※こちらの小説はR18となっております。
 18歳未満の方の閲覧を禁止させていただきます。
 なお、18歳以上の方も、本文中に暴力・流血・性表現がございますので
 ご注意ください。
 以上を踏まえた上で、先にお進みくださいませ。
 よろしくお願いいたします。










◆紅い足の伝説・5◆










◇◇◇ 102日目 ◇◇◇

 

「おおい、島だ、島が見えるぞーーッ!!」

 ウソップの声に誰もが色めき立った。サンジも急いで船縁に駆けより、水平線を見晴るかす。

「おい、どこだよウソップ!見えねえぞ!」

「あれだ、あれだよ!くっきり見えてんじゃねぇかよ!!」

「どこだ……」

 いくら必死で眼を凝らしても、ウソップの言う島影は見えない。見張り台のナミを見上げると、双眼鏡を手にした彼女が首を振った。

「……おい。ウソップ」

「ほら、あれ、あれだって!なぁ!」

 サンジを見るウソップの眼は、少しだけ焦点が合っていない。 黙ってサンジはその薄くなってしまった肩を掴んだ。

「ほら、サンジ、あれ……」

 言葉を途中のまま、ウソップは昏倒した。気絶させる方法は心得ているが、起きたとき腹に青痣くらいは出来ているかもしれない。

「チョッパー」

「………うん。幻覚だね。アドレナリンが過剰分泌されて、あるはずのないものを見たんだ」

 医者として冷静に症例を口にする声が、少し震えている。

「とりあえず寝かせておこう。……ブドウ糖を注射しておく」

「ああ」

 チョッパーの持つそのエネルギー源も、残り少ないと聞いた。 いつか海の果てにサンジがあるはずのない船を見たように、こうやって少しずつ餓えと空腹の狂気がこの船を浸食していく。

 その怖ろしさに、一瞬サンジは肩を振るわせた。

 仲間達は黙ってその様子を見守っている。

 ウソップの身体を担いで運ぼうとすると、黙って近寄ってきたゾロが代わって担ぎ上げた。

「ゾロ」

「寝かしときゃいいんだろ。……ビビるな」

「だ、誰もビビってなんざ……」

「じゃあ、そんな顔すんな」

 どんな顔をしているというのだろう。ゾロはさっさと背を向けていってしまう。

 くそ、とサンジは口の中で呟いた。

 仲間達と同じように少しずつ痩せていっているというのにちっとも動じた様子を見せないあの男が、少しだけ憎たらしいと思った。

 

 それから数日の間にナミが白い蝶を見たといい、ウソップがまた夜中に黒い影に怯えて飛び起きた。ロビンは甲板に置いたチェアから日中ほとんど動かず、ルフィは羊の頭の上で海の果てを見つめ、ゾロは眠っている。

 体力の消耗を押さえるためオールは日中ほんの少ししか漕がないようになった。

 海は相変わらずとっぷりと黒い。

 その黒さが、いつか、自分達を飲み込んでしまうんじゃないかと震えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇ 104日目 ◇◇◇

 

 あそこに船が見えるからオレが泳いで呼びに行くとウソップが言い張って海に飛びこもうとしたのをみんなでどうにか押さえつけて眠らせた日、サンジは船倉をくまなく見て回った。

