※こちらの小説はR18となっております。
 18歳未満の方の閲覧を禁止させていただきます。
 なお、18歳以上の方も、本文中に暴力・流血・性表現がございますので
 ご注意ください。
 以上を踏まえた上で、先にお進みくださいませ。
 よろしくお願いいたします。










◆紅い足の伝説・3◆










◇◇◇ 32日目 ◇◇◇

 

 船の上ではこれと言ってやることがない。特にそれが今のような特殊な状況ならば尚更だ。

 常ならば海が同じ状態でいることなどほとんど無く、風も波も千変万化に姿を変える。

 その度に舵だオールだ帆を畳めと大騒ぎをするはずなのに。

「……変わらないわね」

 この海は常に凪のままだ。

 荒れることも波立つこともなく、それどころか風さえ滅多に吹いてこない。

 おかしいと言うことは、もうみなが感じ取っていた。

 雨すら、降らないのだ。

 前方甲板のテラスに椅子を置いて、本を片手に、時折ちらりと眺める水平線はまるで一本の線を空中に描いたもののように少しも変わらない。 

 それをもどかしく思う気持ちがロビンの中にすら生まれているのだから、他のみなの焦りはもっと強いものだろう。

 変わるはずのものをひたすらに待ち続けると言う状況は、疲れが溜まるものだ。

 不意に、真下ががやがやと騒がしくなった。

 マストの前に三人を引っ立て、鬼か夜叉かという顔をした青年が睨みつけている。

「……いいかっ、テメェら!今日は一日飯抜きだからな!」

「ええっ、そんな殺生な!」

「やかましい!その分喰ったんだろうが、昨夜!!」

 叱りとばしているのはこの船の食を一手に握る凄腕のコックさんだ。

 叱られているのは船長と狙撃手、それにトナカイの船医。

 察するところ育ち盛りの三人はついに空腹に負けて、夜中のキッチンに忍び込んでしまったらしい。

 食糧の状況がどんなことになっているのか、ロビンは知らないけれど、もう一月以上も何の補充も出来ない状況が続いているのだ。

 芳しくないと言うことは重々承知している。

 もちろん、あの三人だってそんなことは解っているのだろう。

 それでも時折手綱が取れなくなるのが欲望というものだ。

「悪かったって、サンジぃ〜!腹減って、寝れなくってさ」

「ホントすまん!この通り!」

「ごめんよー、サンジ。つい……」

「謝ったって食糧は戻ってこねえんだ!だから悪いと思うなら一日我慢しやがれ」

 三人の謝罪など耳に入らないとばかりにサンジが煙草を取りだし、火をつける。

 その指先が細かく震えているのにふとロビンは気付いてしまった。

 深く煙草の煙を吸い込み、ため息のように吐き出すのは、気を落ち着かせるためなのだろう。この船の状況を多分誰よりも理解しているコックは、感情のまま三人を罵るのを、きっとどうにか堪えているのだ。

「………いいか。テメェら。想像してみやがれ、この船の上で食糧も水もなくなったらどうなるかを」

「………う」

「なんにも、本当に何もなくなるんだ。口に入れられるものなら何でもいいって気になって、布とか革とか適当にその辺のもんを喰ってみるようになる。いくら噛んでも渇いて唾も出ねえんだ、飲み下せるわけがねえ。ひとっかけらも食い物が無くなったら、そうなるんだ」

 三人は神妙な顔をして聞いている。

 その口調は静かだったがやけにリアルで、彼はどんな人生を生きてきたのかしらとふとロビンに思わせた。

 けれどその言葉はどこか痛々しい。

「……そうね。そして、餓え渇いた船では大抵争いが起きるものよ」

 つい、ロビンは口を出してしまった。

 振り返ったサンジが驚いた顔をする。

「ああ、ごめんよロビンちゃ〜ん!読書中だったのにうるさくして!このバカ共のせいで悪かった!」

「いいえ、気にしないでコックさん。……餓えと渇きは、人の理性を削るわ。どんなに優しく、どんなにまとまった船でもそれは同じ。貴方方は仲間内で一欠片のパンのために醜く争ったりはしたくないでしょう?」

