オリジナルBL本「水の往く末」番外編

>>> 水の憩う大地 <<<












 

 さらさらと砂の崩れる音がする。

 耳に馴染んだそれにふと振り返って、彼は、遠い砂漠の果てを見晴るかした。

 紅く、巻き上がる砂に煙って、青い空との対比があまりにも鮮やかなその果てしない不毛の大地。

 熱と渇きしかないその場所には、それでも生きている者達がいる。

 砂に埋もれ、夜気の滴を舐め、あるいは年にたった一度の雨期を待ちわびて、密やかに呼吸する者達がいる。

 その命の逞しさを不思議に、とても不思議に思う。

 人はそんな風には生きられないから、数多の血を流すというのに。

 争うでもなくただ己の姿を変え、性質を変えて世界に合わせ、生きていく者達。

 そうは成れないから、足掻いて世界を変えようとする人間。

 どちらも美しく、哀れで、健気で、愛おしいと思う。

 紅い砂を舞い上げて風が吹く。砂漠の上を渡って行く。

「……っ」

 ふと、名を呼ばれた気がして、彼は振り返った。

 歩いてきた足跡などとうに風に掻き消されている。

 その向こうには砂が凝ったような切り立った岩山、そしてそれを囲むように芽生えた微かな緑。

 その、奇跡のように美しい色彩。

 岩山の向こう、岩場を降りた先には泉がある。

 決して涸れることのない、天の与えたもうた恩寵の泉だ。

 今この時もこんこんと湧きいでて、石を組んで造られた水路を駆けめぐり、村中を潤している。

 やがてこの場所は美しいオアシスになるはずだ。

 岩山の間から出てきた黒い人影は少しずつ近付いて、やがてその声が耳に届く。

「ルティア」

「クラハ」

 踵を返す。

 近付くに連れて、揺らぐ暑さのヴェールがはだけられ、世界で一番愛しい人の顔がはっきりと見えるようになる。

 鋭く尖った鼻筋と顎を持つ精悍な顔、夜のように黒い眼と髪、その頬を無惨に引き裂く一筋の傷。

 けれどその傷ですら、彼の、彼のものだ。

 なにひとつ厭わしいものなどありはしない。

「クラハ」

 もう一度呼んで両手を広げると、残りの距離を一息に縮めて力強い手がルティアを抱き取った。

 大きな掌が背を支え、思わず安堵のため息をもらす。

 ルティアの細い身体をすべてくるみこんでしまうくらい広い胸は、この世界の何処よりも安心できる場所だ。

「どうした。外は危ないと言っただろう」

「ええ。……外から、見てみたくて」

 クラハの腕の中から指をさす。

 あえかな緑に彩られた、二人の住処。多くの村人達、砂漠の寄る辺ない民を取り巻く、その豊穣の色。

「ねえ、美しいでしょう?」

「……ああ。そうだな」

 クラハが頷いて、その腕の中でルティアは声を上げて笑う。

 鈴の音のように軽やかなその声は灼熱の砂漠の風に乗って、蒼穹の彼方へと運ばれていった。

 







 

 

 ルティアはかつて、『天』と呼び慣わされる精霊の一族だった。

 地に落ち、人に囚われ、やがて人になることを選んだ。 

 それは人が弱く、哀れで、痛みに満ちていて、そう在りながらもそのすべてを越えうるだけの優しさと強さを備えた存在だったからだ。

 一人の人間にどうしようもなく惹かれ、そうしてルティアは、人に成った。

 

 







 

 

「おや。お二人さん、砂漠で水入らずだったのかい。仲のいいこったね」

 岩山の影に戻ったところを丁度ルッカに出くわし、茶化されてルティアは微かに頬を染めた。

 気さくなルッカはしょっちゅうそうやって二人をからかう。

 その度にルティアは紅くなり、クラハは憮然とした顔をする。

 もっとも、そんな風に呆れ半分にからかわれても仕方がないくらいいつも二人きりでいるのも本当だ。

 クラハはルティアから眼を離すのを嫌がるし、ルティアは出来ることなら一日中でもクラハの傍にいたい。自分が案外強欲だと言うことを知って、こっそり驚いてしまったほどだ。

 人でいる、と言うことは、こういう感情も覚えるということなのだ。

「いっとくけどねぇ、あんたたち。あんまりベタベタ一緒にいると、飽きるのも早いよ?一年後の今日には別々の家で暮らしてた、なんて話だってざらだからね」

「そ、そんなこと有り得ません!」

 ルティアが思わず声を上げるとルッカはからからと笑う。

「ひっつき過ぎもよろしくない、って話さね。たまにはうちの子達の子守にルティアを貸してちょうだいよ、クラハ」

「………」

「ああやだやだ、嫉妬深い亭主ってのは」

 クラハの仏頂面を怖れもせずに笑い飛ばして、ルッカがそう言ってのける。

 ますます眉間にしわを寄せるクラハに慌てて、ルティアは話題を変えた。

「そ、そういえばルッカはどうしてこんなところにいるんです?なにか外に御用があるなら、わたしも一緒に……」

「ああ、いやいや。種まきをしてただけさ」

「種まき」

 ルティアが呟くと同時に、岩陰からひょいと小さな頭が覗いた。

「よぉ、ルティア!」

「こんにちは、ルティア」

「ジンも来てたんですか。リトラも。アスランはどうしたんです?」

「他の赤ん坊達と一緒に広場の柵の中さ。誰かが見ててくれてるだろうよ」

 砂漠の女達はおおらかだ。 

 赤ん坊はすべて自分の子のように分け隔てなく面倒を見る。

 広場の、丁度ひさしのようにはりでた岩陰には柵で囲いが作ってあって、用事があって面倒を見られないとき女達はそこに赤ん坊を預けていくのだ。

 いつぞや、年端もいかない赤子達が五人も六人も一緒くたになって、よく見分けがつかなくならないものですねとルティアが感心したら、腕に飾り紐を巻いてあるんだよとルッカにおおいに笑われた。