 幻覚は、体質のためかウソップが一番見やすいようだ。

 見つけるたびにウソップは頑張ろうとする。

 仲間達を助けるために必死でどうにかしようと足掻くのだ。堪らない。

 解ってはいたことだが、船倉にはなにもなかった。

 ロープや砲弾、大砲、その他諸々積み込んだ荷物は今の自分達にはなんの役にも立たず、物陰にジャガイモの一つすら見付からない。

 バラストのための船底の海水は既に半分方黒い水になっていた。メリーの中にそんなものを入れたくはなかったが、背に腹は代えられない。

 ごめんなぁ、メリー、と心底申し訳なさそうにウソップが呟いていたのを知っている。

「……あれ?」

 サンジは首を傾げた。

 キッチンから、僅かな灯りが漏れている。燭台は倉庫を探すためにサンジが持っているのだが。

「おい、誰かいるのか……」

 声をかけながら入ると、すぐにキッチンの前にいた影がビクッと飛び上がった。

 新しい蝋燭がテーブルに灯されている。

「おう、チョッパー。何か用か」

「………」

 じりじりとチョッパーが後ずさりをする。

 トナカイの顔色は良く分からないが、丸くまるで闇夜の猫のように見開いた眼は常ならぬものを感じさせる。

 もしや彼も幻覚を見ているのかと焦る。

 水が無くなってもう七日が過ぎていた。

「おい、チョッパー?」

「……さ、さ、サンジ………」

 チョッパーは背後に蹄を隠している。けれどその股の下から見えるものがぎらりと光って、それが自分の磨き上げられた包丁だとサンジは気がついた。

 使わなくなってもうどれほどになるだろうか。

「……どうした。チョッパー」

 出来るだけ優しい声を出す。けれどチョッパーは、震えていた。

「お、お、オレ……オレ」

「うん?」

「お、オレ…………ひ、非常食に」

「………」

「ひ、非常、食に、なれると……お、思うんだ」

 一瞬、サンジは眼を閉じる。

 すぐに開けて、蝋燭の火を照り返して緑色に光るトナカイの眼を見つめた。

 ぎらぎらと、それは緑色の炎のようだ。

 震える手で掴んだ包丁を、チョッパーが前に出す。

「み、みんなもう……限界だ。た、食べ物はともかく……水分が無くっちゃ、保たないんだ」

「………ああ」

「さ、サンジ……それで、オレ、オレ、食べれば……す、水分にも、栄養にもなる、し」

「チョッパー」

「お、お、オレ、と、トナカイだし、トナカイ、喰えるよな、サンジ?」

「チョッパー」

「そう、思って………で、でも、怖くって」

「チョッパー」

「お、お願いだよ……お願い、サンジ、オレ、料理してよ」

 堪えきれないようにチョッパーが泣き出した。一体どこにそんな水分が残っているのだろうと言うほどに泣いていた。

 包丁の柄をサンジに差し出したまま、泣き続ける緑色の炎は、けれど一瞬も逸らされなかった。

「チョッパー。まだ、大丈夫だ」

「だめ、駄目だよ、サンジ」

「大丈夫だ。……オレがもう無理だと思ったときには、言った通り料理してやる。チョッパー」

「……ホント?」

「ああ。人間はな、意外としぶとい。まだあと数日は保つさ。なぁ。チョッパー」

「ホント?」

「本当だとも。……第一チョッパー、お前、オレ達がまた脱水症状だの幻覚症状だのおこしたらどうするんだ。お前がいなくて、誰が診るんだよ」

「そ、それは……」

「きちんと船医の役割をまっとうしやがれ」

 泣いて震える手から、ゆっくりと包丁を取り上げる。

 蝋燭の火にぎらりと光るそれを元通り引き戸の内側にしまい、チョッパーの小さな身体を抱き上げた。

 一生懸命に泣くのを堪えようとする船医が首っ玉にかじり付く。

「ほら、泣くな。もう寝るぞ」

「ザ、ザンジ、ザンジ、おで……だ、だれにもじ、じんでぼじぐないんだよぉ」

「ああ、わかってる」

「やだよぉ、やだ……ど、ドクダーみだいに、だ、だれも……だれも」

「わかってるよ。チョッパー」

「ザンジぃ……」

「泣くな。水分の無駄だろ」

 うぅ、と子供のような唸り声を上げてチョッパーが肩に顔を擦りつける。濡れて暖かくなるその体温が切なかった。

 誰もが誰かを生かそうとするこの場所にいられることが、途方もない奇跡だと思った。

「さ。寝るぞ、チョッパー」

「うう……」

「一緒に寝てやるから」

「うう………」

 男部屋に戻って、唸るような声しか返さないチョッパーを傍らに抱いたまま、毛布を被る。

 すぐに健やかな寝息が聞こえてきた。

 闇の中で仲間達の寝息を聞きながらサンジも眼を閉じる。

 浅い眠りが、緩やかにサンジを浚っていった。

 
















 

◇◇◇ 105日目 ◇◇◇

 

「ほらみろ、チョッパー!」

 声を上げて笑えば、チョッパーは空腹など忘れたように歓声を上げて飛び回った。

「すげー、すげーサンジ!わかってたのか!?」

「んなわきゃねーだろ、雨乞い師じゃあるめーし!ほら、遊んでんな、なるべくたくさんの雨を溜めるんだ!!」

 青いばかりだった空は、朝から曇っていた。

 雨粒が落ちてきたのはすぐだ。チョッパーもルフィもナミも、みんな笑いながら大騒ぎで雨を溜める容器を甲板に出す。

 洗面器から手桶、カップ、皿、空樽に、ウソップが超特急で作った大きな四角い木の箱。

 所狭しと甲板に並べたら、後は長いこと洗っていなかった衣類を持ち出した。

 みんな、空を仰いで喉を鳴らして水を飲む。

 切りもない雨はいままでの異常な晴天からは考えられないほどに降って、樽はほぼ満たされた。

 空腹も満たそうとばかりに雨を飲んで、仲間達ははしゃぎ回る。

 海は黒いけれど、まだ大丈夫。

 そう思えた。

 

 

 

「おい」

「おう」

 振り返ってサンジは笑った。ゾロも頭からびしょぬれだ。

 少し痩けた頬が返って精悍さを増したように見えるゾロは、まだまだ元気なようだった。

「平気か」

「なにがだ?」

 まさか昨夜のチョッパーの一件を知っているわけでもないだろうに。

 問い返すと、ゾロは、いやと言葉を濁した。

「………まだ、保つか」

「あったりめーだろ、誰に聞いてんだテメェ」

「テメェにだ。……オレ達よりもっと、喰ってねぇだろ」

「……ここまでくりゃ一緒だ」

 みんなとさして代わらない。空腹は、ある日を境に不意に感じなくなるものだ。どれだけ身体が餓えていても、生きるために脳はその訴えをシャットダウンする。

 飢餓というあの気の狂いそうな苦痛と恐怖を抱えて、長く生きることなど人には出来ない。 

「大丈夫だ。ゾロ」

「ああ」

「オレ達は……抜け出すことが出来るさ、きっと」

 この黒い海から。

 全員無事に、帰ってみせる。

 サンジを惹きつけてやまない、あの青い青い海へ。

「当たり前だろう」

 そう言って、滴る雨の中、ゾロが笑った。

 




                                      6へ