この、完全なる夜に   2








土煙が薄れると、壁がごっそりとえぐりとられたカテドラルの無惨な姿が現れた。 

 美しい唐草の彫りを施されニスで艶やかに磨き上げられた扉も、聖者が子羊たちを招く像も、もはや見る影もない。

 舌打ちをしてゾロシアは血刀を一振りした。

 磨き上げられた刀からはそれだけで血飛沫がすべて滑り落ち、ぎらりと光る白刃が露わになる。

 敵が潜んでいる気配はないかカテドラルの奥の暗闇に眼を凝らしながら、もったいねぇな、とゾロシアは呟いた。

 この建物の造形は結構好きだった。

 神などいるはずがないので中に足を踏み入れたことは一度もないが、町外れのキデオンの丘の天辺から振り返るとこの建物がそれ以上はないと思えるほどしっくりとこの街並みに溶け込んでいたものだ。

 大型船の並ぶ港、その向こうに緩やかな曲線を描く半島。港を中心にした古くからある街並みと徐々に街を広げていった丈高いビルの群。

 カテドラルは丁度その真ん中にあり、まるで両者を繋ぐ楔のようだった。

 このあたりの地層の特徴である淡い褐色の岩で作られた古い建物と、コンクリートの灰色の建物が入り交じった路地を、ゾロシアは大股で闊歩した。

 街のそこかしこに破壊の跡があった。

 当たり前だ、これはすでに戦争なのだ。

「不用心よ、ゾロ」

 咎めるような声に振り返ると路地の一本からナミモーレが顔をのぞかせていた。

 港を仕切る『キング・オブ・シー』のドン、ルフィオーネの腹心の部下だ。

 エル・ファノ港で交わされるすべての取引に一枚噛んで巨額の富を得ていると噂されるずるがしこい女狐だが、今のところは味方だった。

 外の敵には団結して事に当たる、それはこのエル・ファノの鉄の規律だ。

「あんたとルフィとサンジ君、一人でも欠けたら終わりなんだから。もうちょっと用心してよ」

「この程度の相手にへまなんぞするか。……あいつらはどうした」

「あんた程度には無事でしょ。ルフィはどっかで大暴れしてから大メシ食らってるところよきっと。サンジ君は、リ・ファーレ広場あたりで戦闘してたって聞いたわ。その辺にいるんじゃないの」

「わかった」

 刀を手にしたまま踵を返す。

 リ・ファーレは旧市街のほぼ中心部にあたる。

「血にまみれた物騒な花持ってプロポーズにでも行くつもりなの、ドン・ゾロシア」

「………」

「応援してるのよこれでも。ホントにその気ならそれは仕舞って、そこの角の花屋で真っ赤な薔薇でも買っていきなさいよ」

「うるせぇな、女狐」

 毒づくとナミモーレがけらけらと笑った。

 怖いもの知らずの扱いにくい女だ。ルフィオーネはこの女をどうやって配下に加えたのだろう。

「行ってらっしゃい。ゾロ」

 

 

 

 

 

 リ・ファーレの広場には真紅の花が咲き乱れていた。

 絶え間なく水の噴き出し続ける噴水だけが洗い流されていたが、きっと一時はその水の流れさえ血のようだったのだろう。

 銃弾が石畳にめり込み、転がっているものは物言わぬ死体だけだった。

 動けるもの、息のあるものは皆もう逃げ去ったかあるいは治療のために連れて行かれたのだろう。

 どうやらこの広場でもエル・ファノは勝利を収めたようだった。

 その証拠に噴水の縁に腰掛ける男が一人、紫煙を燻らせている。いつの間にか嗅ぎ慣れた彼の葉巻の香りが鼻を突いた。

「終わったかよ、ゾロ」

「………テメェの方もな」

「とりあえずだ。また来るつもりでいるんだろう」

「鬱陶しいな。イナゴの群かっつの」

「紅い血の出るイナゴか」

 ふぅ、とサンジーノが煙を吐き出した。

 その白いスーツの足下が真っ赤に染まっている。揃いの革靴もぬめぬめと流れたばかりの血にまみれていた。

 この男は伊達を気取るのが好きだ。

 こんな戦争の時に白いスーツなど着なければいいのに、やたらと格好を付けたがる。

 金髪によく似合う白も今はただ凄惨なだけだった。

 いや、とゾロシアは思う。

 あるいはそれこそがこの男の計算なのかも知れない。

「ゾロ」

「なんだ」

「戦争ってのは、イヤなもんだなぁ」

「………」

 多分、戦いの中でゾロと同じくらいに敵を屠った男が、血塗れのままそんなことを言う。

 彼はわざとらしく嘯いているわけではなく、おそらく本気なのだ。

「イヤなもんだ。ホントに。なくなっちまえば、いいのになぁ」

「………血塗れで言う台詞か」

「別にいつ言ったっていいだろ」

 白いスーツは見せつけるように血にまみれている。

 けれど金の髪には血の一滴も散っていない。

 ゾロシアのように刀を使うわけでもなくただその足の一蹴りだけでたやすく人の頸を折ってみせる男を、部下達が密かに悪魔と呼び慣わしていることを知っている。

 ゾロが口を開くより先に、広場の一方の道からサンジ、と呼んでチョパリーニが駆け寄ってきた。ヒトヒトの実を食べたトナカイだという彼は変身しないときはまるで小さな子供のようにも見える。

 その角が紅く染まっている。

「心配したんだぞ、サンジ!勝手に突っ走るなよ!」

「ああ、悪ぃ悪ぃ。チョッパー」

「そんなこと言って、ホントは全然…」

 文句を続けようとするチョパリーニの角を、サンジーノがポケットからとりだした真っ白なハンカチで拭った。

 チョパリーニが口を噤む。

「さて。とりあえず帰ろうぜ、ゾロ。チョッパー。この先のことを考えねえと」

「ああ」

「おう」

 サンジーノが先に立って歩き出す。

 紅い河を踏み死体を避けるその足取りに迷いはないように見えた。

 少なくとも見た目だけは。

 チョパリーニがその後に続き、灰色の石畳に紅い花びらが散っていく。

 エル・ファノの街の争乱は、まだ続きそうだった。

 

 

09/01/19