうもんだろう?」

「その通りだ。……けれどもね、サンジ」

「……なんだ」

「私は、忘れたことはないんだよ。決して、忘れることはないんだよ。今までに私が愛した三万五千六百七十二人の人間のすべてを、覚えているんだよ。

そして残念ながら今日私はふられてしまったが、サンジ、君のことも忘れることはないだろう。その金の髪の輝きも、青い眼の深さも、なにひとつ忘れはしないだろう」

「………」

「私達は、そういうものだ」

「そうか」

 じゃあ、覚えていろよ、とサンジは呟いた。

 これからたぶんサンジの一生をこの男は見るのだろう。

 サンジが死ぬまで料理人であり続ける姿を見るのだろう。

「まあ、美味い料理は、喰わせてやるよ」

「それは嬉しい」

 小鍋に作った一人分の料理、トマトとアンチョビのラザニアを器に盛って、サンジは悪魔に差し出した。

「喰え。これは、テメェの料理だ」

「おお。素晴らしい、私はラザニアが大好きだ」

 大仰な仕草でそれを受け取って、フォークもスプーンも使うことなく悪魔はそれを口の中に放り込む。

 彼の口は小さな炉で、食べ物はみな瞬く間に焼き尽くされる。

 炎が零れてサンジの目の前で散った。

 ほろほろと、蛍火のように。

「マイハート。ふられ男の問いに答えてくれるかね」

「内容によるな」

「そんなつれない。いいじゃないか、私は失恋したてなんだから」

 ラザニアの乗っていた皿は舐めたように美しくなっていて、悪魔はそれをサンジに返してよこした。

「………私は、悪魔だが」

 炎は詠うように言った。

「あの男は、魔物だ。魔獣、とは言い得て妙な喩えだな」

「………」

「ニンゲンは時としてとても鋭い、卑小な生き物だった頃の勘を忘れてはいないように。あれは魔物だよ、私のかわいい仔猫ちゃん」

「その呼び方やめやがれ」

「私が私の愛しい相手をどう呼ぼうと自由だろう?あの魔物は、いつかお前を食べ尽くすだろう、かわいいかわいい子豚ちゃん」

「………」

 それでもお前はあの魔獣がいいのかい?

 炎の悪魔はそう言って、その眼の奥底にちらりと赤い閃きを見せた。

「……あれが、魔物で、魔獣で」

 その問いにサンジは応える。 

 悪魔は謎かけが好きだ。満足するのは彼の望む回答を得たとき、そして答えが真実でしかあり得ないとき。

「とんでもなく餓えて、いつかオレを喰うことでしか、満たされないっていうのなら」

 戦いに臨むようにサンジは応えた。

 悪魔は到底そうとは見えない柔らかな笑みを浮かべて、その髪に、瞳に、炎を閃かせる。

 不意にこの悪魔が嫌いではない事に気がついた。

 それどころか奇妙な親しみを持っていることに。

 考えてみれば当たり前で、彼の言葉が本当ならばサンジは彼と幾度と無く出会っている。幼い頃から、今に至るまで、それこそ数え切れないほど。

「オレは、やるよ。あいつに、オレの身体を、骨一つ残さず喰えっていう。………けどな、そんなことにはあいにくならねぇんだ」

「なぜ?」

「あいつが人間だからに決まってるだろう」

「………」

 それは絶対だ。

 たとえ大剣豪の夢に破れても、あの男は、人であることをやめようとはしないだろう。

 そこにしか意味はないのだと知っているからだ。

「……馬鹿だね」

「そうかよ」

「そうだとも。人だからこそ、質が悪い。残酷にも卑怯にも、強欲にもなれる」

「……」

「いつか君は知るだろう。人は人にこそ、世界で一番怖ろしい絶望を味わわされるのだと」

「そうかもな」

 悪魔が、スツールから降りた。

  名残惜しげにキッチンを眺め、最後にサンジをじっと見る。

「それではね。マイハニー」

「だからそう呼ぶなっつの」

「いいじゃないか。私はまだ、君を愛しているんだよ」

「オレも炎は嫌いじゃないがな」

「それは嬉しい、だが残念だ」

 本当に無念そうに、悪魔はかぶりを振った。

「もう来るなよ」

「さあて。悪魔は気まぐれだ、わからないね」

 にんまりと笑って、不意にその姿がかき消える。

 フランキーの備えてくれた特大のオーブンの中で、炎が一瞬ぐわりと燃えさかった。

「……ったく……」

 これだけきっちり引導を渡してやったのだ、もうこない、とは思うが。

「……悪魔の考えてる事はわかんねーからなぁ……」

 首を傾げつつ、サンジは、夕食の仕込みに戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからもサンジの料理は変わらず美味かったし、炎はサンジの思うままに燃えてくれた。

 変わったのは炎の悪魔に喰わせる量が少しばかり増えたことだ。

 毎日炎に放り込む一欠片を、サンジはゾロに知られないようにしている。

 なにしろばれたらうるさい。

 サンジのすべてを自分のものにしようと思っている、強欲な男だからだ。

 

 

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