◆悪魔のケーキ◆





「生と死。テメェならどっちを選ぶ?」

 黒い羽根。

 ねじ曲がった角。

 金の髪に黒ずくめの悪魔が、両手にケーキを持って、にっこりと笑った。

 

 

 

 

 それを何というかと問うたら、大抵の人間は『不運』と答えるだろう。

 当たり前だ、どれだけ生きていようと人生の中で悪魔に出会うなど早々あることではないし、第一この偉大なる航路でさえそんな存在は認知されていない。

 それは伝説のもの、不可視のもの、そして不可触のものだ。

 見てはいけない、触れてはいけない、話してもいけない。

 そこにあるのは破滅だ。

「テメェはなーんて運がいいんだ、ロロノア・ゾロ」

 けれどその有り得べからざる悪魔は、にっこりと笑ってそう言った。

 甲板で鍛錬をしていたゾロの前に、まるでマストの天辺から降ってきたように現れて、だ。

 このゴーイングメリー号にこんな乗組員は断じていない。

 前の島からもう八日が経っている、密航者でもあり得ない。

「世の中には人間がごまんと溢れてるってのにわざわざテメェの前に現れてやった幸運にオレを拝んで感謝するんだな、ロロノア・ゾロ!オレだってわざわざむっさい筋肉マンの前に現れるより見目麗しく抜群なボディの女性の前に見参したかったぜ、ああほんと残念無念、けどちょうど今日、目の前を通りかかったのがテメェなんだから仕方がねぇんだ、ロロノア・ゾロ!」