「しねぇぞ、そんなこと」

 ルフィの反論にロビンはにっこりと笑う。

「してしまうのよ。それが餓えというものなの。すべての人間がとは言わないけれど、餓えと渇きは人をただ生きるための獣にするわ。その場所で、人としての尊厳を守るのは、とても難しい」

「……わかったよ」

 ルフィがサンジに視線を戻す。

「二度としねぇ。……わりかった、サンジ。……っすっっげー、惜しいけど、今日の飯はいらねぇ」

「あったりめぇだ、クソキャプテン。昨夜喰った分で保たせろよ」

 ふぅ、とサンジが煙草の煙を吐き出す。その指先はもう震えていなくて、ロビンはすこしほっとした。

「………悪かった」

 ウソップが不意に甲板に手を付く。

「今日の飯はいらねぇ。ほんと、悪かった。サンジ」

「お、オレも、いらねぇ!ごめんなサンジ!」

 慌ててチョッパーがそう叫び、ウソップに倣って手をついた。

 その後頭部を苦笑したサンジがぽんぽんとはたく。

「もういい。二度と盗み食いすんなよ。……この海域を抜けたら、いくらでも美味いもん喰わしてやっから」

「おお、山のように魚を釣ってやるぜ!……ここを抜けたら」

「うん、ほんと、ごめんなサンジ」

「ああ」

 説教が身に沁みたという顔をした三人が、それぞれに引き上げていく。サンジが階段を昇ってきた。

「ホントにごめんな、ロビンちゃん。うるさくして」

「かまわないのよ、コックさん。大変ねあなたも」

「ああ……まったくガキばっかりでまいるぜ」

 ふぅ、とため息を付いて金髪を掻き上げるコックも、ロビンからしてみればまだ充分に若い。

 くすっと笑って、ロビンは気になったことを聞いた。

「コックさん。食糧の状況はそんなに大変なの?」

「……いや、ロビンちゃんが心配することじゃ」

「だめよ。本当に大変なのなら、ちゃんとみんなに伝えなくては。あなたが、一人で背負うことはないのよ」

 そう言うとサンジはちょっと驚いた顔をして、それから苦笑する。

「……まいったな。そんなに、切羽詰まって見えた?」

「いいえ、そう言うわけではないけれど。食糧の問題が、コックさんの肩に掛かるのは当たり前のことだもの。もっと節約をしなくては保たないのなら、みんなの了承を得てそうした方がいいわ」

「ああ。……ありがとう、ロビンちゃん」

 お茶もおやつも、もう出なくなって久しい。

 それはもちろん彼の責任ではないのに、この苦労性のコックはさぞかし心を痛めているのだろう。

「コックさん。青い海に帰ることが出来たら、またたくさん美味しいものを食べさせてちょうだい」

「ああ、もちろんさ!」

 へらりと笑ったサンジがキッチンへ引き上げていく。

 その後ろ姿を見送ってから、ロビンは本へと視線を戻した。 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇ 52日目 ◇◇◇

 