 赤ん坊が健やかに育つよう、砂漠の魔にさらわれぬように、護符を編み込んだ飾り紐を子供の腕に巻くのがこの村の風習らしい。

 まあ、紐がとれちまったってアスランの事はわかるさ、と笑ってみせたルッカは、今はその片腕にアスランの代わりに底の深い籠を抱えている。

「なんの種を捲いているんです?」

「色々さ。とりあえず、緑が根付かなくっちゃ」

「そうですね」

「ほら、ルティア!」

 子供達が誇らしげに籠の中に入った種を見せる。

 芥子粒のように小さなものから細長く尖ったものまで、本当に様々だ。どんな植物がここに根付くかわからないから、あらゆるものを試してみる、という事なのだろう。

「水路もだいぶ進んだからね。じきに、緑の絨毯が出来るさ。二、三年経てば木陰で昼寝が出来るかも知れないよ。とびきり成長の早い、ケルタって木の種を混ぜておいたからね」

「そんな木があるんですか」

「そうとも」

 隣に立つクラハを見上げると、微かに頷いてみせる。

 生国から流れて生きてきた彼は、見聞が広い。

「二、三年は無理だろうが、五年も経てばそれなりの木陰が出来る」

「わかんないよ。なにしろここは、精霊の祝福を受けた土地なんだからさ!」

 そう言って、ルッカが朗らかに笑い声を上げる。

 つられたように子供達が歓声を上げて、籠の中の種をぱっと蒔いた。

「ああ、ほらほら!むやみにほうるんじゃないよ、まったく!水路から水が滲んでる場所だよ、ほら」

 ルッカがそう言って、手本を見せる。

 村の男達が苦心して造っている水路は、割って削り上げた石で出来ている。幅は大人が一またぎ出来るほどで、将来は村の外へと広がり、砂漠を潤すようになるはずだ。

 石の水路からは水が少しずつにじみ出し、よく見ればそこかしこの地面の色を変えている。

 ルッカはそこをめがけて種をほうる。

 倣って、子供達も。

 あぁ、と吐息を付きながらルティアは微笑んだ。

 植物は強い。水さえ在れば固い殻をほどき、健やかな双葉を出すだろう。瞬く間に大きく育ち、やがて美しい花を咲かせるはずだ。そして花は実を結び、さらに多くの種をこの地に生み出すだろう。

 小さなアスランが立って歩く頃には、この村は緑で溢れているのかもしれない。

 そう考えるのは、とても、嬉しいことだった。

「ねぇ。クラハ」

「ああ」

「この村に……滴るような緑が、やがてきっと、溢れます」

「………」

「とても、美しい光景でしょうね」

「ああ」

 クラハの手が、ルティアの手を取る。

 指が絡んで、その幸福にルティアは笑った。

 クラハが私の隣に立ち、そして愛しいもののように私の手を取っている。それは、この世界で、なににも代え難く素晴らしいことだった。

「クラハ」

 ルッカと子供達が種を蒔く。

 水路を渡る水の音が音楽のようにルティアに響く。

 水の主の、そして《天》の長が残した、汲めども尽きぬ泉から迸る豊穣のせせらぎ。

 その音楽はこの先に拓けている美しい未来を、約束しているようだった。

「クラハ。………美しい、村にしましょう」

「…ああ」

「人を、害することなく、救うことが出来る、そんな村にしましょう」

「そうだな」

 見上げると、クラハが微かに笑った。

 その笑みだけでルティアはこの地上に落ちてきた意味を知ることが出来る。

 ルティアは、クラハに出会うために、この地にやってきたのだ。

 

 水の留まる場所は大地だ。

 地を潤し、緑を育て、虫を、獣を、人を、あらゆる命を育むのだ。

 

「愛しています。クラハ」

「……ああ」

 オレもだ、と微かな言葉が耳に届く。

 ルッカが振り返り、いつまでたってもお熱いねぇ、とからかって笑う声が、青い空に高く響いていった。

 

 

                                   

 












もっさん様へ。
キリ番企画にご参加本当にありがとうございました!そしてこれでもかというほどお待たせして本当に申し訳ございません…!!もはや言い訳の仕様もない。
「水の往く末」の二人をリクしてくださって、嬉しかったです。
どうやらラブラブのようです。まあ、最初ルティアに苦労をかけた分これからは散々過保護にするんだと思います。
ちょうどいい、という言葉がなかなかわからない男ですクラハ。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
どうもありがとうございました!
                                        10/10/06