「………」

 なんて流暢な弁舌なのか。

 なにを言っているのか半分も聞き取れなかった。

 だがしかし、目の前の男が人間ではないという事はわかった。

 男は背に真っ黒な墨で染め上げたような蝙蝠に似た羽根を持ち、金色の頭にはねじ曲がって怖ろしい形をした角が生えていた。

 もしかしたら黒いスラックスの下の脚には蹄があるのだろうか。

 それになにより、纏っている気配は人のものではなかった。

「誰だ、テメェ」

「オレか?聞いて驚け、オレ様は青海の悪魔だ。人間のくせにオレに出会えるなんてホントに運がいいんだぜ、特に船乗りにはな」

「………」

 嘘をつけ。

 海の上で悪魔に出会った物語の終末は、大抵破滅と相場が決まっている。

 風を頼めば嵐を、食料を頼めば毒入りを持ってくるのがこいつらのやり口なのだ。

「というわけで、ロロノア・ゾロ。テメェに選ぶ権利をやろう」

 その両の手にはケーキ。

 片方には真っ白なクリームがたっぷり塗られたふわふわの、丸いケーキ。

 片方には黒かと見まごうほどに濃い茶色のしっとりとした、丸いケーキ。

「片方は生、片方は死。お好きな方をどうぞ、“海賊狩り”のゾロ」

「………」

 悪魔はにやにやと笑っている。

 こうやって、気まぐれに人を試すのが悪魔だ。人智を越えたところで人を玩具に遊ぼうとする。

「どうした?仮にも大剣豪になろうって男が怖じけづいてんのか?簡単だぜ、片方は生、片方は死。二分の一の確率だ」

「そもそもなんで選ばなきゃなんねぇんだ」

「ああ?オレがテメェに喰わせてやろうと思ったからに決まってるだろ。感謝しろよ、テメェがいままで喰ったケーキの中で一番うまいぜ。ついでに生を選べれば万々歳だ」

「悪魔のケーキなんざ喰えるか」

「あんだと、そりゃ差別ってんだぞ。悪魔が作ろうとケーキはケーキだ。まあ特別な魔法がかかってるけどな」

 ……こいつが作ったのか。

 思わずボウルと泡立て器を持ってしゃかしゃかやっているところを想像してしまったが、よく考えずとも悪魔だ、指先を一つ弾けばケーキが現れたりするんだろう。

「それにな。ロロノア・ゾロ。オレに選ばれた時点で、テメェにはもう逃げる権利なんかないのさ」

 悪魔がにんまりと笑う。

 その双眸が海の底のように蒼く輝いて、ゾロを射すくめた。

 なるほど、確かにこいつは人ではない。

 人にない力を持ち、多分怖ろしく強いだろう。

 戦うか否か、一瞬迷ったときその迷いを見透かしたように目の前にずいとケーキが突きつけられた。

「テメェにあるのは選ぶ権利だけだ。どっちも美味いぜ、選べよ、ゾロ」

「………テメェ」

 怒鳴って抜刀しようとし、ふと気付いた。

 そうだ。

 戦うよりももっと、こいつの鼻を明かしてやる方法があるじゃねえか。

「…あっ」

 悪魔が焦った声を上げたが、かまうものか。

 右手に白を、左手に黒を。

 丸のままとはいえさほど大きくないケーキを二つ、わしっと掴み悪魔の手から両方取り上げて、がぶりと食らいつく。

 あーあーあー、などと悪魔が言っているうちに、ばくばくと交互に囓りとり飲み込んで、瞬く間に平らげてしまった。

「ごっそさん」

「……っ」

「これで相殺だな?悪魔」

「………なっんてことすんだーっ、ロロノア・ゾロ…ッ!!」

 金の髪をくしゃくしゃと掻き混ぜて、悪魔が悲鳴じみた声を上げた。

「ああっ、もったいねえ!最高級の粉と卵とバターとクリームとココアを使ったケーキがっ、一瞬で!一個オレが喰うつもりだったのに!」

「………」

「ちっくしょー、オレの誕生日のささやかな楽しみをだいなしにしやがって…!!」

「誕生日?」

 悪魔にそんなもんあんのか。

 と、思いながら手にべったりと付いた白いクリームをべろりと舐める。

 瞬く間に喰ってしまったので味わう暇などほとんどなかったがしかし、この舌の上に残った感触とクリームの味は。

「……なんだ。ずいぶんうめぇじゃねえか」

 思わずそうぼそりと呟くと、悪魔がぴたりと唸り声を立てるのをやめた。

「……うまいか」

「ああ。悪魔が作ったとは思えねえな」

「だからそりゃ差別だっつってんだろ。そーか、うまいか」

 嬉しいのか、悪魔はとたんに上機嫌になってにやにやと笑っている。

 ずいぶんと人間くさい悪魔だが、こういうものなのだろうか。

 うまいか、ふーん、などと言って鼻歌まで歌い出しそうな表情だ。

「おーいっ、ゾロ!」

 不意に聞き慣れた声が背後から飛んできた。声だけでなく本体もだ。

 危うく避けて飛んでくんじゃねぇよアホ、と蹴るとこの船の船長は悪びれもせずにっかりと笑った。

「何だゾロそれ!すっげー、いい匂いすんぞ!甘い匂い!」

「……あー」

 さすが地獄耳ならぬ地獄鼻のキャプテン。

 飛んできたルフィをゾロと同じく危うく避けた悪魔が、ばさりと羽根を開いて空中に浮いている。

「なんだこれっ、ずりぃぞゾロ!オレにも喰わせろ!」

「わりーな、もう喰っちまった」

 ずるい、ずるいと喚かれて面倒くさくなったので、つい空中の悪魔を指さしてしまう。

「そいつに作ってもらえ」

「そいつ?」

 振り返ったルフィは空中に浮いている悪魔を見てきらーんと眼を輝かせた。

「そいつの作ったケーキ、かなり美味かったぞ」

「ケーキ!!」

「おいっ」

 悪魔の慌てている様子など気にもかけない様子でルフィがばいーんと飛び上がって彼にしがみつく。

「なあなあケーキ!ケーキ、オレにもつくってくれよう!」

「ぎゃー!なにすんだ!!」

「なー、ケーキ、ケーキ!!」

「わ、わ、わかったから離れろって…!!!」

 やった、と叫んでルフィがばんざいをした。

 この勢いのままゴーイングメリー号のコックまで決まりそうだが、まあ、いいんじゃないだろうか。

 大剣豪と海賊王になる予定の男達がいる船には、悪魔のコックも似合いかも知れない。

 

 

 

 

 そんなわけでメリー号のキッチンでは、今日も悪魔がボウルと泡立て器を持って、しゃかしゃかと皆の分のケーキを作っている。

 

 

09/03/12

 




今年3月のサンジ君お誕生日企画に寄稿させていただいたものです。
おなかのへった子供にかなうものなし。