「鳥がいないんだ」

 空を見上げて、ぽつりとチョッパーは呟いた。

 ふぅん、と隣でゾロが聞いているとも何とも着かない返事を返す。

「海が黒くなってから……どこまで続いてるかを聞こうと思って、毎日空を見てるのに、鳥が全然いないんだ」

「そうか」

「おかしいだろ。空なのに」

「陸地が近くねえからだろ」

「そりゃ、そうだけど……」

 毎日交替で漕いでいるというのに島影が見えないどころか進んだ気すらしない。星の位置を見れば、目指す方に進んでいるのは確かよとナミは言っていたけれど。

「……ずっと」

 この海が続いたらどうしよう。そう言いかけたチョッパーの帽子をゾロがひょいと取り上げた。露わになったその丸い頭を大きな手ががしがしと撫でる。

「わ、わっ!なんだよゾロ!」

「くだらねーこと言うな。オレ達はいままで青い海を航海してきたんだ、どこかで青いとこに繋がってるさ」

「……うん」

 海の上には空がある、というような口調でそう言われて、むっとするより先にチョッパーは安心してしまった。

 ゾロの言葉には丸ごと信じて良いような確かさがある。

 不安定になりかけていたものを、そう言えばそうだったなと気付かせるような言葉だ。

「それにしてもちっせぇ頭だな。ホントにこんなかに色々知識がつまってんのか」

「あ、あったりめぇだろ!オレ、医者だぞ!」

 ぷんとむくれるとゾロが笑った。

「なーに獣同士でじゃれてんのよ、あんた達。サンジ君がご飯だって言ってるわよ」

 キッチン前の甲板からナミが声を掛けてきた。

 おお、と言ってゾロが立ち上がる。その後ろを追い掛けながら今日のご飯は何かなとチョッパーは呟いた。

 乏しくなってきた食糧の中で、サンジは精一杯美味しいものを作ってくれる。もちろん栄養バランスだってばっちりだ。

 この怖い海も、みんなが揃っているのならきっと大丈夫だ。

 そう信じることが出来た。

 

 

 

「わりぃが、明日から一日一食だ」

 夕食の席でサンジはそう宣言した。

 みんなが一瞬どよめくが、すぐに静かになる。

「生の食料が無くなった。あとは保存食と粉ものだ。腹はふくれねぇが、栄養はある。時間は決めねぇ、朝一人分を渡すからそれぞれ自分の都合のいいように喰ってくれ」

「……サンジ君、それって」

「みんな、腹が空くときは違うだろ?考えたんだが、こうするのが一番各自の負担にならねぇ。いいよな?キャプテン」

「おお。サンジがそう決めたなら、良いぞ」

 ルフィはしっかりと頷いた。

 彼がどれくらい考えているかは知らないが、サンジは信じている。この船のクルーは、自分の空腹を満たすために自分より弱い者の食料を奪ったりはしない。

「それから水は、一人一日一杯だ。堪えてくれ」

「わかった」

 うん、うんとみなが頷く。真水の樽はあと三つしかない。

 これであとどれだけ保たせればいいのかわからないのだ。

 このところ毎日、雨が降ってはくれないだろうかとサンジは空を見上げている。

「オールを漕ぐ当番の時には、少しだけ多めに食糧を分けても良いか?」

「おお、もちろん」

「いいわよ」

 一つ一つの事柄にみなの賛同を得て、決めていく。

 食糧のことはサンジの裁量にすべてを信じて任せているのだと、仲間達の眼が語っていた。

「……オールは」

 不意にゾロが口を開いた。

「明日からオレが毎日漕ぐ。もう一方はチョッパーとウソップが二人で漕ぐか、ルフィかコックが漕げ」

「え」

「な、なんでだよ。ゾロ」

「本気で漕ぐからな」

 にやっと人相の悪い男が笑った。

「こんなけったくそ悪ぃ海域からは早く抜けてぇ。船がくるくる回らねぇようにしろって言ってんだ」

「お、おお……たのもしいなゾロ」

 ううん、とウソップが唸る。

 じゃあ勝負な!と楽しそうにルフィが宣言した。

「オレと漕ごうぜ、ゾロ!どっちかに回ったら負け!」

「真剣なのよ!遊ぶな!」

 ゴン、とナミが怒りの鉄拳を振り下ろす。

「いてー!けど勝負はやめねぇぞ!」

「アホか!」

 ぎゃあぎゃあとみんなが騒ぎ出す。つられて、サンジも爆笑してしまった。

 ふと視線のあったゾロが、任せろとでも言うようににやりと笑ってみせる。

 まったく頼もしいことだと、サンジはその図太さに呆れながらもつくづく感心した。

 

 


















 

◇◇◇ 58日目 ◇◇◇

 

 残っている小麦粉を酒でこね、熱した窯に入れて焼いた固いパンが二つ。

 干した果物とナッツ類が少し、酢漬けの野菜、魚の干物。

 それに時折オイルサーディンか豚肉の塩漬けをつける。

 それが、一人の一日分の食事だ。

 こんなものしか用意できないのが情けないが、それが今のこの船の精一杯だ。

 サンジがどれだけみつめていてもまだ黒い海の果てに陸地は見えてこない。

 考えた末、夜食用にしていたバスケットをさらに人数分編んでそこに各自の名前を付けることにした。

 と、言っても作ったのはサンジではなくウソップだ。

 器用な彼はついでにそれぞれの似顔絵を描いた木の札を作り、バスケットに印としてつけてくれた。

 今日もサンジは六つ並べたそれに、一つ一つ食料を入れていく。ウソップの似顔絵はなかなかの出来映えだ。

 ナミさんは可愛く、チョッパーはちゃんとピンクの帽子をかぶって、ゾロはまさしくマリモっぽい。

「今日のオールは、ゾロと……オレか」

 ゾロの籠にパンを一つ多めに入れる。

「おおい、野郎共!飯だー!」

「おお、サンキュー!」

「待ってたぜー!」

 勢い込んでキッチンに飛びこんでくるみんなの顔が、少し痩けている。けれど表情は明るく、サンジはその顔を見る度にほっとする。

 一人ずつに籠を手渡し、一気に喰うなよと毎朝の注意を繰り返す。

「しっかり、良く噛むんだ。そうすれば余分に腹がふくれるからな」

「おお、解ってるぜ。わるいな、サンジ」

「いただきます!」

 それぞれに籠を渡した後、ゾロについてサンジもキッチンを出た。

「さぁ、漕ぐぜ。ゾロ。今日こそこの黒い海を抜けてやる」

「おお」

 オールを掴む。

 凪は続いている。きっとこの黒い海には風さえ届かないのだ。

 この二本のオールが、この海を抜けるための命綱、ひいては仲間達を救うための唯一の手段だった。

 思い切り力をこめ、メリーを速く、速く駆けさせた。

 

 

 

 陽も暮れる頃になってようやくオールを漕ぐ手を止めた。

 代わる代わる甲板に出てきていた仲間達は、今はみんな部屋に引っ込んでいるらしい。

 額に伝った汗を拭って舐めると、まだちゃんとしょっぱかった。自分の汗の味がじわじわと胃の腑に沁みる。

 海の向こうに太陽は暮れていく。

 ぎらぎらと光る海は怖ろしかったけれど、その向こうの空は橙から花のようなピンク、藤色、藍色、濃藍に変わってゆき、とても美しい。

 このところ空を見上げることが増えたなと思う。

 海を見たくないからだ。

「お前」

 不意に反対側で同じように空を見ていたゾロが呟いた。

「ああ?」

「メシを……喰わなかったな。一度も」

「ああ」

 そんなことか、と頷いてみせる。

「オレぁ、まとめて夜に喰うことにしてんだよ」

「本当か」

「なんでこんな事で嘘つかなきゃなんねんだ」

「……なら、いい」

「ああ、見ろよ、ほら」

 夕暮れを見つめたまま少しも逸らさなかった視線を、ちらりとゾロに向ける。

「綺麗だよなぁ」

「………ああ」

 今日の陽が沈もうとしていた。

 ちかりと最後の光が輝くと、水平線には夜の女神の裳裾が降りる。 

 暮れたか、とサンジは呟いた。

 

 

 固いパンを一つと岩塩をほんの一欠片。そしてコップに半分の水。

 バスケットの中にはそれだけが入っている。

 可愛い木の札には金髪の似顔絵で、いつ見ても眉が巻きすぎだぜとサンジは毒づいた。

 バスケットを置いて、テーブルに付く。

 空腹という化け物が腹の中で暴れ回るのをどうにか堪えて、固いパンを毟る。口に入れて、噛む回数も決めている。

 そうしなければはやくはやくとせっつく胃の痛みに負けてしまうからだ。

 ゆっくりと時間を掛けてパンを半分ほど食べ終えたところで水をのみ、岩塩を舐める。塩味がじわりと口の中に染み渡った。

 不思議とそれは甘く感じられる。

 また時間を掛けて残り半分のパンを食べ、岩塩を口に放り込んで飴玉のように舐めて、それが無くなると残りの水を飲む。

 それがこのところのサンジの食事だった。

 餓えは怖ろしく手に負えない怪物で、気を抜けば手綱を振り解いて暴れようとする。けれどサンジはそれと長い間共に過ごしたことがあった。

 思わず視線が食料の入っている冷蔵庫へ流れてしまいそうになるのを、危うく堪える。

 餓えているのに目の前の食料を堪えるのはつらい。

 けれど最後の食料をこの手から取りこぼして無くしてしまった瞬間のあの絶望を、サンジはこの船の誰にも味あわせたくなかった。

 明日になれば、また食べることが出来る。

 その希望は人を少しでも長く生かす命綱だ。

 尽きることがないようにと、ただ願った。




                                      4